人間が好きだと思っていたが、実は嫌いだったらしい。
私は人間が好き
私は基本、人を嫌いだと感じることがない。
苦手だなと思う人がいても、なぜ私はこの人が苦手なのだろうか、
こんな人でも一つくらいは良いところがあるだろう、と考えて良いところを見つけようとする。
それでも見つからなかったときは、私ってこういうことに苦手と感じるんだな!自分が知らなかった苦手の特徴を教えてくれたと感謝をする。
これは意識ではなく自然と身についてた。
また、小さなことでも自分がされて嬉しいことがあったらその人を好きになってしまう。(恋愛という意味ではない)
そのため少し嫌なことがあっても、この人はこういういいところがあるからという考えになる。
悪いところではなく、良いところに目が行く。
(これが私の才能かもしれない💓)
人に言われて気づいた本当の自分
上記で述べたように、私は人を嫌いになることがほとんどない。
ある日、友人に「◯◯って優しいけど怖いよね」と言われた。
"え?私って怖い?こんなに優しいのに、、?"
私はこれまで人に怒りを表したことがない。友人が言うには何をしても怒らないため、いつか知らない間にいなくなっていそう。という意味の「怖い」だった。
確かに、当たりすぎている。嫌だと思っても自分が少し我慢すれば良い程度だったら大抵のことは自分の中に留める。
そして自分でもわからないタイミングで限度に達し、理由も告げずに一方的に距離を置いてしまう。
その子は私からみて、自分に正直で嫌なことは嫌、嫌なことをされたら口に出して怒るタイプの子だ。
子供のように人と真っ直ぐに向き合っている。そう思った。
私の優しさは人を想ってのことではなく、人と真剣に向き合うことから逃げることで生まれる産物なのだ。そして最後には見捨てるという酷な行為をするのである。
~優しい人は他人に期待していない~
また、友人が「優しい人は他人に期待をしないらしいから、○○は他人に期待をしていないんだね」とふざけながら嫌味っぽく言ってきた。
そこで私は人間が好きなのではなく、そもそも少し嫌いから入っているから、好きになるハードルが低いのだと分かった。
自分は”人間好きで優しい”と思っていたのが、”人間が嫌いで残酷”
真逆すぎて面白いと思った。
(捉え方は人それぞれでいい。真実は一つとは限らない)
私が嬉しいと感じること、それは知識が増えるときだ。
自分を知るということも一つの知識。
最近、自分の知らない自分を知る機会が多い。24年生きてきたが自分のことを何も知らなかった。これからゆっくり自分を知っていこう。
人に期待をしないなら自分にも期待をしない。
~本音を口に出せない私の独り言~
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?