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いよいよ帝国ホテル建て替え。そして、フランク・ロイド・ライトとは

昨年、9月1日に100周年を迎えた帝国ホテル二代目本館(ライト館)は、日本の建築史に大きな影響を与えました(ちなみに現在は博物館明治村に一部移築保存されています)。

帝国ホテル二代目本館(ライト館)  Wikipedia Commonsより

1923年9月1日、竣工披露パーティーの準備をしているまさにその時、関東大震災は起こったのです。

明治以降で最大の被害をもたらしたこの地震は、東京を始め関東周辺に甚大な被害を与えることになりました。

しかし、日比谷の軟弱地盤の上に建つ帝国ホテル二代目本館は、建築家フランク・ロイド・ライトの設計した「浮き基礎」を始めとする独自の工法が功を奏し、ほぼ無傷で大震災を乗り越えたのです。

恐らくライトの生涯にとって最も大きな仕事がこの「帝国ホテル」だったはずでしょう。しかし、ライトは大幅な予算超過の責任を取り、完成を見届けることなく日本を去りました。

今や世界の三大建築家の1人として名高いフランク・ロイド・ライトの作品の特徴の1つに「浮世絵」の影響が色濃く現れています。

ライトが独自に発明したドローイング(建築図)の手法は、「建物の手前に植物を描き込む」というもので、歌川広重の浮世絵版画に大きく影響を受けています。

そして、この美しいドローイングこそが、見る人を惹き込むアートとしての魅力を引き出したのだと思います。

19世紀後半から20世紀にかけて、目まぐるしい技術の発展とそれに伴う生活様式の変化があり、そこに即しながら、広範囲にわたる建築コンセプトを確立していったことが評価された要因の一つでもあります。

ところで、ライトはなぜ日本で仕事をするようになったのでしょうか?

実は女性問題を始めとしたスキャンダルや大きな事件に巻き込まれたことによって、アメリカでの仕事が激減したためです。まさに今も芸能人が騒がれていますが、いつの時代も女性問題は尽きないようですね。

ということでライトは、モダニズム建築のなかでは派手めで、人間味のあるデザインだったと思います。インテリア含めアールデコ調の幾何学的な装飾が多く、細部までこだわった空間デザインがほんとに素敵ですね。個人的にはタリアセンウェストが大好きですが…


そういえば、帝国ホテルのライト館はその後どうなったのかというと、僅か44年という短い歴史に幕を閉じてしまったのです。理由は270室という少ない客室と、軟弱地盤がゆえの地盤沈下により廊下は大きく波打ち、部屋は半地下になる程の沈下が進んでしまっていた。これについては「浮き基礎」が裏目に出た結果である。

でも、個人的にライト館は絶対に取り壊してはいけない建物だったような気がします。東京駅舎のように修復という道は無かったのでしょうか。きっとライトは100年後の現代を見据えた街づくりを思い描いていたはずです。法隆寺だって1,300年経った今でも当時の美しい姿をそのまま保っています。

恐らく、高度成長期のスクラップアンドビルドの波に飲まれながら、人の心も移り変わっていき、学んでいくんでしょうね。

温故知新。故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知ることが大切だと思います。

そしていよいよ帝国ホテルは、今年から建て替え工事が始まり、本館のオープンは2031年を予定しています。

しかし、めちゃくちゃカッコいいですこれ。僕には高くて泊まれそうもありませんが、外観だけでも充分お腹いっぱいになりそうな建物です。

出所 Tokyo cross park構想 Atelier Tsuyoshi Tane Architects


今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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