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(仮)私の介護メモ#51

介護メモ#50を書きかけで置きっぱなしにしているので、とりあえずこのタイトルです。

コロナ禍になって3年半が経ち、日本はマスク規制が撤廃され、いろいろ規制が取っ払われている。
でも、第9波が来ているかもとも言われていて、ここへ来てまた元に戻るのか、ちょっと冷や冷やした。
それと言うのも、先日届いた母の介護施設からの手紙に面会方法の変更のお知らせがあった。

まだ、施設の室内では時間制限と人数制限、マスク対応があるものの、大幅に自由化されたのだ。

第9波の話もニュースやワイドショーで言っているので、気になって、母の面倒臭い書類申請のついでに聞いた。
「今度から面会自由に出来るんですよね?」って。
念を押した形だが、面会自由化は本当だった。

その帰り、施設内の駐車場で蝉の鳴き声を今年初めて聞いた。空耳かと思った6月29日の昼下がり。

蝉の鳴き声は空耳ではなかった。

7月3日(月)スッキリと晴れて予想最高気温が30度越え。
意気揚々とメイクして、身なりを整えて黄色いワンピースに白いパンツを履いて母の施設に出かけた。手には紙袋いっぱいのプリン、水羊羹、果物ゼリー。

誤嚥性肺炎要注意で、重度認知症、寝たきりの母は要介護5になって4年になる。
特別養護老人ホームに入って4年半が過ぎた。
最初は歩行器も使ってギリギリ歩き回っていたけど、施設内の徘徊も酷かったし、今思い出しても大変だった記憶しかない。
2019年年末の入院までは暴れるので身体拘束もされていた。したくないけどさ、介護してくれる看護師さんに暴れて暴力暴言酷くて、怪我させるのではと冷や冷やした。
認知症とそこからくる精神的な不安定さで暴力暴言があって精神病院に入院して、心が落ち着き暴れないようにするため、薬の調節をしたけど、ほぼ寝たきりとなった今は量が多かった精神薬を減らし始めたそうだ。

でも、そうすると暴れはしないがベッドから起きあがろうとして、ベッドから落ちそうになる。本人の気力はまだまだあるのだ。
かなり認知症は進んでいるけど。

面会して、一方的に話しかける。
「元気だった?私は元気よー。久しぶりだねー。旦那は元気よー。旦那は今大阪で出張中で忙しいから来られないのよ。外は天気は良いけど暑くて暑くてー」そんな感じ。
「私のこと分かる?(本名)よー」と声を掛けると「○○○!」と一言言うともう声も出さなくなった。
まあ、声を出すのも今は珍しいんだけどね。
話の途中(私が一方的に話し続けているんだけど)何度か顔を枕から上げてこっちを見る。足はベッドからはみ出て体が斜めになる。
それを何度か大勢を整える。
そんな30分だった。

面会が難しい期間中に母の部屋は別の部屋に変わり、部屋に設置されているタンスの中をチェックするとなんだか冬物ばかりで夏物が無い。
あんなにあったのに。
帰る時、また夏物、次に買ってくるねと伝えて別れた。

今まで担当してくれたケアマネさんが、別の部署に配置転換になると話してくれた。
その話で私の難病がもう一つ増えるかもとお話ししておいた。

介護としては、以前のがっつり介護では無くなって、私が直接介護するわけでは無くなったけど、今でも母の介護に関わる面倒臭い書類は書いている。

ぼんやり思うんだ。
あの面倒臭い書類。万が一私が死んだら旦那や子供達に書いてもらうのかしら。
ゾッとする。
ああ言う書類を省けるように、マイナンバーカード頑張れ。デジタル大臣、厚労省、市役所区役所、お役人さん、頑張れ。明日は我が身だぞ!頑張れと心の中で思う。

そして、義姉が「お義母さんの面倒臭い書類全部私書いてる!!」って言った声の悲壮感。
うん。知ってる。私も書いてるから。
と、心の中で反芻する。

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