人生に足りないもの
先日、新卒採用の面接に同席しました。
何度も練習を重ねてきているのがわかりました。
姿勢も気を付けるように指導があったのでしょう。
話しながら、急にピンを背筋を伸ばす場面が何度かありました。
「一生懸命」な姿って、見ている側もつい応援したくなりますよね。
何色にもまだ染まっていない現役高校生。
中途採用者とは、また違った指導の難しさがありますね。
「何のために働くか」
その面接のときに、私は「何のために働くか?」という質問をしました。
彼の答えは「自分のため、家族のため」でした。
初任給で、弟が欲しがっていたゲームを買ってあげたいそうですよ。
「なぜ働いているのか?」
あなたなら、どう答えますか?
いろんな考え方があるとは思います。
大半の人は心の奥底で
「まぁ結局、お金のために働いているんだろうな」
と思うでしょう。
「私はお金のために働いてなんかいない!」
そんな声も聞こえてきそうです。
「では、一円ももらえなくても働きますか?」
ほとんどの人の答えは「ノー」でしょう。
少なからずお金のために働いているのが実情です。
さらに問いかけを続けましょう。
「もしあなたがお金を稼ぐ必要がなかったら、働かない?」
これは、働く人と働かない人と性格的に分かれそうですね。
あなたは、いかがでしょうか。
働かなくていいのに、働く?
私の知人から興味深い話を聞きました。
私の知人は、生活するのに十分な不労所得を得ました。
親からの相続で、働かなくてもよい生活を手にいれたのです。
しかし、結局働いています。
それも、以前に増して働いているのです。
なぜでしょう?
知人のように、働かなくても十分なお金を得ることができる人たちに
「なぜ働いているのか?」
と問うてみると、似たような返事が返ってきます。
生きがいのため
やりがいのため
達成感のため
世のため
人のため・・・
お金のために働く必要がなくなった途端、いろんなことを考えるそうです。
働かなくてよくなったが、何かが足りない。
退屈だ。
孤独だ。
これが求めていた生活とは思えない。
何かが足りない。
何かが・・・
人生で「足りないもの」
意外かもしれませんが、彼らは働かなくなってとにかく悩むそうです。
働かないでお金が入ってくる生活を望んでいたのに、
いざそのような生活になってみると、何かが足りない。
そして、悩みに悩んだ結果、あることに気づきます。
そうだ。
何か生きがいのようなものがなくなってしまっている。
生きがい。生きがいってなんだ??
今まで、お金のために働いて、毎日をなんとなく過ごしてきた。
しかし、今私は何のために生きている?
そして、その「生きがい」を得るために、また働きだすのです。
物事は、あらゆる手段に関して、目的を問いかけ続けていくと、最終的なゴールに辿りつきます。
なぜ働いているのか。
なぜこの会社を選んだのか。
自分自身にその問いかけを続けていくのです。
あなたの問いかけの果ては、何に辿りつくでしょうか。
あなたにとっての最終的な「ゴール」とは?
「お金」のための選択
子どものころは、お金に不安を感じることはありませんでした。
しかし、大人になってからは、お金がないと生活していけない、という不安が常にあります。
その不安を抱いてからは、お金のために働いて、お金のために仕事を選んで・・・お金のためにその都度、いろんな選択をしてきました。
私たちは「お金」翻弄されているといっても過言ではありません。
働く目的は、「お金のため」?
そのために人生のほとんどの時間を費やしてしまう?
あなたの「生きがい」って何?
自分の想いのもと、具体的な未来を描き、そのための手段を決めて実行する。
そうすると、同じ仕事でも、同じ作業でも「質」が違ってくるのかもしれません。
受動的に時間が過ぎていくか、能動的に時間を扱うか。
すべてはあなたの意識次第。
時間に操られるよりも、時間を操る人でありたいものです。
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