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言葉と解釈ー自分を生きることの大切さー


誰かを元気づけ、励ます言葉をかけないで一日が終わることのないようにしなさい。

Let no day then pass that ye do not speak a CHEERY and an encouraging word to someone!

(1754-1)


これはエドガー・ケイシーのリーディングの一節。


良い言葉だなあと思う。


この『励ます』は、自分の『励ます』の概念ではなく、常に相手にとってでなくては、と思う。
そうでないと、かえって相手を傷付けてしまう。


『がんばって!』とか『きみならできる!』とか、一般的には“はげましのことば”とされているけど、言われたくない人や時があるってこと。
文化的背景もからんでくるし。


場合によっては

『もういいよ』
『充分やったよ』

のほうがいいかもしれないし、


もっと場合によっては、

『わたし、もうめんどくさいことはやめたの。
そしたらすっごく楽しくなったんだー♪』

とか

『“役割”や“役に立つ”とか気にしないことにしたのよ〜』

のほうが、

「励まされた〜!」

と思ったり感じたりするかもしれない。

相手がどうしたいのかによるということだし、相手自身が自分を心底わかっているのかも疑わしい。


特に“〇〇しなくちゃ!”、“こう生きるべき!”と思いがちな時には、前者はきついんじゃないかな。


と、こう考えていくと、

なんと、
自分がとっても楽しく生きるということが、最も励ましにつながるのではないかという驚きの結論。

もちろん、自分が楽しいことによって他人の権利を侵食するのは論外だけど。

これも生まれもった家族を始め、急にはうまく折り合いつかないこともあるかもしれないけど、結論を試してみようと思ったら、良い距離感が見えてくる。


だから、ひたすら自分を深めていくのが最も良いのではないかな。
ケイシーさん、シンプルで深みがある言葉をありがとう。


ことばは、シンプルだけど簡便に受け取ってはまちがうかもしれない。

よく味わって、ぐるりと様々観じて、考えて感じて、奥深い世界観に触れるのが大切なのだろうなと思う。


20200923



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『透明な栄養』をテーマに有形無形の造形活動をしています。ホリスティック~全体観~という捉え方を活動の基盤にしています。この捉え方は、いのちの息苦しさが紐解かれたり、改善される可能性をかんじます。noteでは日々の思考研究も兼ねて、この考えをもとに書いたものをシェアしています。