AIの遺電子 RED QUEEN
本日は、「AIの遺伝子 RED QUEEN」について書いていきます。
以前にも読んだのですが、4巻、5巻あたりを重点的に読み返して思ったことを書きます。
以下ネタバレを含みます。
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たぶんこの作品の大きな対立軸は、
循環的な安定 vs 競争的な発展
だと思う。
最後のヒカルの決断やMICHIとフェスタの会話を見ていると、ことこの
RED QUEENでは、人の中で変化した意思が世の中をかえること=進歩(進化)のすばらさしさを伝えたかったのだと思う。
でもこれは、循環的的な安定を否定するものでもないとも思う。最後のページでは「循環的な安定を終わらせる」と書いてるが、循環的な安定が破壊されるかはわからない。そこには一種の両立させたい願望があるのだと思う。
最後は不死化したヒカルという“人間”によって未来が決められている。
考えてみると分岐して2人になったヒカルは対照的なその後を辿っている。
そして、人としてのヒカルが、リサと一緒に過ごした循環的な安定世界の最後に下した決断が上で書いた決断だ。ここで、この決断が下されるまでに長い時間がかかっているところが言葉で言い表せないが妙に納得できる気がしている。
そして、忘れてはいけないのが、これが「AIの遺電子」に続く続編だということだ。あの作品では、常に循環的な安定世界の人々やヒューマノイドの営みの美しさというものを描いてきた。今作でそれを否定したとは思えない。
そこを絶妙に完結させたところに驚きを隠せないし、何か言葉で表せないものがある。
すこし話を身近な例?で一考。
自分自身で考えてみると、なにか成し遂げたいために頑張っている時に喜びと家族や友達、恋人と一緒にいるときの喜びは全く同じものではないと思う。これは長い時間軸でみると両立できるけど、全く同じ時間でこの2つの喜びを両立は出来ないと思う。
これが超マクロの話になった時に、両立させたいという願望がこの作品にはあるのだと思う。