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本当は「人生の正午」は存在しない…はず

ふぁーあ…

間取りの都合上、朝は日陰になって薄暗いのですが、午後になると木漏れ日が差し込んで居心地が良いんですよね。

日影だったところに、日があたり床の木目が浮かび上がってきて、部屋の中にいても新たな発見があったりします。

「午後の紅茶おいしい無糖」を飲みながら、まったりな昼下がりをくつろいでいます。

人生にも午後はありますが…

スイスの心理学者であるカール・グスタフ・ユングは人生の前半と後半の境となる時期のことを「人生の正午」と呼びました。年齢で言えば当時の40歳、人生100年時代の今日では50歳といったところでしょうか。

確かにこの年代の方々の8割が、この過渡期に心や身体の変化を通じた「老いのプロセス」を感じているにもかかわらず、受け入れることへの葛藤を抱えていると言われています。

「生きようとしないことは、死のうとしないことである」

ユングが「人生の正午」について晩年に遺した言葉です。一見、矛盾しているようにも思える言葉の背景にユング自身の、人生にかける危機迫る想いが伝わります。きっと覚悟を決めたものが、その後の充実した人生を過ごせると伝えたかったのだろうと思います。

アメリカの心理学者レビンソン曰く「中年の危機」とも呼ぶらしいですが…。そして、彼はこの危機的時期を乗り越えるために「これまでの人生を振り返り、新しい可能性を試してみること」が大切だといっています。

まあ、ユングもレビンソンも「午後の紅茶」を乗り越えてきた経験者なので説得力はあります…


そんなこと急に言われても、僕なんかこれまで真面目一辺倒でやってきたから、いきなり新しいことを試せって…。夜の街に遊びに行くとか、無駄に高い食事をするとか、20代の頃に全然出来なかったので、そんなことで良いんですかねえ…

でも、この「人生の正午」は1つ間違っていると思います。時計に例えると日没の午後6時まで、ただひたすらに勢いを増しながらサインカーブ上を降下していくことになります。いわゆる山の頂点から暗闇に向かって下り坂を転げ落ちていくのが後半の人生というのです。

本来人間は生涯、発達を続ける生き物なんです。

もちろん加齢とともに失われていく運動能力のような機能もありますが、一度獲得すれば失われない表現力や、年とともに向上していく機能などもあります。しかし、少なくとも脳は一生涯進化できる可能性を持っているのです。

これまで脳は固定的で、確実に衰えていくものだと思われていましたが、近年の研究から実際の脳の姿は全く異なることが分かっています。この瞬間も僕たちの脳は変化を続けており、新しい現実を生み出しているのです。

刺激を与え続ければ100歳でも成長するのです。

だから、まだまだ下り坂なんて言わずにギリギリまでやって、できるところまで行って見ませんか。

たぶん、「人生の正午」は朝のジョギングと家事が終わったところ、さあこれからどこに買い物に行こうかな。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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