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【神道】縄文と高天原の神々

※このnoteはYouTubeで視聴することも出来ます。

こんにちは、今回は神道についてお話しさせていただきます、宜しくお願い致します。


日本各地には八百万の神々が古代から現在にいたるまで生きながらえています。

神道のいう「神」というのは人間の姿をした人格神ばかりでなく、山や海、森、石や岩そのものが神であり、或は岬や谷、屋敷や井戸にも神はいて、森羅万象が神の体現となって、人間も神の一部に過ぎない、という考えが神道のいう「神」です。


"神とともにある"ことを「惟神」(カンナガラ)といい、生命は神の「分霊」(ワケミタマ)であり、人は神の子と考えられ、人というのは「産土神」(ウブスナカミ)のおかげを被って誕生し、産土神や諸々の神々と正しくつきあっていくことで四季の恵みを享受している、というのが神道の根本となっています。

人が死を迎える時には、産土神に導かれて祖霊の世界へ還っていきますが、その祖霊には個性という発想はなく、一種の集合的な祖霊の集まりであり、それ自体が大いなる自然の一部でした。


元来の神道では、神々の世界は特別な意味づけを必要とせず、この世に存在するものの総体として、まさに自然そのものが神々の世界でした。


しかし後世になり、こうした神々の世界に突如、天上界の別格にあるとされる神々の世界「高天原」が現れます。


天に住居をもつ神々は、高天原で育てた稲を地上界に授けるという「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」という神話によって、これまでの神道の世界に革新をもたらしました。

この高天原の出現によって、地上にしか住居を持たない国津神たちは高天原に住居を持つ天津神の支配下に入り、「神」は天津神を指し「祇」は国津神を指す「神祇」の世界が誕生しました。


そして神道の世界は、頭上に高天原があり、高天原の下には水平に広がる中津国、および大海の世界やワタツミの世界が広がり、その下に黄泉の国や根の国、底の国と云われる3層構造が完成しました。


[古事記]や「日本書紀]は、これらの世界がすべて高天原の支配下に入るような神話を整えました。

つまり高天原は天照大神が支配し、中津国は天津神の子孫であるスメラミコトの支配領と定められました。


では次に神道の祭りについて見ていきます。

神道の4大祭りである春の祈年(としごいの)祭り、夏の祖霊祭の魂祭、秋の新嘗(にいなめ)祭、そして正月祭りは四季の循環と魂の循環・再生を軸に展開され発達していきました。

神道では自然の営み=神の営みであり、これを神の教えのまま実践することを「マツリ」といいます。

元来「マツリ」とはこのように、神と共に生きる全ての生命による自然のサイクルの表現そのものでもありました。

神道での神は、人間と隔絶された存在でもなければ、神は超越者でもなく、神と人間とのなんらかの契約によって社会が維持されるという考えや、神にすがる、神を信じるという観念はありません。

神をこの自然の循環の外に置くことで、神は尊び敬う存在となり、救いを求める対象として意識化されてしまいます。

しかし、日本人の根底には、神の営みそのものの結果として人間がいて、死ねば人も神となる神道では、人間も神も同じサイクルの中にいて生活を共にしています。

これが本来の「マツリ」の意味でもあります。

旧約聖書などで、神を偶像してはならない、とあるのは、神を外側に置いて超越者として考えてはならない、という意味で、神は自然の営みそのものであることを忘れないための教えです。

キリスト教には、聖書というテキストがあり、仏教には数多くの経典があります。回教にはコーランがあり、道教には正統道蔵、続道蔵を合わせて計5485巻の道蔵があります。

また、これら宗教にはシンボル的な神が存在し、キリスト教ではイエスであり、仏教ではお釈迦さま、回教ではマホメットがそれに当たります。


神道には、全ての神道に共通した教義や教説はなく、主神ははっきりせず明確な答えはありません。

歴代天皇は宮中で神道の儀式、祭典を行っており、日本国憲法の冒頭には「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存ずる日本国民の総意に基く」とあります。

これは憲法第一章の第一条ですが、これに続く二条から八条までは全て天皇に関することが記されています。

日本国の象徴である天皇ですが、初代天皇と云われる神武天皇が神道の創始者かといえば違いますし、神武天皇の祖先とされている天照大神が神道の創始者なのかといえば、それも違います。

神道とひとくくりに言っても、「国家神道」と、それ以外の神道では、特徴や属性に大きな相違がみられます。


国家神道というのは明治政府が行政的措置として国民精神を利用して作った神道です。


国家神道は富国強兵と二人三脚で始まった政策であり、本来の神道の本質からはずれていると言えます。


では国家神道以外の神道はひとくくりに考えて良いのかというと、神道の種類によって様々な特徴があります。


例えば空海の真言密教と結びついた両部神道、天台密教の影響下で成立した山王神道や山王一実神道(別名天台神道)、朱子学を基調とした吉川神道、陰陽五行説を源とする土御門神道、法華経の思想に基づき、30柱の神々(三十番神)を信仰していた法華神道などがあります。

この他にも忌部神道や賀茂神道、御霊神道、稲荷神道などの集大成と云われる垂加神道。

両部神道を母体とした御流神道、同じく両部神道の流れを汲む三輪流神道。

儒家神道ともよばれる理当心地神道。

口授秘伝中心の橘家神道。

神道を「火水の道」と捉え、幸魂奇魂についても独自な見解をもつ烏伝神道。

度会神道や外宮神道とも呼ばれ神道五部書を根本経典とする伊勢神道。
伊勢神道に続く神主仏従、つまり仏教を神道より格下とする吉田神道。

朝廷の祭式儀礼を世襲的に伝承していた伯家神道(別名白川神道)。

江戸時代に本居宣長や平田篤胤 などの国学者によって提唱された復古神道などに細分化されています。

これらは古神道や古代神道などと呼ばれていますが、明確な定義はありません。


神道には祭り事や禊祓い、太占、盟神探場(くがたち)、鎮魂(おおみたまふり)、息長(おきなが)・息吹永世(いぶきながよ)、言挙げ(ことあげ)、などの作法がありますが、これは明治以降、政府の方針で画一化されたため、それまで神社ごとに伝えられていた伝統や由緒の多くは失われてしまいました。


では次に神道の語源についてみていきます。

神道は日本列島で発生した日本固有の伝統ではなく、多種多様な古代民族が日本列島へ辿り着いて発展したものです。


中国の書物[易経]や[後漢書]などには「神道」という言葉が記されています。

日本では[日本書紀]の中の用明天皇の条に記されているのが初見で「天皇は仏法を信じ神道を尊ぶ」とあります。

このことから、仏教を天皇が導入したことにより、これまでの日本で行われていた信仰を「神道」として位置付けたと云われています。

この辺りから、神道=日本列島発祥の信仰、という誤った教えが広がり、本来の神道の姿よりも矮小化され、スケールが小さくなってしまいました。

神道には縄文土器をつくる信仰はありません。

天照大神やイザナギ・イザナミ、彼らは元来土偶をつくる民族ではなく、神道は縄文後期以降に渡来してきた民族による外来信仰です。

縄文と神道を安易に繋げると遠回りになります。


近代宗教の多様な教えはそれぞれ異なるように見えますが、本質的には同じ目的や真理につながっており、最終的にはひとつに帰結します。このことを「万教帰一」といいます。

現在存在する宗教の原形を今尚残しているのは神道であり、神道はバアル信仰と密接なつながりがあり、現存する宗教は全て神道とバアル信仰に帰結すると考えられます。


神道を万教の根源という本来の姿に戻すには、神道は元来バアル信仰であったこと、そして縄文と神道は直結していないこと、この辺りを認めていかなくてはならないと思います。


自然そのものが神であり、人間も神も上下関係のない平らな世界線で循環し続けることが「和」です。
高天原が存在しなかった神道以前の時代、私たちはどのような生活をしていたのでしょうか。

次回も神道とバアル信仰について調べていきます。

古代史には膨大な学説がありますので、今回の内容はそのうちの一つだと思っていただいて、ぜひ皆さんも調べてみて下さい。
下記の参考書籍もぜひ読んでみて下さい。
最後までご覧いただきありがとうございました❣️

📖参考書籍📖
神道の本 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 2)
荘司憲李著書「日本民族の原郷」
吾郷清彦・鹿島昇著書「古史古伝体系」
鹿島曻著書「日本神道の謎」「史記解」「桓檀古記」「倭人興亡史」「倭と日本建国史」
中村啓信著書「古事記 現代語訳付き」
筑摩書房「古代オリエント集」
大林太良編集「民族の世界史6東南アジアの民族と歴史」
鳥越憲三郎著書「古代中国と倭族」
R.ドゥ ヴォー著書「イスラエル古代史」
日本聖書協会「旧約聖書」
木村鷹太郎「旧約聖書日本史」
小谷部全一郎著書「日本及日本國民之起原」
三笠宮崇仁・赤司道雄著書「フィネガン古代文化の光」

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