・・・かもしれない、の話。

もし〇〇だったら、〇〇だったかもしれない。

そういう話はよく聞くけれど、私自身は自分の人生で、そんな風に思うことはこれまでほとんどなかった。

別に自分の人生が思い通りにいっていて、素晴らしいものだからというわではなく、過去を振り返ったり、自分に与えられた境遇を、今とは違うものだったら・・・と考えることは、ナンセンスだと思っているからだ。

考えてもどうにもならないことを考えるより、今の現状でできることを考える方がずっと有益!恐らくその考え方に、間違いはない。

だけど・・・

最近ちょっと、もし○○だったら…と考えることがある。それは、

私は子どもの頃から文章を書くことが好きだった。読書感想文なんて、みんなが嫌がるような夏休みの課題だけれど、自分が読んだものの感想を書くのって、すごく面白いと思っていた(人には言わないけれど)。それで、何度かは、コンテストの賞ももらったと思う。

絵も良く褒められた。同じく、何かの賞ももらった。習字も先生に、将来上手になる!と褒めらた。工作もとても好きだった。たぶん、芸術的なことが好きだったのだと思う。エレクトーンは嫌いだったので音楽的才能はなかったと思うけど。

だが、子どものころの私は、恐ろしくあまのじゃくだった。親や先生に褒められれば褒められるほど、そのことが嫌になった。お前に何がわかるねんと思っていた(そういうお前は何者や(笑))。親にも、絵や文章に関わることを勧められたが、徹底的に拒否していた。

そして、医療福祉、心理に関わることを選んだ。

でも・・・

今思えば、アートか文章に関わることを仕事にしていたらどうなっていたかなと、この50歳にして初めて思っている。

もちろん、世の中に才能のある人はめっちゃいるので、芸術家や、小説家になれる人は一握りだ。でも、メインの職種でなかったにしても、アート業界に関わる仕事、学芸員とか、ギャラリーオーナーとか、文章なら何かの雑誌の記者とか、編集者とか、周辺の仕事だってたくさんある。

この歳になって、アートってこんなに面白いのね、とか、やっぱり私は文章書くの好きだなぁってなってみれば、ああもっと何かできたんじゃないかなって、初めて思ってしまったりしている。

今からでもできるよ、ってそうかもしれない。でも、若い頃から携わるって、また違うものがあるでしょう。自分の世界が狭かったんだなぁと今気づいたのだ。

ただ、自分の世界が狭かったんなだって気づくことはいいことだと思う。なぜなら、今世界が広がったってことだから。

もし〇〇だったら、○○だったかも、と思えるのも歳を重ねた証拠かもしれない。自分の周りを見る余裕ができたんじゃないかと思ったりもするのである。

とはいえ、これから何ができるだろうか。
そう考えた時、私は来世を信じている人間でもあるので、来世思いっきり好きなことをしろよと、未来の自分に思う部分もある。とにかく、今世の後悔を残さないこと。今の自分にできることはそれぐらいかもしれない。

未来の自分は、芸術の端の端でも携われたらきっと幸せなんだと思うから、まぁここからでも、そっち目指していったろうやんかいさ、と思いつつ、この文章を書いている、今の私なのである。

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