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かわいいひと

「髪の毛を乾かしましょうか」
「やっていただけるのですか」
「はい」
「では、お願い致します」
「結構多いですね」
「そうか?」
「髪質もしっかりしていますから、禿げることはないと思いますよ」
「そりゃ良かった」
「禿げても似合いそうですけど」
「あ、そう」
「でも白髪にはなりそうですね」
「それはどうでもいいけどな」
「そうなんですか」
「なんか社長見てたら、白髪も悪くない気がしてきた」
「社長の髪は、本当にきれいですよね」
「顔も可愛いよな」
「可愛いというか、きれいです」
「まあな」
「本当におきれいで、声を掛けられるのも畏れ多い気がして……」
「それはそれで良くない気がするけど……。あれで女に縁がないとか、どうしてなのかな」
「それはやっぱり、立場的なものとか、生まれとか……」
「アルビノだからか」
「……まあ、そうだと思います」
「なんかの病原菌みてえに嫌う必要はねえと思うんだけどな」
「そうですね」
「まあ、そういうのはどうしようもねえことだな」
「熱いとか痛いとかないですか」
「ないよ、気持ちいい」
「そうですか」
「自分でやるよりは」
「美容院に行けばもっと気持ちよくやってくれますよ」
「それくらいは知ってるよ」
「お母さんの知り合いに切ってもらっていらしたんですよね」
「自分で切るようになったのは伸ばしてからだよ」
「どうして美容院に行かないんですか」
「面倒くせえ」
「座ってるだけですよ」
「時間の無駄だし、こっちが思ってることを正確に伝えられんからな」
「どんな風にして慾しいんですか」
「んー。特にないけど、あんまりきっちりやられるのは厭だな」
「よく見るとがたがたですからね」
「そりゃ適当に切ってるし、後ろなんか見えんから」
「わたしが切りましょうか」
「いい」
「どうしてわたしが切るのをそんなに厭がるんですか」
「肉まで切られそうで」
「そんなことはしませんよ」
「いいよ」
「陰間の床屋の方がましなんですね」
「そんなこと云ったか」
「おっしゃいましたよ。おっしゃってから、その微細な脳内記憶から消し去ってくれって云いました」
「まあ、そんな失礼なことを云ったの? 謝るわ」
「気にしていないので構いませんよ」
「優しいのね」
「陰間の意味も調べました」
「調べんでもいいのに」
「ポンタ君のようなひとのことなんですね」
「まあ、そうだな」
「ポンタ君のことが嫌いなのに、わたしよりもいいんですか」
「んな訳ねえだろ。あいつに触られると鳥肌が立つ」
「木下さんだってひとのことを触るじゃありませんか」
「スケベ心はない」
「あったら犯罪ですよ」
「おれは犯罪者か」
「電車でやればですけど」
「やるかよ」
「やらないで下さいね」
「やりません」
「お客さんにも触らない方がいいですよ」
「どっちの」
「ライブの方です」
「触ってるか?」
「はい」
「誰に触ったかなあ」
「一番被害に遭っているのは影郎君とキタロウ君ですね」
「カゲローとキタローか。名前が似てるからかな」
「キタロウ君は広太という名前ですよ」
「そうだったな」
「木下さんはよく渾名をつけますね」
「よくでもないよ」
「モヨリさんは啄木ですし、岸さんはくるりですし、恵理ちゃんのことは猫化けって云いますよね」
「うーん。その方が覚え易いし、呼び易いんだよな」
「記憶力が悪い訳ではないのに名前は忘れっぽいようですね」
「そうか?」
「高校の時のガールフレンドの名前も忘れていましたよ」
「ああ、あれな。半年くらいで忘れちまった」
「普通、忘れないものですけど」
「たぶん振られたのがすげえショックだったんだろうな」
「どんな振られ方をしたんですか」
「卒業式の日に、もう会わないから携帯のデータ消してくれって云われた」
「そのひとに何をしたんですか」
「前に云っただろ」
「聞きましたけど」
「音楽に夢中になっててないがしろにしたんだよ。そんなつもりはなかったんだけどな」
「わたしにはそんなことはないですね」
「あなたは特別ですもの」
「そのひとは特別ではなかったんですか」
「そんなことないよ、初体験の相手なんだから。それだけに振られた事実を忘れたかったんじゃないか」
「忘れられるものでしょうか」
「責めないでー」
「責めてはいませんよ。でも、それならわたしのこともすぐに忘れてしまう気がするんです」
「忘れねえよ、一緒に暮らした女のことは」
「一緒に暮らしていなかったら忘れるんですか」
「忘れないわよー。揚げ足取らないで」
「すみません」
「いいよな、おまえは。男とつき合ったことがないんだから」
「男のひとはちょっと恐いです」
「おれは恐くねえのか」
「恐くないですよ」
「恐い顔してるってよく云われんだけどな」
「それはそうですけど」
「やっぱり? 亮二ショック」
「喋ればそんなことはないですよ」
「黙ってるとあかんのか」
「あまり喋りませんからね」
「話し掛けられたら喋るよ」
「お酒を呑んでも饒舌になりますね。比較的、という程度ですけれど」
「子供の頃からあんまり喋んねえんだよ。ひとの話を聞く専門で」
「お爺さんが話されることをじっと聞いていたそうですね」
「ああ。あのひとはよく喋るひとで、面白かった」
「木下さんも面白いですよ」
「そうか? たいしたことは云ってねえと思うんだけど」
「おかしなことをよくおっしゃいますよ」
「おかしなって、おりゃ何云ってんだよ」
「そうですね、木下さんは知識が豊富ですから抽き出しが多いので、此方の云ったことにぽんと返すことが変わっているんです」
「別に知識は豊富じゃねえけどな」
「豊富ですよ」
「爺さんには負けるよ。話してても話題がどんどん明後日の方へ行って、気がつくとまったく別のことを喋ってた」
「木下さんもそういうところがあります」
「そんなとっ散らかった話し方してんのか」
「とっ散らかってはいませんけど、話が広がって行きます」
「風呂敷広げて小間物並べてる訳か」
「そういうことをおっしゃるんですよ」
「今のか」
「若いひとはそんな云い廻しをしません」
「爺さんとばっか喋ってたからな」
「年に数回会うだけのひとに、随分影響を受けたんですね」
「印象が強かったからな」
「わたしも会ってみたかったです」
「おまえは圧倒されるかも知れんぞ」
「恐いひとだったんですか」
「いや、穏やかなひとだったよ。親父の方の爺さんはちょっと恐い感じだったけどな」
「そうなんですか」
「話せば恐くなかったよ」
「木下さんみたいな感じだったんですね」
「おれ、そんなに恐いか」
「顔だけでしたら」
「生首じゃねんだから、体もついてるだろ」
「背も高いですし」
「プロレスラーみたいな体格してるなら兎も角、貧相な体じゃねえか」
「貧相とまではいきませんよ」
「ありがちょー」
「そんな、のしかからないで下さい」
「嬉しさのあまり乗っかってしまいました」
「重いです」
「普段も乗っていますが」
「そういうことはおっしゃらないで下さい」
「いけなかったですか」
「云われたくありません」
「事実を述べてはいけないのですね」
「口に出していいことと悪いことを弁えて下さい」
「じゃあ、もうしません」
「子供が慾しいんじゃなかったんですか」
「慾しゅうございます」
「それなら、そういうことは云わない方がいいですよ」
「おまえは難しいな」
「難しくはないですよ、控えるところは控えて慾しいだけです」
「さいですか」
「木下さんの場合、重いというより痛いんです」
「あそこが」
「ですから、そういうことはおっしゃらないで下さい」
「かしこまりました。で、何処が痛いんだ」
「骨が当たって痛いんです」
「悪かったな」
「痩せていることが相当コンプレックスなんですね」
「まあな」
「女のひとなら羨ましがるんですけど」
「痩せてりゃいいってもんじゃねえよ。おまえも、もうちょっと太れ」
「太らない体質なんです」
「おれもだよ」
「木下さんは食べないからですよ」
「ガキの頃から少食なんだっての」
「どうしてなんでしょうね」
「さあなあ」
「ご飯を食べても美味しくないんですか」
「そんなこたないけど、もりもり喰ったことはねえな」
「そもそも主食を殆ど召し上がりませんものね」
「うちがそうだったんだよ。酒のアテみたいなのばっかが並んでた」
「わたしが行くとそんなことはないですけど」
「そりゃあ、おまえはそう酒を呑まんから」
「子供の頃から呑んでいたんですか」
「……そうなのです」
「隠れてですか」
「いや、親父がおれの分のコップも卓子に並べてた」
「お父さんもまた、変わっていらっしゃいますね」
「高校に入る前に煙草くれって云ったら、ほいってくれたしな」
「そんな頃から喫っていたんですか」
「すみません」
「謝る必要はないですけど」
「嫌わないでね」
「嫌いませんよ」
「ありがちょー」
「それはやめて下さい」



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