仕事を休んだ日

今日は仕事を休んだ。
厳密にいえば遅刻をしていく予定だった。

9月下旬、営業マンとして住宅街を歩き回っていた私は、突然出勤できなくなった。腕には広範囲の蕁麻疹のような湿疹。立ち眩み。涙。とりあえず出勤は見送って皮膚科に行くことにした。しかし、蕁麻疹の7割は原因不明であり、案の定私も原因不明でかゆみ止めの薬をもらってその日は終えた。

次の日から出勤できたが仕事に集中できない。腕にできていた湿疹は足にも広がり、集合体恐怖症の私にとっては塗り薬を塗ることさえしんどいぐらい広範囲にわたっていた。その次の日は早退した。さらに翌日は欠勤。何かがおかしい、と思った私は、高校生の時に患った精神疾患の再発を疑った。

精神科に行った。
診断結果は「適応障害」。
抗不安薬で治療をすることになった。

泣きながら支店の所長に報告した。
「とりあえず今日は帰って明日まで休みなさい。」
一人で営業活動もできるはずもなく、復帰しても同期や先輩の同行をさせてもらった。

翌週。もう一度病院を受診。欠勤が増えていたので診断書を提出することになったためだ。
「その後どうですか?」
「良くも悪くもなってないですね、胸のざわざわ感は無くならないです」
「お薬変えてみましょうか」

一番弱い抗うつ薬になった。
「薬も抗うつ薬使ってるので、会社に出す診断書はうつ病にしておきますね」
ホッとしたような悔しいような。
診察が終わり遅刻して出勤した。朝礼中だった。
朝礼後、診断書を所長に提出するために待機していた。一番仲のいい同期の顔を見た瞬間涙があふれた。オフィスを出て診断書を先にその子に見せた。泣く私に「しんどかったね、なんか私まで泣けてくるんだけど;;」と寄り添ってくれた。通りかかった先輩も話を聞いてくれた。

所長に泣きながら診断書を見せた。
「とりあえず期限を決めずに休みなさい。この状態で僕も営業に出なさいとは言えない。」

人事部と面談して10月いっぱい休むことになった。

11月1日。復帰できなかった。
起床時からの憂鬱感、立ち眩み、吐き気。
前日はあんなに体調良かったのに。
もやもやしながら過ごし、夕飯の準備をしていた21時半。

母からの電話。どうせ、ちゃんと仕事は行けたのか?体調はどうか?という連絡だろうと思っていた。
祖母の訃報だった。帰省中だった10月30日に見舞いに行ったばかりだった。

次の日実家にとんぼ返りした。その間、このまま実家に帰ろうか、無理して上京してまで仕事を続ける必要はあるのか。今回のような訃報のときすぐに病院に駆けつけられない状態がすごくもやもやしてしまったのだ。
とりあえず実家に帰っても仕事ができるような資格を取ろう。今の仕事は無理のない範囲で続けながら資格の勉強をしよう。そう決めて葬儀を終え実家から戻ったのであった。

翌週からやっと仕事復帰。職場の皆さんから「久しぶり~~!元気だった?楽しいことできた??」とあたたかい声をかけてもらった。その週は先輩や同期の営業に同行して仕事の感覚を取り戻す週になった。

そして昨日。一人で営業活動を再開。自分のペースで、のんびり行こう、と住宅街を歩き回っていた。
16時ごろ頭の左側に鈍痛がした。その後ずっと締め付けられるような痛み。2時間の残業をしたが、正直記憶は無い。帰宅しパンを2個食べ、布団から動けずそのまま寝た。
そして今日。目覚めても頭痛が続いていた。出勤の準備どころじゃない。
「頭痛と吐き気がすごいので病院に行ってから出勤します。」
そう所長に電話で伝え、病院を探した。午後からの診察の予約を取った。

自律神経の検査、MRI、電気治療。3時間ぐらい病院に居ただろうか。
特に大きい異常は見つからず、一安心。
緊張型頭痛とストレートネック。副交感神経の働きが弱くなっている。
チョコレート・チーズ・牛乳・ハム・ベーコンなどは片頭痛誘因になるから控えた方がいいそうだ。

「17時ごろから出勤します」
病院での検査内容と結果も併せて所長に連絡した。
「今日は無理しないでいいよ」

仕事を休んだ。うつ病の診断書に抑うつ気分、意欲低下のときは自宅療養を要する、と書いてあったからか。

10月は休んだから11月は休めない。しかし、まだうつ病の寛解はしておらず、周りと同じように働くことに難しさを感じているが、仕事に戻るからには他の社員と同じような仕事量を求めていることは所長からも告げられている。営業で何も利益を出せない社員は居る意味あるのか。結果を出すために出勤しないといけないが、その出勤が難しい状態。部署異動もできない。

精神科と脳神経外科の通院で体調万全の状態で仕事ができるようになればいいのだが。


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