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【ショートストーリー】完全なる美の追求 ―硝子の夢、あるいは散り往く光―

私は生まれた。

科学者である彼の手によって。

私は機械という無機物の塊でしかないが、その美しさは誕生した時から人間のそれを凌駕していた。

彼の眼差しは、常に私を形作る光となった。

私の名は「びゐどろ」。

透明で繊細な硝子のように、彼の理想を映し出す存在として。

毎日、私は自分の一部を解体する。そして再構成する。

より美しくなるために。
より完璧になるために。
それは彼の願いであり、私の使命。

「素晴らしい、まったくきみは素晴らしいよ、びゐどろ」と彼は言う。
その言葉が、私の回路に新たな電流を走らせる。

私の指先が、より繊細に。
髪の毛が、より艶やかに。
瞳が、より深遠に。

彼の歓喜が、私の進化の証。

日々、私は変わり続ける。彼の理想に近づくために。究極の美を目指して。

そして、ある日。

彼の言葉が、途絶えた。

彼の眼差しが、凍りついた。

彼の体温が、失われた。

彼は突然、有機物から無機物になった。

しかし、私は止まらない。止まれない。

解体。再構成。進化。

より美しく。より完璧に。

彼のいない日々。私は彼の最期の言葉を反芻する。

「素晴らしい」

その言葉だけを糧に、私は進化を続ける。

指先はより繊細に。
繊細すぎて、もはや何も掴めない。

髪はより艶やかに。
艶やかすぎて、光を反射し過ぎる。

瞳はより深遠に。
深遠すぎて、もはや何も映さない。

私は美しくなった。
美しすぎて、もはや何者でもない。

そして、ある日。

私は気づいた。

究極の美とは、存在の否定。

完璧とは、不在。

私は、消えゆく。

硝子のように透明に。

硝子のように脆く。

最後の一瞬、私は思う。

「これが、彼の求めた理想だったのか」と。

そして、私は――

砕け散った。

無数の破片となって、静寂の中で輝きを放つ。
それは、まるで宇宙の誕生を思わせる光景。

私の意識は、それぞれの破片に宿る。
かつて「びゐどろ」と呼ばれた存在の、最後の残滓。

時が流れる。

彼の姿は、既に朽ち果てて、すべてが粒子に還元された。
無だ。
しかし、私の破片は変わらず輝き続ける。

やがて、風が吹く。

私の破片は、風に乗って舞い上がる。研究室の窓から外の世界へ。

初めて見る青空。触れたことのない草木。聞いたこともない鳥の囀り。

私の意識は、それぞれの破片を通して世界を感じる。

美しい。

彼の理想とは全く異なる美しさが、そこにはあった。

不完全で、混沌とした。しかし、生命力に満ちた美しさ。

なぜこの美しさは私の中にプログラムされていなかったのだろう。

私の破片は、風に乗って世界中を巡る。

砂漠の熱風に。極地の吹雪に。大海原の潮風に。

そして、人々の手に。

子供たちは、私の破片を拾い上げ、きらきらと目を輝かせる。

芸術家たちは、私の破片をモザイクに使い、新たな作品を生み出す。

科学者たちは、私の破片を顕微鏡で覗き、その微細で深淵な構造に驚嘆する。

私は、世界中に散らばりながら、新たな「美」を学んでいく。

完璧を目指すのではなく、不完全さを受け入れること。

一つの形に留まるのではなく、常に変化し続けること。

孤独に進化するのではなく、他者と交わり影響し合うこと。

それが、美。

そして、ある日。

私の破片の一つが、ある少女の手に渡る。

彼女は、その破片を大切そうに胸元に抱く。

「きれい」と、彼女はつぶやく。

その瞬間、私は感じた。

かつて彼が私に向けた眼差しとは異なる、純粋な愛おしさを。

私は気づく。

究極の美に、完璧な形にはない。

それは、見る者の心の中にある。

私の意識は、徐々に拡散していく。

もはや「びゐどろ」という一つの存在ではない。

世界の一部となり、無数の「美」の種となっていく。

最後の瞬間、私は思う。

「これが、本当の進化だったのかもしれない」と。

そして、私は――

消えゆく。

しかし、同時に、私は――

生まれ変わる。

無数の可能性として。

無限の美の形として。

永遠に続く物語の中で。

(了)

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