とある二世の苦悩

前回、あるコメンテーターの事件を受けてとても苦しい思いをして初めてこんな事を書いてみようと思った訳だが…

世の中は無情にも回っていく。
もうあまり事件のことも報道されなくなってきた。
胸が苦しくなるからあまり見たくはないが、これをきっかけになにかしなくちゃ、なにができるだろうと考え始めた私にとっては風化されない事件だ。

物心ついた時から我が家は両親ともに熱心な信者だった。
カルト教団と言えばそうかもしれないが、その宗教の人達は優しく愛に溢れていた。
某教団のように暴力的なことは無く、逆に全ての人たちを救いたいと考え、盗みや背徳行為を忌み嫌っていた。
清廉潔白であることを美とし、貧しいことも美としていた。
大手の会社に勤めていた父はその為、奉仕活動に専念するために仕事を辞めた。

全てが神のために、神の教えを知らない人たちのためにと毎日奉仕活動を続けていた。
多いときで月に90時間、その時間を仕事に費やしていたならもっと普通の生活ができたろうに、古い賃貸に住みいわゆる一般家庭よりも貧しい生活をしていた。
その中からも毎月の寄付は欠かさなかった。
集会所と呼ばれる場所には寄付箱が置かれ、強制ではなかったもののみながそこに寄付をしていた。

毎週3回行われる集会では、みなが聖書を開き2時間長老と呼ばれる人たちの話を真剣に聞く。
その中で手を挙げて発表をしたり、自分の経験談をインタビューという形で披露したりしていた。

幼いことからそれが日課だった為私はそれが異質な事だとは気が付かなかった。

それぐらい宗教を信仰している人たちや、家族にとっては宗教とは生活に溶け込むものなのだ。きっと山上容疑者もそうだったのではないだろうか。
これが普通、当たり前になっている生活の中で【何かがおかしい】そう思う瞬間が必ず訪れる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?