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ゴッホ・アライブ展から受け取ったもの
言の葉というものは
とても便利である反面
すごく不自由なものだ。
その単語や表現の後ろに張り付いた
感情や背景、情景は
人によって微妙に(ときに、大きく)違うから
伝わっていく事柄は
こちらの意図なんてまるでお構い無しに
瞬間的に周りに染み込んでいく。
それを面白がれるほど、
わたしは人として成熟していないのだ。
日常的な会話でさえそうなのに
誰もが知っているような
人物や事柄について
自分なりの見解を発信することは
時として大きな誤解や軋轢を生み
見ず知らずの人でさえ
攻撃の対象とされる確率が上がる。
けれど。
その怖さを過剰に持ち続けて
発信したい気持ちをセーブすることは
自分に対する冒涜なんじゃないか。
そんなことを思った、
ゴッホ・アライブ展。
![](https://assets.st-note.com/img/1709186919595-BYpKiGOVO7.jpg?width=800)
苦しい。
展示を観たあと、
それが一番大きな感想だった。
思考
観念
感情
祈り
弟・テオへの手紙に綴られた文字と
カンバスに打ち付けられた色彩とで
ファン・ゴッホ自身の内なるコスモを視覚化する試みに
彼が全生命を捧げていたと感じられ
彼は
生きるために描き
綴り
愛し愛されることを
切望し
渇望し
その苦しく、狂おしくも
どこか鳥瞰図的な思考の濁流を
聴覚と視覚(あと嗅覚も)に
真っ向から打ち付けられたような
そんな展示会でした。
まさに、没入感。
わたしはわたしの等身大のログを残したい
そんな気付きを得た直後だったので
まさにそれを
37年という短い生涯で濃密に体現したような
ファン・ゴッホの思考に深く触れることは
些か刺激的過ぎた部分もあったけど
脳天に突き刺さる出来事だったように思います。
***
平日の午前中だと言うのに
なかなかの人の多さで
展示に没入できるまでには
少し時間がかかりました。
それでも、
ファン・ゴッホが画家として生きた10年ほどの世界へ
映像と音楽によって
運んでもらうことができました。
どんな展示会であっても
わたしは基本的に1人で行くのが好きなんだけど
この展示ほど、
一人になりたいと思ったものはないです。
そんなゴッホ・アライブ東京展は3月まで。
お近くの方でご興味のある方は、ぜひ。
おしまい。
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