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転じて今となる

こんにちは、あいみです!

産業看護職4年目、そして大学院在学真っ只中ですがこのたび、転職いたしました。

まず最初に。
産業保健をやめてやる!というわけではなく、産業看護職として新しい場所への転職です♪

転職は自分には無縁、ずっとこの職場に勤務するのだろうなと思っていました。
本音を言うと、ここにしがみつくしかない、次はない、保健師資格を取得しないと転職は難しいんだと大分ネガティブに転職を捉えてもいました。

そうやって考えることで、自分の動きをがんじがらめに封じていた私。
But、えいや!と踏み出して転職。
今回は転職についての思いや流れを備忘録としてnoteにまとめ。

前職場に入職をして色々と感じること、思うことは多々ありました。
風向きはいつか変わるかもしれないし、日々の業務をやっていればそのうち良い風が吹くだろう、風が吹いた時のために信頼貯金をここでしっかり貯めていこう!と勤務していた日々。

そんな日々の中、身近に迫った自分事として転職を考えるようになったきっかけは大学院に入ってからの諸々なのですが割愛(←もし興味がありましたら対面でお会いした時にぜひ)。

今までも何となく転職について、ぼんやりと思ったことは正直ありました。
大学院進学で起きた様々な変化があったからこそ、今までのこと、そしてこれからについて考え、転職を本格的に検討するようになったと思っています。

前職場での自己学習は今につながっています。
実務で得た経験や学びはもちろん、看護学部の外部講師、学生実習受け入れ、学会への一般演題提出など産業看護職としての社外活動や未来の看護職育成にも関わらせていただきました。
産業保健未経験で雇用&経験を積ませていただいた前職場に心から感謝を。
ありがとうございました。

とはいえ転職をしたからには理由があるわけで!


理由は多々ありますがその1つは会社が求める産業看護職と自身がかけ離れており、そのギャップを埋めることが困難だったこと。

更に自分の学んでいることを活かしたい、もっと現場に行きたい近づきたい、キャリアとして中身の濃い実践をしていきたい、と自分の成長したい欲求が勝ったから。

その成長欲求を叶えるには前職場では色々と高い障壁がありました。
ここで成長できるだろうか、どう成長していこうか…と入職当初から不安を抱いていたのも事実。
その不安があったからこそ自己学習がはかどりました。
そちらをまとめたnoteはこちら↓↓↓。

学びを深めるほどに蓄積されるエネルギー。
そのエネルギーをもて余し、エネルギーを使いてぇ!とまるでドラゴンボールの孫悟空になった気分で悶々とするようになっていました。

そんなオラは「いつか」を待てませんでした。
この「待て」の時間が勿体ないし有り余るエネルギーを他の場所で使ったほうが良いよね!と思い、転職元気玉をぶっ放しちゃいました。

転職するのは大学院卒業時と考えていましたが、新しい職場での業務引き継ぎなどを考慮し在学中に非常勤として入職することに。
大学院を卒業してから常勤でいきましょうと、先方と相談をして決めました。
大学院に通いながらの勤務を許可していただき本当にありがたいです。
なお、雇用形態にこだわりはなし。
前職場でパート→契約社員→パートという変遷をたどってきたことが大きいかと思います。

前職場はいわゆる大企業に分類され、健康担当部署があり、産業看護職もいて健康経営優良法人を取得している企業でした。
例えるならば整備された公園内のキレイな花壇です。
花壇に植える花をどうするか考えたり、栄養剤をさしてみたり、花壇のレンガを補修したり。
新しい園芸方法を試すこと、新種の花を植えることにはものすごく慎重です。それに興味がない人もいました。
とても安定した花壇。
花壇を整備する人々も、この花壇の花を楽しむ人々もこの安定が良いのです。
この花壇はそれで良いし、公園もそれを望むのです(※あくまで前職場の話であって大企業が一概にこういう花壇ではありません)。

「現状維持は衰退のはじまり」、これは福澤諭吉が「学問のすすめ」の中で
「進まざる者は必ず退き 退かざるものは必ず進む」と記したものから。

この言葉をどう捉えるかは個人の状況によるかと思いますが、私は環境を変えて挑み続けることだと受け取りました。

「現状維持」をこの花壇に感じた私が、この花壇でうまく立ち回ることが出来なかった。
反省は諸々ありますが、後悔はしていません。
近い3年後の未来にこの花壇で働いている自分を思い描くことが出来なかったことも転職理由の1つです。

シン・職場は産業保健では(多分)独特?特殊?な業種(といえるかどうかも説明が困難)であり、更にいえば「企業」でもないという(どういうこと!?)。

中小企業、零細企業のような事業所が集まり、全国規模で展開しています。

先輩産業看護職が大枠を作ってくれているのでこれからやっていくぞ!と。
例えるならまさに荒れ地です、これから鍬(くわ)持って開墾です。
先輩と一緒に耕します。えっほえっほ。
もうやりがいしかない(めちゃ褒めてるよ)!!!

そうです、私も産業保健変態だったのです。
そんなことないと思っていたのに!
どういうことかは下記の卯月さんのポストを参照ください。

前職場はメンタルヘルスなどのセミナーは外部業者に依頼していました。
他にも関わりたいものはたくさんありました。
在職中にトライしてみたかったけれど叶わず。

シン・職場では信頼関係を構築しながら、焦らずにおいおい取り組んでいきます。

冒頭でも言っていたように、転職は無縁だと思っていた自分がなぜ転職に踏み出すことが出来たのか。
それは新しい環境で困難にあたっても相談出来る場があり仲間がいるから。
そこは自ら社外に飛び出して積極的に学びに行って広げてきた世界。
産業看護職人生の初期からアクティブに動いて得た私の強み。
その強みは転職に対する不安を軽くしました。
ま、何とかなるよね!動いちゃおう!」となったわけです。

さて、シン・職場はまさに公衆衛生×産業看護の現場。
SPHで地域保健や政策について学びながら、このシン•職場を思い浮かべていました。
「あそこなら学びと実践がつながるかも、面白そう!」と。
頭で考えるよりも直感を大切にしている我が人生。
転職するならここだ、と思いを強くしたのです。

以前に↑のnoteで自分の経歴についても述べました。
今改めて読んで、今までの経験がつながる現場に来たなと実感しています。
あのnoteを書いた時は自分が転職するとは思ってもいませんでしたが、人生どうなるかわからないものですね。
私のnoteはこうしてつながっていくんだなー、書いてて良かったとしみじみ実感。

前職場は産業看護職2人体制(X・Twitterでおなじみ)でしたが、シン・職場も2人です。

シン・先輩は産業看護職としてウルトラ大先輩
とある勉強会の同期であり、その人となりやこの職場のことを私は知っていました。
どういう所で、どういう人と一緒に働くかを知っているのは前と大きく異なるところ。

未経験で産業保健や企業を知らないまま就職をした前とは異なり、今回は自分でこの場所で産業看護職として働くことを選びました。
「よく分からないけど、とりあえずやってみよう」から、自分で「ここでやっていきたい」と意志を持って働くのです。

ところで、働いて大学院に通いながらの転職って実際はどうなの?どうやったの?と思った方もいるかと思います。

転職を検討してすぐにシン・先輩のところの職場が頭に浮かび、そこで産業看護職を募集していたことを思い出し「今も募集中ですか」と連絡を取って会いに行きました。
そこから話が進み、入職に至りました。
文章で書くとあっさりとしていますが、転職が決まるまでの期間は数ヶ月かかっています。

給与や今後のことについて職場と掛け合ってくれて、そして面談設定など本当にシン・先輩のお陰で転職をすることが出来ました。感謝しかありません。
つながりの大切さを改めて実感。
あとタイミングが大事。

実はこの1か所にしかアプローチしておらず、ゆえに転職活動らしいことはほぼなし。
数回職場に行って面接を行いましたが、こちらの都合に合わせてもらったので業務や学業にはほぼ支障はありませんでした。

相変わらず参考にならないキャリアですんません。

つながりといえば、勉強会同期や大学院のクラスメイトに転職を宣言して「募集案件があったら教えて」とアピールもしてました。

もとい
シン・職場はやりたいことがたくさんです。
自分がやりたいことはもちろん、まずやるべきことにもしっかりと取り組みながら経験を積んでいきます。
そして前職場での経験や反省をいかし、これまで以上につながりを大切に、リアルはもちろんSNSやCOEDOHなどのオンラインコミュニティで皆様のお力を借りながら、シン・職場の皆さんがそれぞれに健康で元気に働き、人生が楽しいものとなるお手伝いをしていきます。

シン・あいみもどうぞよろしくお願いいたします。
新しい職場と大学院生という自分の人生をハードモードにしがちな私に幸あれ!


こういう転職の話って(本音と建前のせめぎ合い)★


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