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【短編小説】ニシヘヒガシヘ~夜行バスに乗って~第7話(最終回)

   第7話(最終回)

06:00 バスタ新宿 到着

「ねえ、この人本当に大丈夫なの」
 キーンとした甲高い声が空気を破った。

「こんな体勢のまま、ずーっと眠ってるんだけど」
 カツンカツンとなにかが打ち鳴らされる音が、耳の奥を震わせる。重くて開かない瞼の裏に、細いブーツのかかとが浮かんだ。

「心配はいらない。彼女はもともと寝不足だった」
 聞き覚えのある低い声がした。あの不思議な黒い帽子をかぶった、背の高い男性だ。

 顔を覗き込まれているとわかっていても、身体はまるで床に糊付けされているように重く、腕一本も動かせない。

「なんでそんなことわかるの」
「彼女が躓いたのを支えた時に手を取った。その時に脈拍と体温を測り、目の充血を確認した」
「うわ、キモ」
 女性の叫びに、男性が「失敬な」と呟く。

「そもそも、私は彼女の飲み物に睡眠剤は入れていない」

「えっ、そうなの!?」
 え。そうなの?

「それにしては彼女、ずいぶんとタイミングよく倒れたわね」
 女性の問いに、

「加糖のホットコーヒー」
 男性が浅く笑った。

「糖分を摂取すると、血糖値が上がる。脳は急上昇した血糖値を下げるように命令し、その時に強い眠気が起こる」

「でもコーヒーでしょ。カフェインのせいで目が覚めるんじゃないの」

「よほどコーヒーを飲み慣れていない人ならともかく、缶コーヒーに入っている程度のカフェインでは睡魔を遠ざけることはできない。その上、彼女は飲み物になにかを混入されたと考え、自分も彼らと同じになるという自己暗示にかかった」

 自己暗示? そう言われてみたら、なんだか腕も動かせそうな気がしてきた。
 本当にあのコーヒーには本当になにも入ってなかったの?
 倒れているおじさんと青年の姿を見たとたんに、一瞬で気が遠くなった。本気で死ぬかと思ったのに。

「なーんだ、ただの偶然か」
 女性が笑い飛ばした。男性は彼女の言葉には応えず、

「私が睡眠剤を入れたのはあの二人の飲み物だけだ」
 そう言って立ち上がった気配がした。足音と共に、声が遠ざかる。

「この青年が隠し持っていた拳銃を、おじさんが取り上げるのを見ていたからな」

『銃の持ち主は、あなたですよね』

 最初はあたしが言われたのかと思って飛び上がった。男性に指摘されてもじっとシートに座っていたあの青年を思い出すと、今さらながらぞっとする。
 男性はすべてお見通しのようだ。一体、どういう人なんだろう。

「叔父さんさぁ、それバレたら捕まるのこっちだから」

 女性の責め立てるような声に、男性は悪びれもせず、

「ろくな手荷物チェックもされないで、素性もわからない不特定多数の乗客たちと、長時間過ごすのだぞ。動いているバスは密室と同じ。安全神話に頼りきっているのは、平和ボケした日本人くらいのものだ」

 どこか自慢気な口調で言った。

「だからってねぇ」
 と、女性は声をあげる。

「バス会社のコンピューターをハッキングして、バスの中の防犯カメラのデータを自分のスマホに」

 男性が大きな咳払いをして女性の言葉を遮った。女性はため息をつくと、

「まあ、確かに警戒心が低すぎるかもね。知らない人からもらった飲み物なんて、怖くて飲まないでしょ、普通」

 ぐさっ。あたしに言ってるのよね。

「でもさ、もしあの二人が警戒して、叔父さんからもらった飲み物を飲まなかったらどうするつもりだったの。そもそも、未開封の飲み物にどうやって睡眠剤を入れたの」

 そうだ。あたしだって、それなりに警戒した。もらった飲み物がもし開封済みだったり、毒物を混入するための穴が開いていたら絶対に飲まない。

「簡単だ」

 男性は鼻を鳴らし、

「彼らが飲んだのは自分で用意した飲み物だ。彼らは飲みかけのペットボトルを座席のホルダーに入れたままサービスエリアで下車した。そこに私が睡眠剤を混入しただけだ」

 なるほど。女性の声に、あたしの心の声が重なる。

「ずいぶんと警戒心が薄いな。私なら、少しでも目を離した食べ物や飲み物は決して口にしない。どんな危険な輩がいるかもしれないからな」

 あんたが言うな。

「おや、お目覚めのようだ」

 男性が膝を折り、あたしの顔を覗き込んだ。気まずくて目を逸らす。

「ご気分はいかがかね」
 そう言って、男性があたしに手を差し伸べ、ふわりと助け起こした。空いているシートに座らせられる。

 バスの中には乗客の姿はなく、あたしを取り巻いているのは不思議な黒い帽子をかぶった男性と、細いブーツの女性と、それから運転手だけだった。

「あの……すみませんでした」
 まず運転手に、それから男性と女性にも頭を下げた。

「あたし、警察に連れていかれるんですよね」
 男性が面白そうに口元を歪め、返事を促すように女性をあおいだ。

「どうしてそう思うの」
 両腕を組んだ女性はすらりと背が高く、あたしより頭一つくらい大きい。

「だって、あたし、バスジャック犯だし」

帳面ノート町に向かって! そうじゃないと本当に打つからね!』

 どうしてあんな大胆なことをしたのか、今思い出しても恥ずかしい。

「バスジャック?」
 男性はまるで今初めて聞いた言葉のように目を瞠り、肩をすくめた。

「そんな事件はない」

「え、あの」

 頭が混乱した。あれはすべて夢の中の出来事だったの?

 けれども、手にはまだ拳銃を手にした時の重みが残っている。なによりあたしがバスの床の上に倒れているのが、あの出来事が本当にあったことだという証拠だ。

「あなたはただ、ミステリーツアーの芝居をしただけだ」
 男性は穏やかに微笑んだ。

「ミステリーツアー?」

 どういうこと。
 芝居って……あのおじさんも、青年も、仕込みだったっていうこと?

「ミステリーツアーって……参加者に行先を伏せたバスツアーですよね……?」
「まあ、基本はそうだが、今回はホテルなどで開催されるミステリーナイトのような趣向を凝らしてみた」
「……?」
「と、乗客には説明した」

 混乱するあたしを安心させようとしたのか、女性があたしの肩にそっと手を置いた。

「つまりね、乗客たちは、あなたが芝居をしていたと信じているの。バスジャックの犯人役を演じただけだってね」
 耳を疑った。意味が分からない。

「え、でも、あたし、本当に」
「銃は偽物だ。怪我人も出ていない。警察を煩わせるほどのこともない」

 男性が手に取った黒い塊は、あの拳銃だった。手の中でくるりと回転させたと思った瞬間、拳銃はばらばらに分解した。

「でも、あの」
 あたしはまだ重い頭を手で抑えた。たとえこれがすべて芝居だったと説明されても、ここにひっくり返ったままぴくりとも動かないあたしを、乗客のみなさんが怪しまないはずがないのでは。

 男性がにやりと笑いながら、大きく胸を膨らませた。

「そこは私の機転で切り抜けた。ここからは、三体の死体役と共にミステリーツアーの記念写真を撮れるサービスタイムだと」

 え、今なんて? 記念写真?

「ただしプロの役者ではなく、一般から応募してきた、いわゆる日雇いの役者だと説明し、顔の写真は撮らないことを条件としてもらった。それでご勘弁を」

 男性の言葉を受け、女性が手元で操作したスマホの画面をあたしに向けた。すごい体勢で倒れているあたしと共に、満面の笑みを浮かべた乗客たちがポーズをしている写真。今現在、SNSにあげられているようだ。

「運転手に無理を言って、今こうして時間をもらっている。しかしもうそろそろタイムリミットだ」
 男性が振り返った。目線の先には、おじさんと青年が倒れている。

「あなたにひとつお願いがある」
 男性があたしの目を覗き込みながら言った。

「あのおじさんを説得し、大人しく奥方の実家へ向かうようにしてほしい。なに、彼は進んで悪いことをするような人物ではない」

 おじさんはぽかんと口を開け、ビーバーのような歯をむき出しにしながら、まるで子供のように眠っている。

「あの青年が銃を隠し持っているのを見つけて、思いとどまらせるために取り上げたようだ。それがどうしてあのようなことになったのかはわからんが、魔が差したというところだろう」

 魔が差した。その気持ちはあたしが一番よくわかる。

「我々はこの青年を引き受ける」
 青年は苦悶の表情を浮かべて眠っている。けれども、フードやマスクを剥がした彼の素顔は思ったよりも幼く、うちの長男と変わらないように見えた。

「わかりました」
 そう言ってしっかりと頷いたあたしに、一瞬だけ、男性がこれまで見せたことのないような微笑みを浮かべた。

 男性はおじさんの身体を起こし、背中にぐっと手を差し込んだ。うめき声をあげたおじさんは、目をしょぼしょぼさせながらも意識を取り戻したようだ。片腕で自分の身体を支えている。

メイ

 男性の呼びかけに、

「はいはい」

 女性が青年をひょいと肩に担ぎあげた。長身で細身の彼女が、細いブーツをカツカツと鳴らしながら、抱えた青年と共にバスの出口へ向かう。

「これは仕事の範疇を超えてますからね。あとで埋め合わせしてもらうわよ」
「わかっている」

「そういえば、本来の仕事のほうは抜かりないのよね。なんのためにこのバスに乗ったか覚えてる」
「私を誰だと思っている。手抜かりなどあるはずがない」

 二人がバスから降りていく。慌てて窓に駆け寄ったが、二人は雑踏に紛れてあっという間に姿を消した。

「すみません、そろそろ車を戻さないと」
 運転手に声をかけられ、あたしは慌てておじさんを助け起こした。

「ごめんなさい。あの、本当に」
 それ以上言葉が出ないあたしに、

「良い旅を」
 運転手が微笑み、恭しく頭を下げた。

*********************************


 東北新幹線の改札で手を振ると、おじさんはあたしに向かって何度も頭を下げながら、ホームへ続く階段へ消えていった。

 ブブッ。スマホが振動する。メッセージかと思ったら、電話の着信だった。さっきあたしが送ったメッセージを読んだのだろう。

『ごめんなさい、今すぐ帰ります』

 おじさんと共に新宿から東京駅へ向かう中央線の中で、夫に送っていた。

「もしもし」
 怒っているかもしれない。気まずい思いでいると、電話の向こうで夫が息をついた。

「よかった……」
 その一言で充分だった。

「ごめんね」
 こっちも素直に言えた。

「いや、悪いのは俺だから」
 夫が言った。もう、泣かせないでよ。こんなところで。

「今どこなの」
「東京駅」
「東京!?」
 夫が絶句する。

「うん、夜行バスで……。あのね、お金かかってごめんだけど、帰りは新幹線使っていいかな。急いで戻りたいし」
「ちょっと待って」
 そう言って、夫が電話から離れた。なにかガサガサ聞こえると思っていたら、

「あのさ、俺迎えに行くから、途中で合流しよう」
 夫が言った。

「それで、二人で温泉行こう」
 ええっ!?

「今日は土曜日だし、一泊しよう」
「いいよいいよ、そんなの」
 慌てて言った。もういいんだってば、その話は。

「いいんだよ。俺もリフレッシュしたいし」
「でも」
 言いかけたあたしを、夫が遮った。

「早く顔見たいから」

 ……うん。
 あたしも、早くあんたの顔が見たい。

「あ、ちょっと待って」
 そう言って、夫が再び電話から離れた。と思ったら、

「もしもし」
 低い声がした。
「母さん、大丈夫なの?」
 長男だった。土曜日のこんな時間に、起きてるなんて珍しい。

「うん、ごめん」
 心配かけたのかもしれない。そうだよね。ごめんね。

「ばあちゃんのことは俺に任せて、今日は二人でゆっくりしてきて」
 夫そっくりの頼りない息子だと思っていたのに、なんだか急に大人びた口調でそう言う。

 もう、親子そろって泣かせないでよ。

「姉ちゃんにうるさく言われた」
 夫に電話を変わる前に、ぼそっとつけ加えた。そうか。長女にも心配かけたね。

「それじゃ、宿とか調べて手配するから、とにかくこっちに向かっておいでよ」
 夫が言った。心なしか嬉しそうだ。

 あたしはうきうきしながらスマホをリュックに戻すと、切符売り場に向かって駆けだした。

                               おわり


 こちらの企画に参加させていただきました!!('◇')ゞ

 ずっとリンクを貼るのを忘れていました。ごめんなさい!<m(_ _)m>

 こういう企画に参加することが初めてだったのですが、よい経験になりました!

 みんなでお祭り、楽しいですね~! ワッショイ!\(^o^)/

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