見出し画像

海のある街、運命の場所

#わたしと海

私は海のある街で生まれ、記憶もないうちに隣県の内陸部へ移り住み、
それからずっとそこで育った。
私にとっての故郷は生まれた場所よりも青春を過ごしたその街で、大好きな場所。私はそこから出ようとはせず、
大学も就職先も「地元」を最優先に選んで、
とにかくずっとずっとそこで暮らしていた。
海まではどの方角へ行っても2〜3時間かかる。
でもなぜか海(や、水族館)が大好きで、
それは生まれた頃の記憶、ないしは胎内記憶によるものかも、なんて思っていた。

結婚したときもその内陸部の“地元”に住んでいた。
が、しかし、お相手は全く違う土地に生まれ、たまたまそこで出会った転勤族。
子供二人も地元で産んだ。が、私は34歳の誕生日を目前にして、夫の転勤により、(記憶の範疇では)生まれて初めて地元を出ることになるのである。

行き先は青森県青森市。
つがる〜かいきょう〜ふゆげしき〜〜
最初に湧いたイメージは、海というより雪。
ちなみに私が生まれたのは実は青森県八戸市。(同県だが似て非なる土地である。今はそのへんは割愛)
弘前市には何度か花見に訪れた。
青森市って、県庁所在地だけれどどんな街かあんまり知らないな。
でも、あんなに地元にこだわって生きてきたはずなのに、
なぜかワクワクして、あ、ここなら大丈夫、って直感で思った。

そしてもちろん、海、近いじゃん って心がニヤリとした。


引っ越して数日後。早速子供2人を連れて海を見に行った。
運転苦手、地元を出たこともなく、その地元ですら決まった道しか通らないような私が驚きの行動力である。
人見知りのくせにためらわずにコンビニで駐車場について聞いた。
地元民じゃないとすぐに分かったのだろう、とても親切にしてくれた。
いつも、津軽弁は耳に心地よく、心に温かく沁み入る。
この街には直感通り、私を動かす何かがあった。

言わずもがな海は私を癒やし、掻き立て、包んだ。
なんともいえない、これがエモいっちゅうやつか、
海を見て波の音を聴いていると、スンっと神経細胞の先の先まで風が通る。
それでいてふわっと眠くなるような、赤ちゃんみたいな気持ちにもなる。

それから私は毎日毎日海を見に…行って暮らしたわけではない。
それは私が旅ではなくここに“暮らして”いるからだ。
もちろん夏にはもう少し先の海水浴場まで足を伸ばして、毎週のように家族で海に入った。陽がおちるまで海で遊んで、温泉に浸かって帰るのだ。
子どもたちはフェリー埠頭で海を見ながら自転車の練習をした。
日常に、当たり前に海がすぐそばにある。
私たちの住む街には、海がある!
あまりにも贅沢で幸福だった。
コロナ禍で出かけなくなっても、時おり海の前で深呼吸をした。

しかしそんな日々は3年も続かず、
私たち家族は今また海のないところに住んでいる。
数時間かければ海へは行ける。
これまで数か所訪れた海は、どれも素晴らしくて海が好きなことには変わりないけれど、
青森の海は私にとって特別だ。何故かはわからないけれど。
それもわざわざ訪れるのではなく、いつもそばにあったあの海は唯一無二だ。

いつかまた海のそばで暮らしたい。
願わくばあの海のそばで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?