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「セックスで何が大事なことですか」と知りたい人へ

Q,「セックスにおいて大事なことはなんですか?」
A,

19歳の私「都合よくセックスできること、面倒じゃないと尚可」
21歳の私「身体の相性、あとは仕事だったらなんでもいい」
23歳の私「             」

何人とセックスしたかは覚えてないが、確実に普通の人間より経験は多い。
セックスが趣味だったときもあるし、仕事だったときもある。ここ何年かの人生で切っても切り離せないものの1つであった。

女優をやっているとき「どうやったら気持ち良いセックスができますか」「セックスで一番大事なことは何ですか」とよく尋ねられていた。聞いてくる相手の性別や年齢関係は様々で、内容に差異はあるものの、”みんなセックスについて悩んでるんだな”というのが正直な感想だった。確かに誰も教えてくれないし、分かりやすい教科書が存在しないので、それは当たり前のことだろう。

きっと「どんなテクニックの話をしてくれるんだろう」とわくわくしている読者の方もいるかもしれないが、今日はそんな陳腐な講座をやるわけではない。私の経験の中で感じたセックスにおいて一番大事だと思うことについて話していきたい。

今の私が思う一番大事なこと、

「すり減るようなセックスをしないこと」それに尽きる。
セックスが感情の表現ではなく、何かの目的を達成するための単なる手段となってしまうと、感情や身体は徐々に鈍化していくからだ。

少し私の話をしようと思う。
私の鈍化の症状としてあげるならば、”セックスにちゃんと参加できなくなる”といったところだろうか。
どこか撮影のときと同じで、第三者の目線から自分のセックスについて俯瞰してみてしまう。そこにカメラはないはずなのにどこかで気にしてしまう、何度も同じことを繰り返してきた脳みそにはそれが叩き込まれてしまっているのだろう。相手に尽くしていると言えば聞こえはいいが、私にとっては仕事とプライベート何一つ変わらない。
以前付き合っていた人から「セックス、完璧だよね。つくりものみたい。」と言われたことがある。彼にとっての真意は分からないが、一つはっきりとしているのは私にとっては地獄みたいな言葉であったということ。「お前はもう感情の伴わない、理性的なセックスしかできない」と突き付けられたのも同然であった。

昨年引退して、日常的にセックスをすることがなくなった。
私は愛が介在しない場合においての理想のセックスのシナリオを演じきることは可能ではある。「こうすればいい」が身体に沁みついているのですごく簡単な作業だ。
AV女優とセックスしてみたい人間は多くいる。それは単純に自らの実績にしたいという欲求や、「慣れているから(もっと付け加えるならば後腐れしにくそうだから)」欲望のはけ口にしやすいという愚かな考えからだろう。もちろんそんな人間は私の周りにもいる。
正直なところ、昔は断る労力を考えたら、黙って事が終わるのを待つ方が簡単だと思っていた。しつこく粘られるくらいなら、15分で全てを終わらせる方が怖くないと感じていたし、撮影の尺から考えたら余裕だなと思うほどであった。そうやって自己決定の諦めを積み重ねていっていた。この話をして「だから私は被害者なんだ、男が憎い」とは思っていない。むしろそのような選択肢を選んだ自分自身に対して憐れみを持っているだけである。

今はむしろ逆だ。自分の身体が自分のものである感覚が頭の先から爪の先まで張り巡らされていて、嫌なものに嫌と意思表示ができるようになった。そのようになったきっかけは色々あるが、引退したときに「ああ、自分の好きなことだけできるんだ」と安堵した瞬間に何となくそれを理解した。それ以降は好きな相手としかしないと決めている。相手に対して愛がなければ、感情も身体も何一つ動かないことを身に染みて分かっているからだ。

私の話はかなり極端な例だとしても、
自分が望まないセックスに対してちゃんと意志表示ができているだろうか。
仕事であれば当然対価が発生するのだからしょうがないとして、それ以外の、普通の場合において、気分がのらないときやちょっと嫌だなと感じる時は断って良い。それが恋人であろうが、初対面の人だろうが、立場上断りにくい人であってもだ。

たかがセックスひとつ断ったぐらいで、機嫌が悪くなったり関係性に亀裂が入ったりするようならば、その程度の浅はかな関係か、それか相手が”自分の身体の所有権・自己決定権は自分にある”ということを理解できていない未熟な人間であるというだけだ。

感情じゃない義務感で行うセックスほどすり減るものはない。
そしてそんなセックスですり減ったものは簡単には取り返せない。
セックスで傷ついた心はセックスで取り返すことは難しい。
むしろ取り返そうと同じことを重ねていくうちに、溝は埋まることがなく、
どんどん深くなるばかりだ。


セックスが手段に変わる前に気がつく人が増えてほしい、
そう願うばかりである。

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