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【短編小説】ニシヘヒガシヘ~夜行バスに乗って~第2話

   第2話

23:00 〇〇サービスエリア(休憩20分)

 広い駐車場を横断するように進んでいたバスが、静かに動きを止めた。断続的に鳴り始めた高い音を合図に、車体がゆっくりバックしていく。

「〇〇サービスエリアに到着です。こちらで20分の休憩になります。23時10分までにはお戻りください」

 運転手のアナウンスに続いて、エンジン音が止まる。少しだけ車内が騒がしくなった。特に耳に入ってくるのは、若い男女の声。きっと学生さんなんだろうね。だって春休みだもん。満席っていうのも納得。

 そういえば、今は家を出て一人暮らししているうちの長女も、大学卒業の頃はあちこち出かけてばかりいた。就職したら行けなくなるからって、そう言われたらこっちも黙るしかない。まあ、これまで溜めたバイト代で払ってるんだからいいけどね。それにしても若いっていいですなぁ。

 夜行バスの旅は順調だった。道路も混んでいなかったし、サービスエリアに到着したのも、予定より少し早いくらい。
 座り心地はいいし、快適な旅だ。新幹線に比べたら時間はかかるけど、その代わりにお値段が優しい。いいじゃん、夜行バス。

 乗客たちがぞろぞろとバスを降りて行く。あたしも靴を履き、立ち上がる。バスの後方から、学生さんとおぼしき男女のグループが楽しそうに話しながらバスを降りていった。細いブーツを履いた若い女性と、黒い不思議な帽子をかぶった背の高い男性が続く。リュックサックを腕に抱えて、その後ろに並んだ。

 外に出たら、思いの外空気が冷たくて身震いした。バスの中が暖かかったから、余計に寒さがこたえる。かろうじてダウンジャケットは着ているけれど、中は普段着だし、インナーも防寒用じゃない。急いで建物の中に駆けこんだ。

 見慣れた店の前を通過していく。家から高速に乗って二時間のところにあるこのサービスエリアは何度も来たことがあった。中央の飲食エリアを取り囲み、いくつものフードカウンターがひしめいている。

 自然と、いつも利用する店に近づいていった。名物のローストビーフカレーの写真が大きく飾られている。ここに来ると、夫が必ず注文する一品だ。
 正直に言って、あたしはそんなに好きじゃない。カレーとローストビーフは別々に楽しみたい。

『一緒に食べるからいいんじゃん』
 夫の声がよみがえる。

『わからんかね、この絶妙な調和ハーモニーが』
 いやいや、どこがよ。大ゲンカでしょうよ。カレーは普通が一番よ。

 でも今はそれもいらない。8時くらいに夕飯を食べていたし、それほどお腹が空いていない。

「うわっ、ウマそう」
 声がして、ふと見るとさっきのおじさんが写真の前で目を輝かせていた。

「これ、絶対ウマいっすよね」
 え、あたしに話しかけてる?

「ええと、そうですね……好みによりますが……あたしはそんなに」

 最後まで聞かず、おじさんはいそいそとレジに近づき、「ローストビーフカレーいっちょう!」と人差し指を立てた。番号札をもらって空いている席に腰を下ろしている間も、顔からはワクワクがあふれている。

 あたしは迷った末に、隣のフードカウンターでりんごソフトを買った。これも必ず食べるやつ。シャリシャリしたりんごの果肉まで入ってて、ホントに美味しいの。

 深夜のサービスエリアは空いていて、ローストビーフカレーはすぐにやってきたようだ。

「ウマいっすよ、これ!」

 おじさんがあたしに向かって大きな声で言うので、ソフトを片手に近寄った。おじさんが目で促すので、隣の席へ座る。

 指が太いせいか、スプーンを握る手が小さく見える。なんだか子供みたい。
 お腹が出っ張っていても、両耳の横に髪の毛がちょっとしかなくても、このおじさんなんだか可愛い。

 眉が太くていかつい代わりに、大きな目と、笑うとビーバーみたいに前歯の覗く口元のギャップがいい。にこにこ顔に釣られて、こちらも笑顔になってしまう。

 きっと子供のころは相当可愛かっただろうけど、今でもおじさんたちの間だったら、いい勝負できるんじゃないかな。

「よそのカレーって自分あんまり食べないですけど、意外とウマいんですね」
 おじさんが言った。思わず首をかしげる。

「よそのカレー?」
 そんな店名だっけ?

「あ、はい。カレーって家で食うものっていうか、やっぱ奥さんが作ってくれるカレーが一番ウマいじゃないっすか」
 ああ、そういう意味。

「まあ、カレーは家で食べられますけど、ローストビーフは無理ですもんね」
「え、そうっすか。うちの奥さん、作ってくれますよ」
 食べているだけなのに、おじさんは汗をかいている。

「うちの奥さん、料理が得意で、なんでも美味しいんですよね。昼は弁当作ってくれるから、あんま外食とかしたことなくて」
 へえ、それはそれは。

 だからそんなにお腹が出ちゃったのか。こんなに美味しそうに食べてくれるなら、奥さんそりゃ張り切ってご飯作るよね。

「でもこれ、ホントにウマいからうちの奥さんにも食べさせてあげたいなぁ」
 止まらない奥さんトーク。微笑ましい。いやホントに。

 最近、テレビタレントの真似かもしれないけど、自分の妻を「嫁」って呼ぶ人が多いよね。関西出身じゃなくても。

 でもこうして「奥さん」って呼ぶ人、ちょっと可愛くない?

 厳密に言うと、どっちも使い方間違ってるんだけどね。「嫁」は息子の妻のことだし、「奥さん」は他人の妻に使う言葉だし。

「それじゃ、あたしお土産見るんで」
 嘘だけど、そう言って席を離れた。

『りんごソフト、俺のやつも』
 ローストビーフカレーを食べ終えると、膨れた腹をさすりながら夫が言う。二人分のカレー皿を食器返却カウンターへ戻し、その足でりんごソフトを買って振り返ると、夫の姿はない。

 サービスエリアの建物を出ると、トイレに向かう途中に藤棚があって、夫はその下のベンチに座って煙草を吸っている。両手にソフトを持って近寄っていくあたしに、当然のように『ん』と手を差し出す。

 そんなことを思い出していたら、つい藤棚の下のベンチへ来てしまった。ソフトを片手に震えあがる。

 そういえば寒いんだった。なんでソフトなんて買っちゃったんだろう。

 途端に尿意をもよおした。いけない、ちゃんとトイレを済ませておかないと。
 バスの中にもトイレがあるけど、なんとなく利用しづらい。女一人旅だし。

 別にこんなオバサンのことなんて、誰もなんとも思わないだろうけどね。

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