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「i」私はこの世界に存在している。

「i」(西加奈子 2016)

   読んでいて興味深いところが多い作品だった。たくさんの目的論的思考が出てきて、自分の正直な気持ちを知る怖さだったり、残酷さを再認識できた。

・境遇について
   まず読んでいて考えたのは人それぞれの境遇についてだった。知らないことは知らないし、同じ体験をしていないことには、その人の境遇や感情を完全に理解したことにはならない。同情はたんなる同情にしかならない。けれど相手の気持ちを想像することは可能であり、相手を想って想像することに意味があるのではないか。想像し、相手を想いやることが重要なのではないか。本文にあった「想像しない事には、その人たちが存在していたことにはならない」という文章。そこまでは言わないとしても、世界中の様々な人のことを考えて悲しむこと。それな無理に悲しむことも、悲しむことしかできない無力さを恥ずかしく思うことも必要はないけれど、ただ人を想うこと自体が大切な感情で、それを踏まえた上で、今自分のもとにある人生と、周りの人からの愛情を感謝して認めることがなによりも大事なのではないかということをこの本は伝えたいのだと思う。

・「人には人の地獄がある」
   小説の主人公はシリアの養子であるアイだ。アイは血のつながっていないアメリカ人の父親と日本人の母親をもっている。そして長いことアイは事実上の血のつながった親でない2人との関係性を悩んできた。そして血のつながった家族をもつ友人のミナを羨んだ。 ミナはアイの養子である辛さを完全には理解することが出来ない。しかし、同様にアイは血のつながった親子の関係性の苦しさを理解することができない。ミナの場合、親に人生を全て選択される恐怖と怒りをもっていた。このような対立をアイは羨んだが、アイのように親から愛されてるかどうか不安に思うことも血が繋がっていてる親を持つ子どもにも同様に起こりうることだ。アイはそのような、血の繋がっている親に対してでさえ、自分が愛されているかどうかを疑う辛さを知らない。
 私は、血のつながった家族を持つ全ての人がこれを思う訳では無いとおもうが、少なくとも私は思ったことがある。血が繋がっているという“だけ”で私は家族から愛される対象になるのか?こんなにも迷惑をかけ、費用も、苦労もかかる子どもを愛することができるのか?(または、本当に望まれている存在なのか)という疑いを感じることがあった。この疑いはまた、私が子供を欲しがらないことからも来ている考えであるように思う。私が自分自身の子供だったら、すぐに嫌気がさすだろうから。私みたいな子供が生まれてきたとき、愛し続けられる自信が微塵もないからだ。誰かが私に、「生まれてきた子供を見たら、そんなこと思わないはずだ」と言うのならば、「その賭けにのるほど、命は軽くない」と私は言いたい。

・愛され、愛すること
    そしてこの本は、命が誕生すること、そしてその子が愛され、その愛情をまた人に分け与えることが生きるという行為の中の最も美しい部分なのではないかと感じられる。「人は生まれてからもらった愛情の分だけ、また人に分け与えることができる」と、聞いたことがある。もちろん、これは科学的根拠のあるものではない。しかし、十分に愛されることが連鎖的に人に良い影響を与えていくということが理解できるだろう。この小説は人間の感情の醜さ、脆さ、傲慢さを表しているが、同様にこのような人間の存在の美しさ、尊さも伝えてくれていると感じた。

    小説内に出てくる事故事件は世界中のものだが、読んだあとはきっと自分自身についてや、個人的な周りの身近な大事な人について考えるだろう。そしてそんな相手を思いっきり抱きしめたいと思えるはずだ。私は母に、産んでくれて、そして愛してくれてありがとうと伝えたい、という思いで読了することができた。

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