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岩手に移住して「何者か」になりたかった私

「 あいちゃん、垢抜けたよね。」

最近、なぜかよく言われるようになりました。東京に住んでるわけでもないのに、逆に岩手で?(笑)と思いながらも、( あ、岩手に失礼ですね.. すいません )確かに岩手に来てからの3年間はとても長くて、つらく大変で、まぁその分、垢抜けるぐらいにたくましく成長した濃すぎる3年間でした。
なんだか、「 岩手さよなら 」みたいな書き出しですが、今後も特に変わらず基本的に岩手に居る予定ですので、引き続きどうぞよろしくお願いします。

垢抜けたかな?笑

2021年はYOKOSAWA CAMPUSのカフェを作ることに奔走して、2022年はカフェを守っていくことに奔走した1年でした。( 現在進行形 )  なので、自分の中でも当時の自分の感情を忘れないように、そしてひとつの区切りとして、いま思うことをそのまま書き留めていきたいと思います。

YOKOSAWA CAMPUS 2022.5 OPEN

「何者」でもない自分への焦り

大学3年生になって、何者でもない自分に焦りを感じて、紫波町へインターンをしたのが、4年前の2018年。そして1年後、「 何者かになりたい 」という思いで岩手に移住し、2022年にカフェを始めました。
いま思い返すと、まちづくりという意識高めワードは自分があと一歩を踏み出す為の、一種の言い訳だったかもしれません。まちづくりには薄く興味はあったものの、社会のことよりも自分の将来を考えることで頭がいっぱいでした。何か行動を起こさないと、自分がなくなってしまいそうでとにかく怖かったです。大学3年生にもなると、自分の実力の範囲もわかってくるし、才能がないことも理解してきます。自分が凡人だということをうすうす理解はしていても、なかなか認めたくはなくて、だから行動した先の自分の未来に賭けることしか当時はできませんでした。

大学3年生 

当時は、どうして岩手に来たのかを聞かれる度に、「それは私も知りたいやつなんだよね。」と思っていました。不純ですが、とにかく行動し続けることで自分の居場所や岩手に居る目的を探していたような気もします。

あれ、もしかして、これが俗に言う「自分探し」なのか..?

不安の住処

岩手に移住して、3年と数ヶ月。時には弱音を吐きながらも、本当に色々な事をやりました。そのお陰でこの3年間は、講演やトークイベントでお話をする機会をたくさん頂いて、その度に「 南條さんの原動力はなんですか?」と沢山質問されました。が、聞かれる度に自分自身でも解答に困って、「だって、行動した方が人生楽しくないですか?✌︎('ω'✌︎ ) 」とがんばってギャルを召喚させていたのですが…。( 実際は全然ギャルじゃないので自分の中からギャルをひっぱり出せないため、天から呼び寄せてます。)

イベント沢山出店しました^^

今回改めて、このnoteを書くにあたり行動力の理由を考えてみることにしました。客観的に見ると、南條亜依はいつも挑戦していて、キラキラしてるような人に見えます。( 褒めすぎかな?)ですが、自分では行動力がある人だとは全然思っていません。行動している時は本当に無意識に始めていて… 正確にいうと、無意識に日々行動に移しすぎて、自覚がありませんでした。だから、「 行動力あるよね。」と言われて、「 え、わたしって行動力あるんだ…」と認識しました(笑)認識できなかった理由として、環境があります。外語大の友人は海外留学や、ワーキングホリーデーに行っている子がとても多いので、その子たちと比べると「 私なんて日本にいるし…。私も海外に行きたいけど、踏み出す勇気がないから羨ましい。 」と友人たちの行動力の方が羨ましいとさえ思ってます。友人たちの方が、行動力おばけです。私は、行動力がある訳ではなくて、「とにかく将来が不安 」だから行動してます。自信ありまくり!みたいな顔して登壇して喋ってますけど、基本的に真逆です。自己肯定感がとにかく低い(笑)というか、自分のイメージする自分の理想像が高すぎるせいでいつも満足できなくて、「ああ、もっと上手にできたよな〜… 」と反省する日々です。そんな自信がなさすぎる自分と今後もうまく共存していくための一つの策として、自分を認めてあげられるような知識と経験を積み上げていくことなのかなと思って行動しています。

何かしなきゃ!と思って英語プレコンなど出場

本当は毎日お庭で遊んで〜みたいな生活に憧れていますが、私の場合は毎日の目標がないと何をしていいのか分からなくて不安で生きていけないです。だから、自分が不安にならないように毎日の目標を作って、淡々と行動するしか解決策はないのかな?と思い日々、模索しながら生きることにしています。26歳になって周りを見渡してみると、私も含めて未来への指標が分からなくて悩んでいる人が本当に多いなと思います。私も実際は将来が不透明すぎるので、「 まぁ、どうにかなるでしょ!」なんて全然思ってないし、日々、不安と共存しながら生きてます。地方で稼いで生きていけるのだろうか。とか、毎日思いますね。不安すぎて寝れない日も稀にあります(笑)きっと何をしても、どんな対策をしても、不安は一生なくならないですが、小さくしたり、ないっぽい感じにする努力はできるんじゃないかなと思っています。実際は杞憂で終わることの方が多いって言うし、不安の9割は実際は起こらないんだよって、何かの本で読んだ気もします。ビジネスの場面では、特に資金計画を作ってる時とかはものすごく不安になりますけど 、( うわ〜10年後、36歳か…怖い…お金返せるかな…借金まみれだ…とか。)だけど、結局どう足掻いたって来年はどうなっているかわからないよな。と強く実感しています。いま自分がやりたいことををつきつめていった先で、やりたいことが変わっている可能性もあると思うので。だからこそ、あまり将来を考えすぎず、来月、再来月に向かって生きるように心がけています。

結果としてのまちづくり

大きな目標がなくても、今現在何をするべきか、今何をしたいのかが明確であれば自然と積み重なって道になると思います。ビジョンというと少し大袈裟に聞こえるかもしれないですが、それよりもっと今の自分の感覚的なものを重視して、「私に合うかも?行ってみたい」と思って足を運んだり。「いったん、数ヶ月だけやってみようかな 」と挑戦してみたり。そんな人たちが集まった結果、ひとつの事業やまちになっていくのがいわゆる「まちづくり」なのかな。なんて最近感じました。だから変化を定点観測しながら、ちょっとだけ先の未来を見るくらいの、小さなわくわくとか、「今やってみたい」気持ちを大事にしていきたいなと思います。

同時に、とても大事にしているのは「リスク回避」です。もしも失敗したら…? その時のための逃げ道はたくさん作っています。清水の舞台から飛び降りるつもりで岩手に来ていると思われがちですが、全然そんなことはないです。YOKOSAWA CAMPUSで言うと、カフェの経営は簡単ではないと予測はしていたので、2階部分はオフィスとして貸して、家賃収入を得ています。
私の発信を見て、「自分も起業したい!」という若い子から相談をよく頂きますが、「やめな?」と正直に言っています。私にとって起業はお金を借りる為の手段であって、目的ではありません。「女子大生社長」って言いたいかも?という不純な動機も少しはあったのですが(笑)私が起業して社長になったのは、YOKOSAWA CAMPUS を作るために、大家の横沢さんと賃貸借契約を結ぶ為と、銀行からお金を借り入れるためです。清水の舞台から飛び降りるつもりで挑戦したら、普通に死にます。ギリ骨折で済んだらいいですけど、メンタルやられると思います。
事業をする時は緻密な計画作りと、そして大胆な宣伝をすることが大切だと思います。つまりは、志と算盤(そろばん)の塩梅が大事です。

コミュニティの定義

最近なんだか、コミュニティ、コミュニティうるさいな〜と思ってます。私は、YOKOSAWA CAMPUSを「コミュニティカフェ」と言われるのが一番嫌いです。カフェが元々、人と人、人とまちの結節点であるのならば、コーヒーが美味しいのは当たり前だし、わざわざ主張する必要あるのかな?と思います。コーヒー美味しいね!とよく言っていただきますが(笑)コーヒーの味にこだわるのは、私なりのコミュニティカフェに対するアンチテーゼです。いつから「コミュニティカフェ」という不思議な言葉が生まれたのたのでしょうか。「コミュニティ」という前置きがないと、人々は繋がることができなくなってしまったのかな… 希薄な社会がそう言わざるを得なくなってしまったのかな…と思い、少し寂しいような気がします。

コミュニティを作る為のカフェなんて正直ダサいと思います。私は、繋がりを作る為にカフェを始めた訳ではありません。そして、コミュニティを作っている意識もありません。美味しいコーヒーが飲めるカフェがある。ただそれだけだけれど、それが一番大事で、人々はそれを求めているのかもしれないと思います。たとえばカフェに来て、かかっているBGMに反応して、好きな音楽の話に発展する。コミュニティは、好きの集合体の副産物であり、結果であると思います。「コミュニティを作りたい!」という気持ちが出すぎているから「コミュニティカフェ」になってしまうのだと思います。セミナーとか、何かないと行っちゃいけない場にはしたくないな〜とずっと思っていて。目的がなくても行っていい場所、それがカフェだと思います。

記号的消費 

モノが溢れるこの時代に、モノを買うという消費行動は都会でも地方でも難しさを極めていて、モノを買う時代から、ストーリーを買う時代になりました。消費という行動が、社会的な意味を持つものになっている中で、「誰が作っていて」「どこで作っていて」「なぜつくっているのか」という記号は、すでに消費者にとっての最低の基準になっているなと実感しています。地方において、それはすごく顕著だなと日々見せつけられていて。通販や大型ショッピングモールの台頭で、どこにいてもモノが手に入るこの時代に、わざわざ商店街や個人のお店に足を運ぶための文化的な意味を消費者は求めているし、店側は文化を発信することで物を売り、生きていかなければいけないと思います。YOKOSAWA CAMPUSから始まり、今後空き家をリノベーションしていくにあたって、家賃を払ってまで、お店を持つことの意味を事業として提示なければいけないな。と思い、日々奔走中です。

満面の笑みですね^^

お店がある、というのは私にとってとても重要なことです。岩手に来てから、圧倒的に通販を利用する回数が増えました。(笑)東京にいた時は、能動的に探さなくても、店側が新しい価値や、トレンドを与えてくれていて… 東京にいるだけで、様々な情報が降ってきていました。それが自分の感性や価値観に影響を与えていたのだなと今になって理解しました。そして、東京のキラキラはきっとそれです。東京のそれと反対に、岩手では能動的に動き、自分から探さないと何もふってこない、何もわからないという状態になります。カフェをはじめ、美容院、ネイルサロン等々…いつも血眼になって探しています。おかげで、すごく詳しくなりましたが(笑)能動的な消費は、価値観が偏ってしまうなと思って、少し怖いです。私は、色々な価値観や文化に触れたい、歳を重ねても触れ続けていたい。やはり、お店は情報発信拠点です。だから、私はこの時代でも、お店を増やしたいなと思います。

見せ方が全て

「 事業は1つのメディアである」という表現はよく耳にしていたワードですが、事業を始めてからやっとその意味を理解しました。事業を構築することは、私を表現することに繋がる。目には見えない空気感を可視化して伝える為に、ハードを整備して、事業に落とし込む。あまりにも社会的すぎて伝わらない文脈を、ハードを整備することで日常に落とし込む。だからこそ、抜かりなく。淡々と見せ方と見え方を研究していかなければいけないと思います。私の見せ方がうまいと言いたい訳ではないですが…まぁ、少しは言ってもいいかなと思いますが(笑)様々な事業やお店などの情報発信を見ていると見せ方が下手なところが多いなと思います。( 上から目線ですみません )社会的にすごく良いことをしているのに伝わらない、またはダイレクトに伝えすぎてひかれるというパターンを沢山見てきました。

見せ方が9割

YOKOSAWA CAMPUSで言うと、社会的なもの(まちづくり・空き家問題 等 )をカモフラージュするためにカフェを作りました。カフェができるまでの2年は、YOKOSAWA CAMPUSでイベントを開催したり、コワーキングスペースの運営をしていましたが、どこか胡散臭いな…と自分でも思っていて、というか絶対に「 意識高い人が行く場所 」と思われてるだろうなと認識していました。意識高いと思われることが嫌な訳ではなくて、意識高いと思われることで人々が関わるハードルがぐっとあがってしまうことが、とてつもなく嫌でした。いくらポップなイベントを開催したところで、その嫌だなという私の感覚は拭えなくて…。どうすればよいのかと日々悶々と考える中で、理想の自分との乖離で戦っている行動力南條が現れました(笑)目的がなくても来ていい場所として、やはりお店が大事であると再認識した結果、また銀行から借入れして、去る5月にカフェが完成しました。この時ばかりは、自己肯定感低い自分ありがとう。と思いました。

うん、あの時のわたしありがとう。

前述したように、地方ではお店に足を運ぶまでにはいくつかの障壁があるので、メディアを通しての「見せ方」や「伝え方」にこだわらなければいけないと思います。地方こそブランディングに一番力をいれなければいけないと思うのですが、優先順位が圧倒的に低いな…ぐぬぬと思うこの頃です。

価値観の変容

この文章をつらつらと書きながら、1年前に自分が考えていたこと、感じていた事とのギャップに自分自身が驚いています。先日久しぶりに東京に行ったのですが、その時もなんだか東京の見え方が変わっていて、自分の価値観が大きく変わっていることに気がつきました。YOKOSAWA CAMPUSがカフェになったことで、自営業者として考えることも増え、付き合う人たちが変わったのが大きいと思います。
事業を始めるなかで、「事業のコンセプトは?」「なぜこのデザインなのか?」「目的は?」「ターゲットは?」と聞かれる回数が増えたのと同時にそれに回答する為の自分の感性とビジョンをしっかりと言語化する練習を沢山してきました。その時初めて、私はいままで雰囲気で、ものごとを捉えていたことに気付かされました。東京に行った時も「このお店はどういう発信をしているのだろうか。」「誰がどういう思いでやっているのだろうか。」という今までの私とは違う見方で東京を見ているなと思いました。大学生の時なんて、根拠のない「かわいい!」だけで生きていましたね。コンセプトがないお店、つまり作り手の愛がないお店はただ消費され、意味を見出せず続かないし、何よりもまず、私は行きません。愛がない店づくりはお客さんにもすごく伝わってしまうので、事業をやる上では、ひとつひとつ気をつけたい部分です。

多分、東京。多分、隅田川?

カフェを始めてやっと、お店をやっている人になったことでお店をやっている人と同じ土俵に上がれたのがすごく嬉しいです。同じ目線で話をしたり、一緒に悩んだりできるようになったのがすごく楽しいなと思っています。
何者かになりたいと思っていた大学生の私が、お店をやっている人になったことで変わったことは、周りに説明しやすくなったのと、周りからの信頼度?が上がったことです。ここで言う信頼は、イベントを企画している南條亜依(カフェができる前のわたし )よりも、カフェやっている南條亜依の方が対外的に職業がわかりやすいので、人とのコミュニケーションが取りやすいという意味です。特に地方においては、店をやってる人の方が実態が見えるので、おじいちゃんやおばあちゃんにも説明しやすくて、心の距離が近くなる気がしています。カフェを始めるまでに、3年もかかりましたが、カフェを作ったことでやっと何者かになれました。みんなが知っている固有名詞を言えるのはすごく説明しやすいので、楽?だなと思います。誰かに説明する時の手段として、言える言葉があるということは、自分の心がすごく楽になるな〜と気づきました。

よこきゃん作ってよかったこと

YOKOSAWA CAMPUSは、みんなから「よこきゃん」と呼ばれています。よこきゃんを作ってよかったことは、実績と経験になったことですね。終わりみたいな言い方ですけど(笑)よこきゃんをやったことで、発注レベルで知らなかったことが次々にふりかかってきて... 設計の依頼、融資相談、保健所への申請、消防への確認、減額案の作成、イベントの開催、古物商の申請、法務局への申請、労基署への提出、等々。家なんて建てたことも、事業をしたこともない若者が何もわからない状態で全てをこなすのは本当に大変でした。毎日、色々な人に聞いたり検索したり。しんどくて、泣きました。(1年目はよく泣きました。笑 )ときに、社会から搾取されながらも、頑張った訳ですが、ああ、経験って本当に大事なんだなと毎日反省する日々でした。大人達が口を揃えて、「一度社会に出て経験を積んでから独立しろ。」と言う理由を身をもって体験し、理解した1年でした。ありがとう、よこきゃん。経験がある or ないではモノごとを進められるスピード、プロジェクトの完成度が圧倒的に違います。私のように、荊棘の道を突き進むのもよいですが(笑)怪我しますよ。怪我をしないように、しっかりと武器を身につけてください。勢いも大切ですが、しっかりと経験を積むこと、準備を沢山することが大切です。何より経験は自信に繋がるので、自信がつくまで経験してください。

まぁ、そんな感じで色々していたら、あの商店建築に載りました。歓喜。

あの商店建築に載りました。涙

よこきゃんを作った私は、ある程度の経験を積んだので、次の事業はもっと完成度の高いものを作れると思います。経験を積ませてくれてありがとう、よこきゃん。そして、もっと大きい規模の事業をしなくてよかったな、と反省(笑)2年前の南條亜依は、もう少し尖っていたので「 私ならもっと大きいことやれる!」と謎の自信があり、本当に謎ですね。若さって怖いです…。YOKOSAWA CAMPUS以外にもう一つ、プロジェクトに手を出そうとしていたのですが、やめて本当に良かったです。 絶対に中途半端になっていたことでしょう。よこきゃんのサイズでよかったなと今になって思います。事業する時に「まずは小さく」という言葉は、本当にその通りです。

悩める子羊に向けて

最近、友達と話をしたり、社会を見ていると何者かにならないと、生きにくい時代のように見えます。自分に何が向いてるのか?何をしたいのか?というのは考えても考えても悩むばかりで、迷宮入りしてしまいます。自分の好きなことや、やりたいことは頭の中で考えていても結局自分の知識や経験の中からしか答えを探せないです。だから、見つけるためには、もうやるしかないです。新たなことに挑戦してみることで、自分の枠を超えたところに答えが見つかることがあると思います。だからこそ、まずはなんでもいいので小さく始めてみること、そして続けること。その結果、肩書きが生まれるのではないかなと思います。それは職業ではなくて、屋号やお店の名前だったりするかもしれない。

岩手に限らず、地方にいるとフリーランスの人や自営業、フリーターの人は圧倒的に少ない。その環境が、さらに不安を増幅させて中々踏み出せないよな…と岩手に来て感じました。安定した環境にいると、その生活に慣れてしまって飛び出すのはすごく怖くなってくる。実際私もカフェを始めるまでは、本当に怖かったです。周囲が会社員しかいない環境と相まって、本当に私は食べていけるのだろうか。お客さん来なかったらどうしよう。借金返せなかったらどうしよう。と毎日不安で、資金繰り表を眺める日々を過ごしていました。(笑)だけど、実際にカフェを始めたことで、カフェを経営している人や自営業の人と話す機会ができ、環境が変わり、おや?意外とやっていけるかも?と思い始めました。みんなでやれば怖くないぞ。という風潮を巻き起こせるよう、まずは私ががんばることで、周りを巻き込めたらいいなと思います。そして、あいちゃんが生きていけてるなら、私もやれそう!と思われるような存在になりたいです。

抱負

あけおめしたのが、3ヶ月前ぐらい感覚なのにもう年末か。と時間の流れの速さに驚愕しながらも、この3年はほんとーーーに、長くて... 。時に、くじけそうになりましたが、恵まれた環境のおかげでなんとかやってこれました。支えてくださったみなさん、本当に、ありがとうございました。本当に本当に私は環境に恵まれていると思います。そして、それが私がいま岩手にいる理由です。

㊙︎ 進行中のプロジェクト

気づけばなんだか沢山書いてしまいましたが、振り返ってみると、この激動の1年はとてもたのしかったです。関わってくださったみなさんありがとうございました!2023年は、より堅実にシビアにトライしていきます。今後、どうなっていくのか自分でも楽しみです。2023年はもっと遠くに行けたらいいなと思います。海外も久しぶりに行きたいですね。

ということで、2022年も大変お世話になりました。
2023年もどうぞよろしくお願いします。

来年もよろしくお願いします!ಠ_ಠ

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