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「国際社会」はどこにあるのか 〜映画『ナディアの誓い - On Her Shoulders』 review①〜

ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドを追ったドキュメンタリー映画『ナディアの誓い- On Her Shoulders』が2019年2月1日よりアップリンク吉祥寺ほかで公開になる。配給元・ユナイテッドピープルに以前勤めていた縁で、一足早く試写で鑑賞してきた。

想像していた以上にいろんな切り口から感じることが多かったため、noteで3回に分けて書きたいと思う。(*ただし、ネタバレな内容も含まれると思うので、事前情報を得たくない人は、鑑賞後にお読みください。)

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ISISの性奴隷サバイバーであるナディア。鑑賞前は、紛争化における性暴力に関して描かれている映画かと思っていたが、この作品の一番のテーマは、「紛争や虐殺に世界(国際社会)はどう対処するか」だった。

国連や世界各国の議会、各種メディアで、自らの悲痛な体験を語り、ISISの暴力を止めることや、ヤジディ教徒の難民受け入れを訴えるナディア。彼女の言葉に多くの人は涙を浮かべ、ハグをし、彼女の勇気ある行為を称えたり、語ってくれたことへの感謝を伝える。一部の人は、自分は「あなたの仲間だ」と語り、自分ができることを「努力する」と語る。

その涙にも、ハグにも、言葉にも、嘘や偽りはないのだと思う。

でも、いざ未来のことを尋ねると「I don't know(わからない)」「(難民受け入れを政府が認める)可能性は高くはない」といった言葉が返ってくる。

一人一人には思いがあるはずなのに、そして、その一人一人によって成り立っているのが「国際社会」のはずなのに、思いがカタチとして結実することはそう多くはない。

だから映画を観ながら、ナディアを取り囲む「国際社会」の一人一人が、どうしても虚しく、時には滑稽にさえ見えてしまった。ナディアが求めているのは「言葉」ではないはず。ノーベル平和賞なんていう勲章でもないはず。でも私たち「国際社会」ができるのは、そんな形式的なことばかり…。

(c)RYOT Films

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この映画を見ながら常に重なって思い浮かんできたのは、シリアのことだ。

私は2011年3月にアラビア語の研修で1ヶ月シリアに滞在していた。滞在最後のほうからデモが起き始め、帰国後まもなく内戦状態に。訪れたことのある思い出の場所はどんどん破壊され、友人たちの多くは国を離れざるをえなくなった。爆破による白い砂埃にまみれた体から鮮烈な赤い血が流れている人たちや、廃墟かと思うようなボロボロの建物の写真や動画が、連日SNSを覆った。

しばらくすると「内戦」のシリアに、ISISが入ってきて、その惨劇はますます酷くなった。このころには、多くの現地の友人はSNSでの発信をしなくなりはじめた。秘密警察などに情報を見られるのを恐れたのか、物理的にネット環境が遮断されてできないのか、もはや発信しても無駄だと諦めたのかは分からない。

3年、5年、7年と時が経ち、時々大きな変化や衝撃的な情報が入ってきたときには、メディアがざわつくものの、「国際社会」がシリアの人たちの叫びにちゃんと応えたことは、ないように思う。

もちろん「内政干渉」といったハードルはあるとは思う。でも、それを言い訳にしたら、それこそ「国際社会」は"あって無きが如し"なのではないだろうか。

シリアに関する様々な投稿に触れてきた中でも、一つ記憶に深く刻まれているものがある。

反政府側の人が多く住む、シリア第二の都市アレッポで、アサド大統領による大規模な攻撃が起きた時に発信された、無名の男性の言葉。

"Don't believe anymore in the United Nations.(もう国連を信じない)Don't believe anymore in the international community. (もう国際社会を信じない)"

おそらく私たち「国際社会」はこれまでも多くの叫びの声に応えられないまま、一縷の望みを託そうとした人たちを、失望させてきたのだろうと思う。

この投稿を始め、シリアの人たちの言葉に触れれば触れるほど、状況が改善しないまま時間が経てば経つほど、期待をさせるような希望の言葉も、約束も、ましてや「誓い」なんて、私にはできないと思うようになった。

でもナディアは、同胞たちの絶望しそうな声に、必死に希望を投げかける。それは同じ状況にいる彼女だからこそ、軽い気持ちでは言えない言葉のはず。そして口にすればするほどに、それは強く堅く、必死の「誓い」になっていくのを感じる。

(ちなみに本作、原題は"on her shoulders"。非常に含意しているものが大きくて素晴らしいけど、そのまま邦題に訳すのは難しかったと思う…。)

(c)RYOT Films

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今回の映画『ナディアの誓い ー On Her Shoulders』はヤジディ教徒の置かれた状況を映し出す。でも、これをヤジディ教徒とISISの問題とだけ見た場合、「マイノリティの中のマイノリティ」であり、特に日本にとってはとても遠い存在に思われるだろう。

でも「国際社会が助けられない」状況は、他の国、民族にもこれまで起きてきたこと。そしてもし、自分たちが「助けを求める側」になったときに、助けてもらえないことをも意味するように私は思う。いつ「国際社会」のなかで、立場が変わるかは誰にもわからない。シリアの人たちも、ヤジディ教徒の人たちも、私たちと変わらず、幸せな日々を送っていた、ただの普通の人たちだったのだから…。

(2011年3月に訪れたシリア・アレッポの、とても平和だったマスジドの動画)

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