その瞳に映るは

ガシャン、と大きな音が鳴って、高政は顔を上げた。視線の先で、孫四郎と喜平次が呆然と立ち尽くしている。足元には鮮やかな色合いの鞠と、粉々に砕けた鉢、まだ花も咲かぬ梅の木が転がっていた。高政の後ろにいた日根野が慌てて駆け寄っていく。
「孫四郎様、喜平次様、お怪我はありませぬか!」
ふたりはかすかにうなずいたが、顔は真っ青だった。高政も庭に降りて側に近づき、割れた鉢を見た。よりにもよって、父の利政が大切にしていた盆栽だ。時折利政が直々に手入れしているのを見たことがある。事の重大さを、さすがの孫四郎たちも気づいているようだった。
「なんの騒ぎだ」
いやに響く声がこだまする。振り向くと、縁に近習を伴った利政が立ってこちらを見下ろしていた。なんと間が悪いのかと高政は眉を寄せた。
「…その鉢は祝賀の際に光安が献上してきたものぞ。いかに大切なものか、わかっておるのか」
利政は声を荒げなかったが、それがかえって恐ろしい。まさか誰かから献上されたような大切な代物を、孫四郎たちがいつも遊んでいる庭に置いているとは高政は知らなかった。孫四郎たちも知らなかっただろう。
「誰が割ったのだ」
舐めるように利政の目が庭の面々を見回す。誰もが緊張で息を飲んだ。これが家臣の仕業であれば、切腹や刑死を言い渡される可能性もある場面だ。
高政はうつむいた。どうせ自分のせいにされるのだろうという諦観がある。いつの間にか孫四郎と喜平次が近づいてきて、高政の背後に隠れるようにして立っていた。わずかに引っ張られる感覚に、高政は横を見る。
「誰が割ったのかと聞いておる」
小さな手が、高政の両袖をそれぞれ必死に掴んでいた。それを見た瞬間、高政はこの弟たちのあまりの無力さ、か弱さに衝撃を受けた。自分とは違うのだ。幼い頃から文武とも厳しい教育を受けて育ってきた自分には考えつく威圧への反抗の手段が、彼らには思い浮かばない。言い訳や謝罪すらなく、ただ怯えて震えていることしかできない。男として、そのなんと哀れなことか。
高政は孫四郎と喜平次の手を、その震えごとしっかり握った。それから利政を見据え、毅然と声を上げた。
「わしが割りました」
利政は高政をじろりと睨みつけた。およそ自分の息子たちに向けるべきでない形相だった。喜平次が震えながら背中にしがみつく。
「…嘘を申すな、高政」
「わしが割りました」
地を這うような声音で責められても、高政はなお繰り返した。怖くはなかった。高政にしてみれば、父から鬼の形相や声音を向けられることはもはや慣れたことである。反対に利政は、己の息子が初めて隠すことなく自分を睨み、言葉で反抗してきたことに内心驚いていた。
「かように大切なものがこのような場所に置いてあるとは知らず、配慮に欠けておりました。申し訳ありません」
「なに…?」
ふたりはしばし睨み合った。重苦しい沈黙が場を支配する。誰もが身動きひとつできない。やがて先に視線を外したのは、利政の方だった。
「…もうよい。片付けておけ」
背を向けた利政が低い声でそう言った。そのまま振り返ることもなく、ドンドンと足音を立てて歩き出す。近習たちが慌てて追いかける。利政の姿が回廊を曲がり見えなくなると、高政は弾かれたように弟たちの手を離した。
「兄上、」
「…片付けておけ」
孫四郎がなにか言おうとするのを遮って、高政はつぶやくように言った。利政に似た冷たい声だった。兄上、とまた孫四郎が呼んだ。その声に押し出されるように歩き出す。さらに呼ばれた気がしたが、結局弟たちは追いかけてはこなかった。代わりに日根野だけが後を追う。
「……若様、ご立派でした」
「…べつに、孫四郎たちのためにやったのではない。確かに哀れではあったが」
「では…?」
「わしもいつまでも、父上の言うなりではならぬと…少し反抗してみたくなったのだ」
抑圧されていたものの発露だったのか。高政は今まで知らなかった。自分には利政に反抗する頭と意思がある。ものを考える力がある。それはまだ未熟ながら、大きな武器になり得るものだ。
それから、父である利政に対して言いようのない違和感を感じているのにも気づいた。父は自分に対していつも厳しく接してくる。裏のない笑顔を向けられた記憶がないほどだ。それは高政を嫡男として立派な人間に育てあげようという利政の強い思いからなのかもしれない。高政自身、そう思って耐えてきたが、まだ幼い身には父の愛情を受けられないことはこの上ない孤独だった。
そんな中で、利政は孫四郎や喜平次、あるいは帰蝶には明らかに態度を変えた。笑い合い、共に出かけ、寝食を共にさえしたかもしれない。高政の求める親子像が、そこにはあった。嫡男といえど側女の子…母である深芳野を恨んだことは決してないが、利政が自分に穏やかな愛情の一片でも見せないのはそのせいなのか?結局は自分のことが疎ましく、孫四郎を嫡男にしたかったのではないのか?そんなふうに思ったことすらある。孫四郎たちは何をしても許されるのだと……
しかし、先ほどのあれはなんだったのだ?大切なものとはいえ、たかだか盆栽の鉢ひとつであのように怒りだした。利政は孫四郎と喜平次が割ったことを知っていて、それでもなお怒りの矛を収めなかった。その切っ先は間違いなく無力なふたりの弟たちに突きつけられていた。
高政は解せなかった。べつに、側にいた自分を怒っておけばよいのではないか?割ったのは高政ではないが、その場にいた年長者の責任として怒ればよい。わざわざかわいい孫四郎と喜平次を脅かすような真似をせずともよい。そうでなくては今までとの辻褄が合わぬ。そうだろう。違うのか?なにか理由があるのか?それとも単純に、ただの気まぐれだとでも?わからない。父の考えることは心底わからない。その不明さに左右される感情が、高政は嫌いだった。
「父に反抗するは間違いか?」
「…そういった心構えも必要かと。嫌なことをはっきり嫌と言うのも強さです。万が一にも殿が道を誤った際、逆らってお止めするのが嫡男である若様のつとめなれば」
そういう時が来なければよいな、と高政は素直に思った。親子で争って良い結果がでたことなど、古来の書を読んでもそうは無い。父はだいたいにおいては正しい。けれども自分とは決定的に相容れない部分がある。そのことを心に留め、高政は反抗の刃を封じてしばし利政を見つめていくことにした。どんなにそりが合わずとも、父に代わりはいないのだから……と。





▽▼

利政は家臣である明智光安を前に物思いをしていた。
思い出しているのは、息子である高政の姿だ。まだ元服前だというのに、ずいぶんと大人びてきた。幼かった頃の無邪気さは消え、いつも眉間を寄せている。いつの間にか利政の前で笑顔を見せることはなくなっていた。厳しい教育を施した代償であると、利政は思っている。高政は将来、父や祖父が下克上で奪った権力の上に立つことになる。実力で美濃を奪いまとめてきた利政とは違い、『嫡男として産まれた』という事実だけで国を継ぐのだ。利政はそのことが不安だった。息子を無能と言いたいわけではない。けれども実戦で得るような知識や経験はあきらかに不足するだろう。時は乱世、しかも美濃は周りを強国に囲まれている。高政がそれらと渡り合うには、親子の情さえ捨てた相当の教育と努力が必要だ。そうして手に入れる強さが、将来自分の跡を継いだ時に息子の武器になると信じていた。弟たちにも時折厳しい態度を取ってみるが、怯えて縮こまるばかりで高政のようには響かない。当主となる高政の助けにならぬのであれば、いずれ仏門に入らせるかなにかしなければならないだろう、と思っている。孫四郎たちと比べれば、高政はまさに嫡男の器だ。しかしあの時はじめて高政から睨まれ、利政はぞくりと背筋を凍らせた。
「…のう、光安。わしは後継者を育てておるつもりでいたが、高政と相対すると、なにか別のものが目の前にいると感じることがある」
「と、いいますと…?」
光安は困ったように首をかしげた。利政のいつもと違う雰囲気を敏感に感じ取り、身を固くして言葉を待つ。
「強く我が父を思い出させるのだ」
「ほ…法蓮房さまを?」
「……あれは下克上の瞳、だ」
ぎょっとして光安が目を見開く。その様子に、利政は少し笑みをこぼした。高政は間違いなく我が子、斎藤家の子ぞ、と確信するに至る、利政だけに見えた兆しだ。たとえその瞳が自分に向けられようとも…己がしてきた下克上の相手の末路を思えば恐怖もしようが、妙な嬉しさもある。そこに高政との血の繋がりをはっきりと感じたからだ。

たゆまず牙を研ぐがよい、と利政は思った。たとえその牙を誰に向けることになろうとも、蛇が飛翔し龍に変わるがごとくに成長して、いずれ父を超え美濃を守っていかなければならない。それが斎藤利政の嫡男として産まれたお前のさだめだ。孫四郎でも喜平次でもなく、嫡男は高政ただひとりなのだから……と。





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利政には高政が自分の子であるという確信がなにかあるのでは、と思います。周りの人々は、高政でさえ疑いを持っているけれど、利政本人は疑ったこともない。深芳野を信じているし、たとえもし本当に血の繋がりはなかったとしても、自分の子として産まれた以上は確かに自分の子として受け入れる、そんな人物なのでは。

利政が孫四郎や喜平次、帰蝶を甘やかしているのは当然正室の子だからなどではなく、高政と違って将来手放さなければならないと思っているからみたいな可能性はないのかな〜。高政のことはこれからもずっと側でその成長を見守っていけるが、他の兄弟たちは今のうちに可愛がっておこう、的な。帰蝶は嫁いでいくだろうし、諍いの種になり得る男兄弟は寺に入れたりなんだりして離すのがよかろうが……まあそうはしなかったみたいだけど。


元服してない設定なのでみんな幼名とかのはずなんだけど、書ききった後で直すのが面倒すぎました。心の目で修正してください…

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