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定年後に Le Petit Prince に再会する

 定年になったら何を始めるか。カレンダーのすべての曜日が、日曜日になる。そのことは、そう喜んでばかりはいられない。日曜は3連休か,せいぜい1週間も続けば,その後待っているのは,得体の知れない世界だ。
「何かやらなきゃ,誰にも会えない」のだ。仕事一辺倒でやって来たなら、尚更のこと。
 わたしは、以前から定年になったら、あの何度読んでも不可解な,星の王子さまをフランス語で読んでみたいと言うことだった。文法の分厚いのを2冊揃え、辞書は紙の小さい字ではもはやよく見えないので、電子辞書を買った。そうやって、約3年して、1回目が読めた。2回目が読めたのは,その半年後だった。それでも、未だ、星の王子さまは謎に満ちていた。

  私に刺さったこの疑問のカギは長らく解けませんでした。
私はパイロットが6歳の時に描いた、ウワバミが象を飲み込んだ絵を見せられても,到底それとは分からず、帽子でしょ。そう答えるに違いありません。
 また、星の王子さまってどんな人?と問われたら、4章にある様な「星の王子さまがいたことの証明。それは、あの人がうっとりするほど美しかったこと。そして、羊を一頭欲しがっていたこと。羊が欲しいと思ったら,それが、あの人がいたという証明なのです。」などと言えるでしょうか?
 いいえ、そして、そう言えないことが、なぜ、「人生を理解している」と言えないのでしょうか?
  
 ある日、22章を読んでいたときのことでした。
「-ずいぶん急いでいるね。何を探しているんだろうね?と王子が言いました。
 -列車に乗っている人も,それが分からないんだよ。と、ポイント切り替え人が言いました。
-乗客はだれも追いかけたりしないよ。みんなあそこで寝てるか,あくびをしているのさ。子ども達だけが窓ガラスに鼻を押しつけて,外を見ているね
-子ども達がだけが,自分が何を探しているのか知っているんだね。そう、王子は言いました。」
 この話がで,私が子どもの頃に電車に乗ったときのことを思い出しました。
「どうして,大人は窓の外の流れてゆくすごい景色を見てもなんとも思わないのでしょう?」大人になって、バス通勤で見た夏の風景は、海の上に雨を降らせている雲が美しくて、目を見張っていたときのことも、思い出しました。
 
 こうしたことが元になって、物をその目的だけで見ない見方、商品として扱うのではない見方、共同化をしない極めて主観的な世界の美しさを見つけました。自分しか分からない世界ですが、それは、多くの人の心底につながっている。それが、星の王子さまの世界なのではないかと思いました。

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