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因果応報。

 これまで拙いなりにも書いてきた文章には、わたしが少ないなりに体験したことが反映されている。ただ、経験が未熟なあまり、想像の中で創り上げることが多い。
 喩えばわたしは中学校しか出ていない。高等学校、大学校のことなど、まったくの想像の世界である。躁鬱病や処方薬過剰摂取などのエピソードは実体験を元にしたが、そのままを移した訳ではない。友人などひとりも居ないので、死に目に遭遇したこともない。

 それなのに、仮想の世界が現実に迫ってくるかの如く、我が身に降り掛かってくるようになってきた。
 キタロウ君の手が震える話は、当時のわたしの体験をそのまま摂り込んだ。ナナシの牧田が親の介護をする設定にしたら、それが我が現実となった時には驚いたが、これはまあ、よくある話なので多少気になった程度であった。
 しかし今回の骨折である。
 片脚が若干不自由な人物として設定した作家が居る。彼は生まれつき片足が巧く動かないと謂う設定であった。
 現実のわたしは不注意による怪我で、医者に依れば「この膝は今後、元の通りには動かないでしょう」とのことだ。そこまではっきり云うなよ。目の前が真っ暗になったわ。他にも耳が聞こえない人物も居る。これは今のところ大丈夫だ。
 そして目だ。
 悪いのは元々で、若い頃から眼鏡が必須で近眼、乱視が酷く、裸眼だと0.01ない。そこへ老眼が加わり、近いところも遠いところも覚束なくなってきた。近いところは近眼なので、眼鏡を外して本など読んでいたのだが、どうぶつの森が怪しい。
 つまりはニンテンドー3DSの画面がまともに見えなくなってきたのだ。怪しいどころか激しく二重に見え、極端に謂えばぐちゃぐちゃだ。何が何やらはっきりと把握出来ない。
 目と謂えば、盲目にしてしまった亮二。
 しかし目は別だ。これだけは他人事、創作のみにしておきたかった。彼と違って、わたしの好むとするところの殆どすべては視覚に頼っているのである。極端な話、他人と関わることが苦手なわたしは音など聴こえなくても、さして支障はないのだ(と思う)。
 もともと近眼、乱視が酷く、夜目も利かなかった。そこへ老眼が加わり、これは年齢に依るものと諦めていた。くだらないことかも知れないが、ゲームの画面がまともに見えない、つまり操作出来ない、本の文字が重なって読めない。
 これはわたしにとっては一大事なのだ。命を取られたに等しい。本のページを捲って行を追う。ぐしゃぐしゃとくっついているのだ。読める訳がない。基本的に両方とも裸眼でこなしていたのだが、目医者へ行くべきであろうか。
 しかしこれから膝関係で、片足を引き摺りながら片道四十分掛けて通院することを考えると、通う医者を増やしたくない。今後一切、目を使う趣味は止して、ただひたすら横になっていろと云うのか。
 それで生きていると謂えるのだろうか。一応、最低限の生活は出来ているのであるが。



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