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愉しき骨董

ようやく最近、「骨董が趣味です」と人前で言ってもいいぐらいにはなったような気がしている。

はじめて東照宮の骨董市に行ったのは18歳の頃だと思う。
森永牛乳と書かれたレトロなコップを買って、しばらく牛乳を飲むときに使っていた。それは、骨董とまでは言えない、昭和デッドストックみたいなものだった。

20代の頃は旅行でパリに足繫く通っていたので、クリニャンクールやヴァンヴの蚤の市によく行った。そのあとに留学をした際には、いつもヴァンヴに行って普段使いの食器や洋服を買っていた。その頃にヴァンヴで1ユーロで買ったスカーフを今でも愛用している。他にも、まだ割れずに使っている食器もある。

パリから帰ってひとり暮らしをはじめてからは、食器選びが趣味の一つになった。東照宮の骨董市にもまめに通うようになって、食器はどんどん増えていった。
震災やその後の大きな地震でお気に入りもだいぶ壊れてしまったが、簡易的な金継ぎをして使い続けている物も多い。

骨董市では、印判の安価なお皿を蒐めた時代を経て、ここのところようやく、古伊万里にうっとりするようになってきた。それでも、うんと高いものが欲しいとか、値打ちのあるものが欲しいとか思ったことはあまりなく、とにかく普段使いできそうなものをまめまめしく買っている。今のところ、骨董市で買ったものは一番高くても1万円弱ぐらいだと思う。ちなみにこれ。このままはまったら抜け出すことが出来ないであろう、危険な香りしかしない古伊万里の蕎麦猪口だ。

蕎麦猪口の世界は危険である


年代的に一番古いものは、去年の7月にビックサイトの有明骨董ワールドで買ったうつわだ。明末清初、400年ぐらい前の中国のものらしい。かなり歪んでいるのであまり高くなかったが、使う分には何の問題もない。むしろ、この歪みが掌に添って、馴染みがいい。これは中華粥を作った時に使うことが多い。400年も前からずっとあるものが、今、わたしの手の中にある。一体どんな人たちの手を経て、ここにたどり着いたのだろう。聞いてみたい。

古いもので言えば、まさかの「縄文式土器のかけら」というものも買ったりしてみたのだが、本当にただのかけらなので、骨董というよりはこどもの宝物レベルだ。それと同じような気持ちで買ったのは、ポーランドの骨董屋で買った数百年前の釘。どちらも、人様にはただのがらくたかゴミにしか見えないと思うが、わたしにとっては宝物である。それを持って、眺めて、あれこれ考えるだけですぐに1時間ぐらい経ってしまう。

明末清初のお椀

骨董は食器に限ったことではない。我が家の一番の大物は大正時代の箪笥だ。これは、寝室に置いてあるのだが、透かし彫りのところには大正時代のままの深緑のガラスが嵌めてあり、ヨーロッパの古い教会の告解部屋のような風情で、とても気に入っている。買った当初は、本当に古い教会みたいな匂いがしていた。これは思い切った買い物だったが、毎朝毎晩、見るにつけ「買ってよかった」と思って眺めてしまう。

大正時代の箪笥


こうした古いものたちに囲まれて、古典芸能を愛し、古楽やクラシックロックを聴いている。どうしてこんなに古いものにばかり惹かれてしまうのか、自分でも全く分からない。

そんな風に古いものに囲まれて日々を暮らしているうちに、いつしか自分自身も結構古びてきた。が、今のところは意外と、古びてきた自分も厭ではない。むしろ、怒りに満ちた10代、思い上がりの20代、苦悩の30代を経て、怒涛の40代から、あとすこしで凪の50代が訪れるような気すらしている。

こんな日々をわたしは「愛のお婆さんへの階段」とタグ付けしてInstagramに投稿したりしているので、時々覗いていただけたら幸甚である。




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