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今日の1枚:「アフリカン・ピアニズム」第2集(レベカ・オモルディア)

『アフリカのピアニズム』第2集
ジルマ・イフラシェヴァ:エリルタ(喜びの叫び)
サリム・ダダ:アルジェリアの小曲集
ナビル・ベナブデルジャリル:前奏曲第1番『魔術的な朝』第2番『幻影と光』、無言歌、夜の戦慄
モカレ・コアペング:前奏曲変ニ調
グラント・マクラクラン:『我々は何を成したか?』
フェラ・ソワンデ:ヨルバの神聖な民謡旋律によるふたつの前奏曲第1番『我が母に』
フローレンス・プライス:ファンタジー・ネーグル ホ短調
アキン・エウバ:『ドゥールーの歌』アフリカのピアニズムによる習作第4番、第1番、第2番
Somm Recordings, SOMMCD0688
レベカ・オモルディア(ピアノ)
録音時期:2024年1月12,13日


African Pianism vol.2
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 日本で西洋のクラシック音楽の美学が根付き、器楽、声楽からオーケストラまで、さまざまな形態を通して創作が行われ、人々がそれを受容しているように、非西洋のさまざまな国で、いわゆるクラシック音楽が実践されています。それらについての情報はなかなか手に入れることができませんが、音楽市場の充実によって、近年あちこちで非西洋音楽をテーマとする興味深い試みが世に送り出されるようになってきました。例えば、仏Paratyからリリースされている、レイラ・ラメザンによる「イラン・ピアノ音楽の100年」と題されたシリーズ(既刊2点、全4巻を予定)などはその代表格と言ってもいい、優れたアルバムです。
 アフリカのクラシック音楽については、かつてクロノス・カルテットがPieces of Africaと題した、実に面白いアルバムを世に出していました。彼らが好んで採り上げていたケヴィン・ヴォランズの《ホワイトマン・スリープス》から、古典的な名作であるハムザ・エル・ディーンの《水車》まで幅広く採り上げたそのアルバムは、編曲ものが多い点が玉に瑕とは言え、私たちがふだんクラシック音楽を聴いている中では出会うことのないであろう作品を並べて、クロノスのディスコグラフィ上でも屈指の名盤であったと思います。
 ルーマニア生まれでナイジェリア人の父を持つピアニスト、レベカ・オモルディアは、ボッテジーニからヴォーン・ウィリアムズまで、さまざまな西洋のクラシック作品の録音に顔を出す一方で、アフリカのピアノ音楽を積極的に紹介しています。当盤は彼女がアフリカ出身の作曲家によるピアノ曲を集めて録音する企画の最新盤で、Sommレーベルでは2作目、他レーベルでの企画も加える3作目のアルバムとなります。
 Sommレーベルでの第1巻は、20世紀前半から半ばにかけての作曲家を中心として編まれていました。それに対しこの第2巻は、19世紀末に生まれたフローレンス・プライス(彼女を「アフリカの作曲家」とするのは誤りですが、ここでは題材的な親近性から採られているのでしょう)から1975年生まれのサリム・ダダまでと、より幅広い年代から採って、多彩なプログラムを披露します。そのせいもあると思いますが、第1巻がかなり穏健な、西洋音楽寄りの作品が目立ったのに対し、こちらは多彩な作風を楽しめる内容となっています。
 エチオピアはアディスアベバ出身のジルマ・イフラシェヴァ(1967年生)は故郷の音楽院で学んだ後ブルガリアに留学し、ピアニストとして国際的な活動をしつつ、ピアノ独奏曲を中心に作曲活動を行っているとのことです。《エリルタ(喜びの叫び)》は音の組み立てはシンプルだけれども、叙情味をたたえた長大なレシタティーヴォが魅力的です。
 アルジェリアのサリム・ダダ(1975年生)はフランスで音楽を、アルジェで医学を学んだという変わり種。《アルジェリアの小曲集》はもともと弦楽アンサンブルのために書かれたものを、人気を得たので作曲者自らピアノ曲に編曲したとのことで、いくぶんブルージーな旋律を歌う曲と民俗的な舞曲とが並ぶ組曲は、和声の扱いに西欧風の洗練味がありますし、オスティナートの扱いにもむしろ戦略的な色合いが濃く出ていて、その意味では西洋の見たアフリカという印象がありますが、借り物風に陥らずに気持ちよくまとめていると言えるでしょう。
 ナビル・ベナブデルジャリル(1972年生)は、トリに収められたアキン・エウバとともに、第1巻から続投となっています。このモロッコの作曲家について、ブックレットに収められたロバート・マシュー=ウォーカーの解説は「疑いなくこんにちアフリカを牽引する作曲家のひとり」と評していますが、その言葉に偽りなしというべきか、当盤でもっとも強い印象を与えてくれるのがこの人です。ウクライナのキーウとストラスブールに学んだというその音楽は、アラブ風の旋律を単旋律の歌謡に収斂させずに、凝った音の織りものの中に巧みにはめ込むと同時に、音色の扱いに繊細なセンスを披露して、民俗的というレッテルに収まりきらない、自在で豊かな音楽を紡いでいきます。ドビュッシーを思わせるところがあるという意味では西洋的なモダニズムの延長線上にありつつ、独自の世界を切り開いていて、広く聴かれるべき作曲家であることは疑いないでしょう。
 南アフリカのソウェト生まれというモカレ・コアペング(1963年生)には、この国の動乱を扱った作品もあるそうですが、ここに収められた《前奏曲》変ニ長調は、作風としては極めて穏健で西洋的。そのへんも南アフリカという国の成り立ちにかかわっているのでしょうか。なかなか技巧的な曲に聞こえて、弾く側には面白いだろうと思います。続くグラント・マクラクラン(1956年生)の《我々は何を成したか?》は、やはり南アフリカ出身の作曲者が母国の民謡を素材としてコントラバスとピアノのために書いた《ソナチネ》の第3楽章をピアノ独奏曲に仕立て直したものだそうで、これも非常に西洋的、というか、こういうコラールをメンデルスゾーンやシューベルトが書いていた、と言われても信じてしまいそうな小品です。ただし、そのピュアな歌はなかなかに心に沁みます。
 フェラ・ソワンデ(1905-1987)はナイジェリアの作曲家で、知名度という点では図抜けていると言っていいでしょう。ナイジェリア教会音楽の創始者とされる父エマヌエル・ソワンデのもとで教会音楽やオルガンを学びと同時に、ポピュラー音楽のバンドにも参加し、長じてはナイジェリアのみならず英国や米国で活躍した彼の音楽は、和声的にも極めて穏健で、ここで演奏される《ヨルバの神聖な民謡旋律によるふたつの前奏曲第1番「我が母に」》は、当盤の中ではちょっと場違いなくらい、「愛らしい小品」という範疇に収まっています。今やすっかり有名になった米国の作曲家フローレンス・プライス(1887-1953)の音楽も、素材は別として作りは完全に西洋的ですが、《ファンタジー・ネーグル》ホ短調は演奏会用音楽として堂々とした風格を持つもので、時代的な古びを感じさせない優れた音楽だと思います。
 作曲家アキン・エウバ(1935-2020)はソワンデと同じナイジェリア出身で、年齢的にはひと世代くらいしか違わないのですが、このふたりの違いは大きいと言わざるを得ません。民俗的な素材を使うと同時に、ピアノという楽器にアフリカの民俗楽器を重ねて、「アフリカン・ピアニズム」の概念を創り上げたひとりということで、現代のサリム・ダダに近いけれどももっとずっとシンプルで土臭く、力のある音楽を築き得ています。エウバについては第1巻に収められた《言葉のない三つのヨルバの歌》が、短いながらよい印象深い作品でしたが、当盤の《ドゥールーの歌》も気持ちのよく、楽しい小品集です。

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