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肉を食べずに生きる。

 なんだか禁欲的と謂うか、禅修行と謂うか、兎に角、普通じゃない感じがするベジタリアン。若しくはヴィーガン。或いはマクロビオティック主義者。
 どう説明しても、新興宗教的と申しますか、怪しげな雰囲気が漂う。まだアルコール依存症の方が、親近感が持てる。
 それは、わたしがアル中に限りなく近いからか。
 しかしわたしは子供の頃、それこそ思春期に至るまで、まともに肉が食べられなかった。まともと謂うのは、ミンチ状にしたものなら喰えたからだ。
 要するに、ハンバーグなどは喰える。しかし好まない。如何にも肉、と謂う見た目のものは、一切受けつけなかった。吐く訳ではなく子供だけに、単に嫌いだったからである。どこが嫌いかとは、説明出来ない。恐らく獣くささと脂っこさが苦手だったのであろう。甘いものも苦手なので、晩飯がすき焼きだった日には絶望し、この世の末を思うほど悲しかった。
 昭和の家庭料理に於けるすき焼きは最上級のもので、ご馳走である。それが嫌いだと謂う子供は、皆無に等しかったのではなかろうか。けれども、わたしは嫌いだった。いまだに好んで食べようとは思わない。調理法としても、あれは肉の旨みを最大限に生かすのではなく、殺していると思う。
「晩御飯はすき焼きよ」
 と謂う機会が、貧乏長屋(市営住宅)から父親念願の持ち家に引っ越してからは、週に一回は必ずあった。地獄である。サラダなどの副菜が一切ないのだ。逃げ場がない。
 何故か関西風のやり方で、牛脂をぐりぐりと鉄板になすりつけ、肉を広げる。そこへスコップ型のスプーン(昔の台所には必ずあったであろう、砂糖入れに附属するあれ)で、砂糖をばっさばっさと入れる。そして醤油と出汁。
 卓子一体型の鉄板で繰り広げられる、悪夢のような晩餐。わたし以外は喜んでいるのが、更に絶望感を促す。若い頃からダイエットに励み、現在は菜食主義者らしい姉はその頃、肉至上主義だったので、わたしが手をつけなかった肉をすべて平らげてくれた。
 わたしがその晩餐で何を喰っていたかと云うと、白滝と葱を生卵で砂糖味を緩和して、無理やり飲み込んでいた。後に、(元)連れ合いの実家が三重県だった為、正月に帰省する度、午は焼肉、夜はすき焼きと、松坂牛を振舞われた。
 他人からすれば、羨望に値する状況であろう。しかしわたしには、この世の地獄なのであった。逃れられるなら、何をしてもいいとさえ思った。自宅の出来事ならそこまで追い詰められないだろうが、婚家の、それも正月の食卓である。精一杯の持て成しで、通常の場合ならば諸手を挙げて喜ぶ献立なのであろう。
 それがわたしには苦痛でしかない、地獄の食卓なのであった。二年目からは連れ合いの言及もあり、向こうが斟酌してくれ、わたしの為だけに刺身の舟盛りを用意してくれた。難有すぎて身の置き場に困った。それでもわたしは、松坂牛のすき焼きには手をつけなかった。それくらい、嫌悪する代物だったのである。
 すき焼き以外の天敵は、土用の丑に喰わされる鰻の蒲焼きである。くどくて甘くて脂くさいとしか思えない。いまだに苦手だし、喰いたいとも思わない。タレが苦手だろうと思った(元)連れ合いが、奮発して白焼きをご馳走してくれたけれども、味は兎も角、脂が胃にもたれた。
 偏食以外の何物でもなく、肉が嫌いならば甘いものも嫌い。つまり、果物も食さない。子供の頃は季節に応じてスイカやデラウェア、プリンスメロン、梨、柿などは供された。だからと謂って、それを嬉しく喰った覚えがない。
 愉しかったのはスイカの種を飛ばして、そこから芽が出るだろうかと地べたを眺めていた、夏休みの数日のことだけである。
 現在のひとり暮らしで、果物を買ったことなど一度もない。高いと謂うのもあるが、喰いたいと思わないのだ。グラノーラに入っているドライフルーツすら、邪魔に思うほどだ。
 では何が好きなのかと謂うと、一時期、サンドウィッチとハンバーガーに固執したことがあった。インターネットで検索し、近場の美味しそうな(金銭的に見合う)店へ行き、美味しく食させてもらった。
 その頃はストレス満載の毎日で、仕事も過酷で、どんなにカロリー過多の食物を摂取しても、痩せる一方だった。一時はBMIが16以下になり、体脂肪も10パーセントを切った。運動などしていないのに、アスリート並みの数値であった。
 今やどうだ、自宅待機の一ヶ月を経て、体も心も怠けてしまった。粗食としか云えない日常なのに、体重が増えたまま戻らない。
 あかんやろ。
 職場まで自転車で通う。雨が降れば三十分掛けて歩く。
 何故なら、車がないからだ。あったとしても今は、財布を盗まれ戻ってくる筈もない状況なので、手許に免許証がない。そもそも自動車免許証などあったところで、車を購入することも、維持することも出来ない。
 この世の中、そんな人間も居るのだ。

 で、こんなわたしが毎日何を食しているのかと謂うと、早く帰れる時は赤札のついた惣菜。何故なら、気力が職務中ですべて使い果たされるからである。
 八時間、ただひたすら動き続け、声を張り上げ「いらっしゃいませ」と云い、接客し、更に同僚から苛められる日々だ。これでストレスが溜まらないなら、脳味噌の何処かがイカれているに違いない。まあもともと、イカれてはいるのだが。
 少し前までは、毎日過食嘔吐を繰り返していた。おかげで不健康に痩せていた。が、これではいかんと一念発起し、兎に角、吐かないように努力した。努力しないと出来ないのだ。
 吐かない為には、過食しないようにせねばならない。過食するのはストレスの所為で、現在の職場では日常的に苛めが行われているので、それは避けられない。それを回避するには、退職する以外、手はない。
 しかし、職を辞することは出来ない。
 わたし以外のパートの(苛める)ひとは、主婦と実家暮らしの女性である。つまりは、小遣い稼ぎで働いているのだ。わたしはひとり暮らしで、家計のすべてを己れの稼ぎで担っている。彼女らがどれだけ厭がらせをしようとも、辞職する訳にはいかない。
 それは兎も角、惣菜以外に食しているものは、豆腐と納豆とキムチをまぜくったものである。まあ、見た目は悪い。ゲロのようである。
 しかしそんなものは、喰って腹に収めれば一緒だ。最終的には糞になる。わたしはレストランに赴いたり、高級宅配食を口に出来るほどの上等な人間ではない。
「泥水啜り、草を食み」
 と謂う軍歌があるけれども、「おまえなぞ、残飯を喰っているがいい」と云われれば、そうですね、と力なく答えるしかないのだ。
 美食とか食べ歩きとか云っているひと達は、相当立派な方々なのだろう。わたしなどは足許にも及ばないに違いない。靴を舐めろと云われたら、丁重にお断りするけれども。
 現在のわたしの不満は、うちには雑穀しかなく、それが弁当に持っていく握り飯に向かないと謂うことである。
 雑穀はぱらぱらとしていて、纏まりがが悪い。要するに、粘り気がまったくない。で、もち米を接着剤(?)にしたく購入しようと思ったのだが、どこのスーパーにもない。
 もち麦は今時の流行である為か結構目につくのに、もち米は見当たらないのである。この辺りのひとは餅をつくので、正月以外は需要がない所為だろうか。各家庭で、年末には臼と杵でぺったんぺったんしているのか。参加したいではないか。餅はあまり好きではないが、餅つきには憧れる。
 話が滅茶苦茶ずれているではないか。普通はもち麦などよりもち米の方が一般的で、何処のスーパーでも年間を通じて扱っていた筈だ。それがない。不思議だ。
 まあ最近、やっと探し探して、一キロ手に入れた。これをほんの少し加えるだけで粘りが生じ、ばらばらの雑穀にまとまりが出来る。つまり、おにぎれるのだ。
 おにぎりは素晴らしい。特に野外で食す握り飯は格別だ。普段の倍は喰える。幼少時のわたしは、茶碗一膳の飯が喰えなかった。白米が苦手すぎて、箸を口に運ぶのが苦痛ですらあった。だが、塩をかければ喰えた。単に子供だけあって、子供舌だったのであろう。
 しかし白米が苦手なわたしでも、動物園に赴いた際の弁当にあった握り飯は二個喰えたのだ。子供の茶碗の二膳分である。
 その際に携帯されていたのは、塩むすびに梅干しが真ん中にある、ありきたりな、日本古来よりの伝統的な握り飯であった。当時は缶詰のシーチキンとマヨネーズをあえて、それを握り飯の具にしようなどと謂う暴挙を試みる、否、そもそも発想する者すら居なかった。今から思うと、それは誠に平和な時代である。
 これからの季節、譬え握り飯でも腐敗が気になる。防腐の方法としては炊飯の際、酢を入れる、或いは梅干しを炊き込むのが得策である。酸は腐敗に強い。
 確実な方法は、保冷剤を入れ、職場の冷蔵庫にぶち込む。冷蔵庫がない職場であるなら、保冷剤をしこたま仕込む。
 それくらいしか方法はない。それが出来なければ、ランチパックでも喰って、飢えをしのぐしかないだろう。金が有り余っているのならば、毎日外食すればよい。羨ましい限りだ。しかし、金に余裕があっても、わたしは真似しないだろう。


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