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『ヘルタースケルター』に於ける、『ツインピークス』との類似性。

 どちらもリアルタイムで見て(読んで)いる。世間を巻き込んでのブームとなったのは、デヴィッド・リンチが送り出した『ツインピークス』だ。これは世界規模のムーヴメントだったので、極東の一漫画家が太刀打ち出来るものではない。
 つい最近、ひとに貸す為に読み直した『ヘルタースケルター』なのだけれども、この大ヒットドラマ『ツインピークス』の影響がかなり濃い、と思った。
 主人公であるりりこの、まるで竜巻のように奔放で悲惨な運命。芸能界の世知辛さ。上滑りで滑稽な流行りもの。
 これらは岡崎京子の、謂わば「定番」である。読んだ当時は、そう思っていた。しかも単行本化する時、作者は既に事故に遭い、手直しも碌に出来なかったのだ。
 岡崎京子はサブカルチャーの先端をゆく漫画家で、テレビにも屡々出演し、渋谷系ミュージシャンとも親しく交流していたらしい。その最たるものが、小沢健二であった。恐らく、フリッパーズ時代から交流があったと思われる。
 小沢健二は、岡崎京子の理想の青年だった。
 彼女が事故に遭い、その報せを受けた彼は、真っ先に病院へ駆けつけた。面会を拒絶された小沢健二は、親族だと偽証までした。何故そこまでしたのかと問われ、
「だってぼくは、岡崎さんの王子様だから」
 そう彼は答えた。
 これは別に、小沢健二自身が己れのことを「王子様のように高貴で麗しい」と云っている訳ではない。自分は彼女にとって、最高の慰みもので癒しなのである、と認めた上での発言なのだ。
 岡崎京子はきっと、この言葉に感激したであろう。なにしろ、一緒に事故に遭った亭主はさっさと縁を切り、とんずらしたのだから。金の切れ目は縁の切れ目とはよく云ったものである。ヒモ亭主は再起不能になった女房を、きっぱりさっぱり、切り捨てたのだ。
 潔いにもほどがある。このように自己中心的な輩は、次に手に入れた若い女房に対しても、碌な対応をしないであろう。我がもの顔に振る舞い、思うようにいかなければ切り捨てる。
 それが通用しなくなる時まで。
 それはさておき、岡崎京子と小沢健二との交流は、現在も続いているらしい。稀有な関係である。

 読み返してみた『ヘルタースケルター』であるが、主人公の「りりこ」を気に掛ける胎児売買事件を追う検事、浅田との関係が、『ツインピークス』の女子高生ローラ・パーマーとFBI捜査官デイル・クーパーの関係と、非常に似ているのだ。
 後半に登場するひとり掛けのソファーや緞帳のようなカーテンなどの演出も、かなり『ツインピークス』を意識しているように思われる。
 りりこのキャラクターも、人気者でちやほやされているものの、周囲が求めるイメージと自分自身のギャップとの葛藤。ローラの場合はストレスからの逃避に依る薬物依存、止むなき状況に依る売春などに溺れ、りりこは全身整形の為に服用する薬物の副作用、それを紛らす慾望、発散。そして両者に共通するのは、痛み。
 ヒステリックに喚き散らす。
 慕ってくる者を拒絶する。
 自分自身を痛めつける。
 ローラ・パーマーは、登場した時点で既に殺害されており、『世界一美しい死体』と謂うキャッチコピーがついた。
 一方りりこは、苦しみながら、足掻きながら、それでも生き続ける。悍ましく、醜くも。
 近年になって、『ヘルタースケルター』のりりこを演じた沢尻エリカが薬物問題で取り沙汰されたが、まるで漫画の主人公に取り憑かれたかのような印象を受けた。
 そうではなく、芸能界と謂う一種の「魔窟」が、そうした病巣を孕んでいるのだろう。その裡に取り込まれた弱い者は、縋るものを求める。しかしその縋るべきものを何にするかは選択の余地がある筈だ。
 菜食主義でも、ヨガでも、アロマテラピーでも、ロハスでも、そんなものなら雑誌の取材で堂々と披瀝出来るのだ。諸手を挙げて、自慢げに。そうした、如何にも健全なものを選択出来ない病んだ者たちは、地獄へ堕ちるしかない。
 眠れない、イライラする、夜遊びがやめられない、購買意慾が止まらない、食慾が収まらない、どうにもならない、止められない。痩せたいの、キレイになりたいの。わたしを崇めて、褒め称えて。それは無理なの、無理なのは知ってる、知ってるわ。
 苦しい、苦しい、苦しい。死にたい。死にたくない。楽にして。楽になる薬が慾しい。薬を頂戴。自分で手を下すのは恐い。こんなわたしは嫌。醜くて吐き気がする。嫌い、嫌い、大嫌い。誰もわたしを見ないで。
 でも、わたしを無視しないで。誰かわたしを助けて!
 悲鳴が充満する世界。
 きれいなわたしを見て!
 輝いているわたしを見て!
 わたし以外を称賛しないで!
 わたしだけがこの世の王女様だと云って!
 
 岡崎京子はオマージュを多用した漫画家でもある。特にゴダール。時代的に『なんとなくクリスタル』をパロディにして、索引を設けた単行本もあった。「時代と心中した漫画家」と云ってしまえば、それまでだろう。
 当時をきらめくサブカルチャーの、最先端を駆け抜けた岡崎京子。シャネルの70番のルージュを引いて、色鮮やかに軌跡を残した。それだけで終わらないで慾しい。その才能をもう一度、花咲かせて慾しい。
 願わくば。

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