高校時代にできた「笑い」の呪縛:いじられキャラだった私は人を傷づけない笑いが好き
⚠️この文章はまとまりはありません。
とにかく、書く、書く、アウトプットするの
練習として使っています。
高校の時の友達と話をしている中で、
「いじり」についての話になりました。
私は高校生の時、いわゆる「いじられキャラ」でした。
ゆるキャラみたいな存在。
たまにいじられキャラではなく、
もはやおもちゃ扱いなのではと思う時もありました。
それは、主に男子生徒から始まったのですが、
その後は女子からもいじられるようになりました。
例えば、、、と例を書きたいところですが、
これを書いてしまうとあまりに特殊な、そして今考えるとあり得ないようないじり、遊ばれ方だったので書くのはやめておきます。
(文章化するのも難しい)
言葉だけではなく、行動でもいじられおもちゃ扱いされてた感じです。
文章化できそうな範囲でやっぱりちょっと書いてみます。
そうでないと、この後の話が余計に伝わらない気がするので、、、。
例えば、女子の友達と話をするようなオチのない話を、
男子にすると、「つまんな!!」「オチないのかよー!」と言われる。
(他の女子には言わない)
授業中にトイレ行ったら、クラス全体に聞こえるように
「うんちしてきたの?」と言われる。
「脚が太い」とか、「ブサイク」みたいな文脈でいじられる。
上記に書いたことは、いじりなのか何なのかわからないけれど、
私には何を言っても何をしてもいいみたいな空気が流れてたような気がします。
でも、いじられることをその時は面白いと思ってたし、面白くして、他の人が笑ってくれるのが嬉しかったです。
(たまに辛い時もありました)
そのおかげで(?)何事も、「面白くしないといけない」と思うようになり、
「面白いが正義」のような感覚になってきました。
その結果、別の悩ましい問題が出てきました。
先ほどに書いたような扱いを、一部の男子(クラスの中で目立っているような人たち)にされると、
他の男子たちも同じようないじりをしてくるようになりました。
でも、その人たちのいじり方は、全く面白くなかったのです。
いじり方が下手で、いじられた私が、火傷をするみたいな感覚になりました。(お笑い精神的な)
つまらないいじり方するなら、関わらないでほしい、
なぜか私がその人たちに向けて強気になっている時もありました。
そんな自分は好きじゃないと思いながらも止められなかったです。
ただ、そういったいじられ方があったから話すようになったクラスメイトもいたし、人の輪は広がった気がします。
そして、人を笑わせることが好きだとその時から思うようななりました。
でもその時の「笑い」は、自分を犠牲にする、
または人を少し(もしくはかなり?)傷つけるような形での
笑いの取り方が多かったです。
身体的な特徴や、見た目を揶揄して、「笑う」というのはどうしても
好きになれませんでした。
自己犠牲をしながら笑わせてるのも馬鹿馬鹿しく思ってました。
でも、やめられなかったです。
やめてしまったら、しらけてしまう、その状況が「つまらない」と
思ってたし、嫌われちゃうんじゃないかと少し怖かったです。
やめられないのも当然だよなと今振り返ると思います。
高校生の時は、高校の中でしたコミュニティがなくて、
そこで居場所がなくなったら、家以外での居場所がないも同然になってしまうから。
だから、耐えて、でも少し楽しみながらよく、くぐり抜けてきたなと、
今では思います。
そして、最近、そのいじりの中心に立ってた人に会う機会があったので、
私が傷ついていたこと、そして、そのいじりによって私に与えた影響を
伝えました。
どんなリアクションしていたかは忘れましたが、「伝えた」という事実が
自分にとっては、何かを回収できた気になりました。
今でも、笑うこと、笑わせることは好きです。
人から言われて嬉しいことランキング1位は「面白い」です。
そんな自分にさせてくれたのは間違いなく、
高校時代に出会った人たちです。
そこには感謝しています。
でも、これからは人を傷つけないような
笑いを極めていきたいです!
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