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母と電話をした翌朝は元気がありません。

椅子に腰掛けるより、床に胡座をかくほうがいい。そのほうが落ち着く。
扇風機のスイッチを入れて、ひんやりとした壁にもたれかかって腰を下ろした。
愛犬が私のお腹の上にゴソゴソ乗っかってきて、そのまま気持ちよさそうに昼寝を始める。かわいくて、あったかい。いつか死ぬときは、この状態で死ねたらいいと思う。

今朝起きて鏡を見ると、左目の半分が赤く充血していた。何かストレスを感じて考え込んだ翌日は、よくこうなる。
まぶたの奥が重たくてボーッとする。体に力が入らなくて、何となく元気が出ない。

きっと、昨日、母親と電話で話したせいだと思う。
普段から、母とは一定の距離を取りながら接するようにしている。物理的な距離は十分過ぎるほどで、実際に会えるのは年に一度か二度のことだし、今年はコロナや水害のせいでおそらく家族に会うことはできない。その分、最近は母と電話で話をする機会が増えている。

子供の頃からそうなのだけど、母と話していると、精神的に追い込まれることがよくある。
母の話は、いつも一方的で、相手の気持ちや状況は尊重されない。
私は母の子供ではあるけれど、子供は常に母親の味方であり不満の捌け口でなければならないのだろうか。そんな気持ちを子供の頃から抱え続けている。

母の言葉や感情は、時に弾丸のように、私の心を責め立てる。
すると、段々と、私が悪いのかな…私のせいかもしれない…と思い始めてしまう。もうその話は聞きたくない…もうやめてほしい…そうしてやっと電話を切る頃には、心も体も疲弊しきっている。

母にも悩みや不満があるだろうし、できる範囲で分かってあげたいと思う。母と向き合うと、しんどいことのほうが多いけれど、母のことを恨んだり嫌いになったりはしない。

だけど、母の言葉や感情に、疲れ切るまで振り回されてはいけない。そう分かってはいるし、母の話をすべてまともに受け入れる必要もないと思っている。
それでも、大人になった今でもどうしても、母親に必要とされたい、私がいてくれてよかったと思われたい、そんな風な気持ちが心のどこかにあるようで、つい母とまともに向き合ってしまう。

母親って何なんだろう。

分からないけれど。

よし、これ以上考えることはやめて、温かいカフェオレでも淹れよう。
私は私でいよう。




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