見出し画像

モンゴル馬旅記③ 後天的な自分が流れ去っていった時間

8日間のモンゴル旅、たった1週間とは思えないくらい濃密な時間だったが、なかでも驚きだったのは、自分自身を「再発見」したことだ。

一つには「しっかりしていない自分」に自然となっていったこと。

自分で言うのもなんだが、日本では結構”しっかり者”をしている。今回の旅の荷物もいち早く準備をしていたし、出発当日も、部屋やキッチン周りをしっかり掃除してから出かけたし…。何なら自分のことは先に済ませて、周りの人に「これはできてる?あれは大丈夫?」と世話を焼くくらいのタイプだ。

それがモンゴルにいるうちに、自分でも驚くくらいぼろぼろと崩れていった。

一番顕著に現れたのが忘れ物。道中の休憩時に必ず何かを落としてきてしまうのだ。

最初は帽子。大自然のなかでトイレをする…という幼少期以来の出来事に気を取られすぎて、落としてしまったのだろう…とその時は思った。次の休憩の際は、用を済ませてから自分の周囲をちゃんと確認して戻った。しかし今度は水を入れていたペットボトルがない!自分が歩いた道をたどってみたら、どうやら半開きだったウェストポーチから途中で落ちてしまったらしく、草むらにゴロンと転がっていた。見つかって良かった〜と思い、出発してしばらくしたところで、ハッとする。手綱を握っている手に手袋をはめていない…!水に気を取られすぎて、今度は手袋を置いてきてしまったらしい。

(忘れ物・落とし物をしないように、とウェストポーチを小さく開いて休憩する私(写真中央))

次の休憩では、決して何も落とすまい!と、トイレに行かず、ポーチの中身が揃っていることも確認して馬に乗った。…ら、「アイ!」とツェンデ(ツアーのリーダー)に呼ばれ、振り返るとお守りのブレスレットがそこに…!日よけのアームウェアを脱いだ時に落としていたよう…。結局、その後の道中で、櫛とお守りのブレスレットも失くしてしまった。

日本人のメンバーたちに、笑われたり呆れられたり注意されたりするのが、恥ずかしいようで、どこか新鮮であったかい気持ちになる。良い子であること、人に迷惑をかけないことを是とする価値観にずっと縛られてきたから、「そうできない」自分でも居られることの安心感があったのだと思う。

(全身が痛い、というのもあるけど、裸足になって思いっきり草原に寝転がっている私(写真左)。周りの目を気にせずに、思いっきりくつろいだ時間。)

*

自分で意識的に「無理をしない」シーンもあった。

いかんせん馬に乗るのは初心者だし、私たちより前のツアーでは、落馬して鎖骨を骨折したお客さんや、見えにくい柵と衝突し、脳震盪を起こしたガイドの人もいると聞いていた。自分の限界に挑戦することと、無茶をすることは別のはず…!初日に全身が痛くてたまらなくなったときには「もう駆け足をしたくない」と告げたし、あと30分で目的地に着くというときでも、熱中症になりそうなくらい喉がカラカラだった時には「それでも休みたい!」と伝えた。普段だったら、多少のことは我慢して、周りに合わせることを優先してしまいがちだけど、今回の旅では相当ワガママになっていたと思う。

(一緒に行った鍼灸師のメンバーに、毎日のように「ここが痛い」と訴えては、鍼灸やマッサージをしてもらって相当助けてもらった)

*

もう一つ、自分でも驚いたことがある。馬で走る最終日のこと。前を走っていたメンバーの荷物が落ちて、私の馬・ポーが驚いて跳ね、落馬した。そんなにスピードも出ていなかったし、あぶみにかけていた足もすぐに抜けたので、特に怪我もなくきれいに落ちれた。それまで落馬したことがなく、ずっと「落ちることへの不安」を抱えていたから、落ちれてよかったとも思った。

…とはいえ、予期しない動きをされることへの怖さが残り、とりあえず、並足でいきたいと思っていたところ、後ろからモンゴル人メンバーの「チョウ!チョウ!(進め!進め!)」という掛け声が…。

実はこの掛け声がツアー中ずっとプレッシャーだった。日本人の私では発音も違うし、女性と男性では音の高低も違う。私が「チョウ!」と頑張って言っても、ポーが動いてくれないことばかり。しかも基本的にのんびり屋&慎重なポーは、すぐに隊の最後尾になってしまう。毎日のように「チョウ!」と後ろから叫ばれたり、木の杖でお尻を叩かれては、急にポーが加速することや、時には飛び跳ねることもあり、いつもドキドキしていた。

(だいたい最後尾になっては、モンゴル人メンバーに追い立ててもらっていた私(写真中央))

それでも、「自分が言うことを聞かせられないから仕方ない」とそれまでは耐えていたものの、落馬した直後にこの声が聞こえたときは、頭も心もいっぱいいっぱいになってしまい、走ろうとするポーの手綱をぎゅっと引き戻して、「今は走りたくないの!いやなの!」と目をつぶりながら必死につぶやいた。

その様子に気づいたユウちゃんが、スピードを落としてくれ、聖子さんに「ポーちゃんを連れて行ってあげて」とバトンタッチ。言われていることの意味がよく分からないながらも、「ポーちゃんおいで!ポーちゃん!」と後ろを振り返りながら手を伸ばしてくれる聖子さんの優しさがありがたくて、気づけば涙がボロボロ溢れて止まらなくなっていた。

その後、ツェンデ(ツアーのリーダー)がずっと引き馬をしてくれたことで安心できたものの、心配して近づいてきてくれたメンバーに、「近づくと、予期しない動きをするから、来ないでー!」とダダをこねる子供みたいに訴えてはまたボロボロ泣いてしまった。

多くの人の前で、あんなにワガママを言いながら泣きじゃくったことなんて、ほぼ初めてだったから、「ああ、またモンゴルで一枚皮が剥けたなぁ」とぼんやり思いつつ、ふっと気づいた。「そうか、私は自分のペースを乱されることが本当にいやなんだ」と。

ユウちゃんが旅の最中に何度も、「このロングツアーは不条理を乗り越えること」だと言っていた。天候が悪くても、寒くても暑くても、体が痛くても、文句を言ったって、進むしかない。変えられないことを飲み込むことだ、と。

(こんなに美しい夕刻の景色を眺めた翌日は、嵐のような夜に襲われた。自然の流れは受け止めるほかない。)

天候や体の痛みは堪えられる(「痛い痛い」と言いはするけど(笑))。でも、私が一番つらかったのは、自分(とポー)のペースが崩されることだったんだなと、最終日にしてしみじみ感じた。「馬に乗っている姿を見ると、その人がどういう人かが見える」とユウちゃんがよく言っているけど、今回気づいた私のキャラクターも、馬に乗っている間だけではない、「自分自身」なのだろうと思う。

("IT'S HARD TO BE ME"と書かれているTシャツ。出発前に文言が気に入って買っていったものの、旅の最後に聖子さんから、「IT WAS HARD TO BE MEだね!」と言われた。)

*

「馬に乗って大草原を走る」という楽しい夢だけを描いて臨んだ今回のモンゴル馬旅。まったく思いがけず、普段まとっているものが崩れ、素の自分が露わになっていった時間…。

それは、馬で旅をするという初めての体験に、「周りを気にする自分」を守りきれなくなった…というのもあると思うが、それ以上に、モンゴルの大自然に溶け込んでいくような時間が、少しずつ自分を融解してくれたような気がする。

朝目覚めると大きな青空と朝露できらきらした草原に包まれ、夜には満天の星空とともに眠る。道中では、誰のためでもなくささやかに咲いている小花たちに励まされ、火照った体はひんやりと流れる川で冷ます。馬たちは大地に生い茂る草を悠々と食べ、人は森から集めた木々と川から汲んだ水で煮炊きをする。

自然の大きな流れのなかに、自分たちの営みがうまく巡っていく感じがして、とても心地よい。

特に朝、澄み切ったキレイな川で髪を梳きながら、雄大な大地を眺める時間は、あまりにも美しく、あまりにも愛おしくて、このまま毎日、こんな風に朝を迎えたいと心から思った。

(毎夕、大自然のなかで放牧されて、草をはむ馬たちの姿が本当にきれいだった。)

(毎日、男性陣が朝夕と薪を拾ってきては火をおこしてくれた。焚き火のまわりに自然と人が集まり、みんなで語り合う時間も愛おしかった)

(目的地のハギン・ハルノール。到着して直後に、ズボンを脱いで、パンツで飛び込んだし(笑)、人生で初めて湖に向かって大声で叫んだし、大自然のなかで洗濯することもにもハマって、人一倍洗い物をしてた(笑)。)

(川で釣りをするツェンデ。人が普段踏み入らないような地域だからか、釣れる魚は日本で見たことがないくらい大きいものばかりだった。)

*

旅から帰る時に「帰りたくない」という気持ちが湧いてくるのはいつものこと。それは、その土地の美しい景色や、出会った人たちの温もりから湧いてくる思い。でも今回はそうした理由に加えて、モンゴルで素になっていった自分に、また"余分なモノ"をまとわないといけないことが、嫌でたまらなかった。

どんな自分でいたいのか。何を大切に生きていきたいのか…。誰に尋ねられたわけでもなく、帰国後も何度も湧いてくる問い。

モンゴルが吹き込んだ風は、まだしばらく私の心を包み続ける気がする。まとまりきらない思いを抱えながらも、旅のまとめはここで綴じようと思う。

最後に、素になっていく"ひどい"自分をそのままに受け止めてくれ、最高の時間をともにつくってくれた仲間たちに、心からの感謝をこめて…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?