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生きる権利と死ぬ権利

いきなり、これまでの話題よりめちゃくちゃ重い。
けど私はこういう答えがない物事を考える事が好き。
根暗人間はそうじゃないでしょうか?


さて本題。
私は生きる権利が与えられるのであれば
死ぬ権利も与えられて当然なのではないかと思います。

この世の中は生に対してはポジティブなイメージを抱き、
死に対しては恐怖のイメージを抱く傾向にある。

それは死後の世界が未知と言うことが1つの原因と考える。
そして死んだ人を“お化け”や“幽霊”と架空の存在で表現。
怖いものの象徴として強くイメージするきっかけを作った。

また、死ぬと故人とはもう会う事ができなくなる。
家族、友人、恋人ともう2度と会う事ができない。
(来世があるとするならば分からないが)
だからか必死に死から遠ざけようとする。


ここで少し違う話を・・・

私の職業は看護師です。
病棟経験はものすごく浅いが、
その中で感じたことがあったのでここで紹介しよう。

当時2年目の私。
末期癌で闘病中の患者さん。
もう自力では動けない程状態は悪化。
酸素投与していても苦しそうだ。
私も何度も受け持ちをしたことがあった。

そんな患者さんが、とある夜勤帯に
自分の装着している酸素マスクを首に巻き付けて
電動ベットのリモコンでベットを起き上がらせて自殺した。

最初聞いた時はものすごい衝撃だった。
しかしそれと同時に今まで人が亡くなった時には思ったことのない
あぁ、(死ぬ事ができて)よかった・・・
と、思ってしまったのだ。


この経験もあり、
私は生きる権利があるなら死ぬ権利も
平等に与えるべきなんじゃないかと考えるようになった。

でも特に日本は尊厳死も疎か死ぬ権利なんて
認められるわけがないと思っている。
その理由としては少子高齢化問題がある。
政府としては簡単に死なれては納税者を増えないので国が破綻してしまう。
また、辛い・苦しむことに対しての美徳であったり、
変化を嫌い、なかなかやり方や考え方を改められないと言うのが
日本人の国民性ということも挙げられるのではないか。

でも仮に国が死ぬ権利を認めた場合、問題となってくるのは
「テスト勉強辛いからし〜のおっと❤️」
と、死へのハードルが低くなるというのは絶対にあるだろう。
なのでそこには対策する必要がある。
例えば、公的機関でしか認めない、自分以外の署名が必要など。
(今さらっと思いついたものなので問題点はあると思う。)

側からすると、そんなちっぽけな悩み等と思うかもしれないが
本人は生きる権利を放棄してでも死にたいという状況なのだ。
その意見を尊重することも大事なのではないだろうか。
命はその人に与えられたものであるから。
生きる選択、死ぬ選択もあってもいいではないのか?
死によって救われることもあるはずだと私は考える。

スイスが先駆けとなって尊厳死が認められ
2021年にはニュージランドやスペインでも可決されたよう。
一体日本はいつになったら死ぬ権利を手に入れられるのか。




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