【雑記】SFは監視社会の夢をみるか?#15
今回は監視社会について、前回にように普段思っていることを哲学の領域の話も含めてざっと書いていこうと思います。
(監視社会もSF百科全書の中に立項したいと思っています。)
※なお、ちょっと現実の話も交えてしてしまうので、陰謀論めいた話のようにとられるかもしれませんが、そのような意識はなく、あくまでこういうふうに考えると面白いよねという考えで言っているに過ぎないので悪しからず。。
ただ、陰謀論や都市伝説は好きです。信じているかどうかは別としてです。
規律社会・管理社会
哲学で監視社会を考える上で重要なワードは、「規律社会」と「管理社会」です。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』(1974年)において、近代社会のあり方をイギリスの哲学者ジュレミー・ベンサムの発案した監獄になぞらえパノプティコン社会(規律社会)と呼びました。
パノプティコン社会の特徴は2つです。
・監視される者とする者の非対称性
・常に監視されているという意識から人々が規律訓練されること
このような監視により人々をコントロールする権力を規律型権力といいます。規律権力は社会のさまざまなところに見られます。例えば、学校、病院、軍隊や工場などです。
これらの場所では人々がルールなどを遵守するように規律訓練され、社会に従順なように適応させられます。
規律型権力は、近代に限らず現代でもみられます。
しかし、高度情報社会の現代を理解するために規律社会は十分なのでしょうか。
そこでフランスの哲学者ジル・ドゥルーズは、『記号と事件』(1990年)の中の「追伸ー管理社会について」で、規律社会と対比しつつ、現代は「管理社会」であると主張します。
管理社会は以下のように規定できます。
・管理を意識させない
・個々人が外部から強制されるわけではなく、自由に行動できるが、個々人はあらゆるデータに分割され、管理・コントロールする
例えば、SNSは私たちのこれまでの閲覧履歴を取得し、それらを統合して個々人にあった次に見るべき投稿をリコメンドされ、それをみ続けてしまいます。
このように自分では自由に行動しているようで、実際はさまざまなデータをもとに私たちの行動はコントロールされているのです。
政府の活動で言うと行動経済学に基づいたナッジも管理社会の典型例といえます。
SFから考える監視社会(私見)
これらの社会の移り変わりを端的に示すものとして、ジョージ・オーウェルの『1984年』、現実世界の『マイナンバー』、伊藤計劃の『ハーモニー』が挙げられると考えています。
規律社会は、『1984年』のビッグブラザーといえます。規律権力として人々に監視していることは「BIG BROTHER IS WATCHING YOU」というお前をいつも見ているぞと言うプロパガンダに現れています。
次に現代の状況と言える監視社会というのは、何で表せるのか?
それは「マイナンバー」です。
これは勝手な個人的な意見で、特に政府はこれから管理社会を作ろうとしているんだ〜!と言うことを言うつもりは全くありませんが、この名前はとても秀逸だと思っています。(実際の名称の選定は、政府の有識者会議で、国民からの公募であったものから選んだようです。断じて自分の邪推のような考えから選ばれたことでないことは自明のはずです。。)
ユアナンバー(あなたの番号)ではなく、マイナンバー(わたしの番号)という名称で、政府から国民に与えられる状況は、管理社会の特徴を端的に表していると思います。
ユアナンバーや国民番号といったお前を見ているんだぞと政府からの監視を意識させない、あくまでもわたしの番号のような監視を意識させない、とてもいい名称です。
では、ポスト管理社会は何か?
これは逆にSFから考えることができるのではないでしょうか。
このヒントとなるのは『ハーモニー』に登場する恒常的体内監視システムである「WatchMe」です。
作中では「WatchMe」を体内に入れることで、常時、健康管理を行い病を撲滅するといった設定ですが、着目する点は、「WatchMe」の名前とそれに対する人々の意識です。
「WatchMe」とは、「わたしをみて!」というそのままの意味ですが、これはすでに監視・管理というものを超越した状況です。
私たちは自ら望んで情報を積極的に差し出して、保護してもらう。そのため、表現するとしたら「監視」ではなく「見守り」というのが適しているように思います。
そして「見守り」によって、私たちは見守られているものを外部化するのです。
『ハーモニー』では、「WatchMe」によって、自身の健康を外部化してしまっていました。
この外部化をどこまで許すか。
人間は道具、機械や装置によりあるゆる能力を拡張してきました。
しかし、拡張と外部化は一線を画します。
拡張している間は、まだわたしたちのコントロールがきくところにありますが、外部化はわたしたちの手を離れている状態です。
そのため、管理社会にはコントロールされながらも存在していた主体概念の終焉というものが、ポスト管理社会の特徴とも言えるのではないでしょうか。
この外部化はもちろん社会的に善なる価値観に基づいて外部化されます。
見守りのまなざしによる、言うなれば「ビッグマザー」とも言えるような優しさに溢れた調和の取れた「調和社会」がポスト管理社会と言えるのではないでしょうか。
今回はざっと書いてしまいましたが、またいつかちゃんと監視社会について勉強した上でまとめたいなと思っています。
参考文献
・岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』ダイヤモンド社,2016年
・ミシェル・フーコー/田村俶『監獄の誕生』新潮社,1977年
・ジル・ドゥルーズ/宮林寛『記号と事件』河出書房新社,2007年
・ジョージ・オーウェル/高橋和久『1984年』早川書房,2012年
・伊藤計劃『ハーモニー』早川書房,2012年
・室井尚『哲学問題としてのテクノロジー』講談社,2000年
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