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コーティングのジレンマ


ネットに文章を載せる以上
だらしない格好で人前に立たない。寝癖は治す。
くらいの礼節は持ちたいと思いつつ

いや、まだ足りないと
髪の毛をガチガチにセットして
服もバッチリキメて
香水も付けたりして
おまけに眉毛に色も付けたりなんかして、、

いや、でもこの髪型ちょっと変かも
服もなんだか組み合わせ微妙かも
香水つけすぎたかも
そんなことで気づけば時間が経っていたり、、

礼節を通り越して「かっこつけ」
に時間がかかっているような気分

自分のためにと
学んだことを素直に書こうと思いつつ

誰かに見られる事も気にしてしまい
コーティングに時間をかける

どうせ見られていないと思いつつ
ここ見られたらどうしようと思考を巡らす

そんなこんなで
出してきたいくつかの記事たち。

Noteでの言葉によって出来上がった
他者から見た
ネット上の「僕」は何者なんだろう

果たしてそれは「僕」なのか?

現実世界の僕は
欠陥品で
負の一面もたくさんある

そんなことを自覚して
それを出さないのは卑怯なことか?
と思いつつ

SNSってそういうところだし
負の一面もそんなに出す必要は
ないだろうと考えて

結局最後は
コーティングして良いよね。
と自分の行為を正当化する

毎日投稿をしていると、
そんな変な
意味のない
思考を巡らせる機会が増えてくる。

吐き出すことでスッキリ。

ネガティブな文章と見せつつ。

当の本人は今もなおヘラヘラしてるし

今日からの京都旅行が楽しみで仕方がない。


訳のわからないことを考えつつ
マイペースに続けていく。

これは僕なりの進め方だ

僕が大切にしている考え方の1つに

「良し悪しの判断を一旦留保する。」

というものがある。

コーティングの技術を上げながら
中身も熟していけば良いじゃん。

まだ熟してないイチゴでも
チョコでコーティングしたら
立派なイチゴチョコだ。

小学生の時に
亡き母親からもらった
イチゴチョコを思い出した。

中身のイチゴは酸っぱかったけど、
口の中には甘さが広がっていたことを
僕はまだ覚えている。




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