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空の青、海の青にも

 彼に会ったのは高校に入学して参加した軽音部の部室だった。全員で集まって上級生が部活の内容を説明している時、一番隅の席でやる気なさげな様子でぼんやりしていた。
 痩せて背が高く、色白で、気難しい科学者か哲学者のような顔をしていた。酷く無口で、話し掛けても挨拶か返事くらいしかしない。爪弾いているだけでは判らなかったが、他の部員のアコースティックギターを借りて、何故かクラシックを弾いていることが屢々あった。
 かなり技術を要する曲を易々と弾いていた。
 木下亮二という名のその男は、親しくなると阿呆に近いことが判った。
 頭が悪いという訳ではないが、言動が馬鹿としか思えなかったのだ。慣れ親しんでくると、実に雑な口調で話すようになり、もうひとり、ドラムの出来る江木澤閎介と三人でバンドを組んだら、その男がおとなしくて口答えしないのをいいことに、罵詈雑言を浴びせ掛けた。
 中学生の頃に組んでいたバンドでは、ドラマーがリズム音痴で箸にも棒にも掛からなかった為、一年ほど亮二がドラムを担当していたという。自分が出来るので歯痒く感じるのだろうが、江木澤の技術がかなり高かったので、要求が大きくなってしまうのかも知れない。おれには少し親しくなった頃、はっきり下手糞だと云った。
 普通、そんなことは面と向かって云わない。けれども彼は、「今日の天気は晴れ」くらいの調子で、あっさりと云ってのけたのだ。云われたこちらも、あっさりと受け流すしかなかった。
 普通はあっさり決まるらしいのだけれども、楽器にこだわる奴らばかりなので誰もボーカルを担当したがらず、阿弥陀籤で決めることにした。結局亮二が引き当てたのだが、恐ろしいほどに気分を害した表情で紙を握り潰し、無言で江木澤に投げつけると、憮然として部室を出て行き、その日は戻ってこなかった。
 翌日、彼はケロッとした顔で部室に現れ、アンプやミキサーを弄り廻した挙句、「なんだかよく判んねえ」と云いながら、手書きの紙っぺらをおれたちに渡した。
 歌詞とタブ譜が書き殴られた、RCサクセションの『うんざり』であった。己れの心情を託した気持ちが厭と謂うほど伝わってくる選曲である。
 その時、彼の歌声をはじめて聴いたのだが、誰の声にも似ておらず、その若干掠れた感じはブルースでも唄ったらいいのではないかと思えるものだった。低くも高くもなく、さほど声量がある訳でもなかったが、魅力的である。
 亮二は、飄々として、知識が豊富で、何事にも流されない強い意志を持っていた。既に彼は自分の世界を確立しており、ひとの意見に左右されることはなかった。何色と謂う訳ではなく、その肌と同じように「白色」だったのであろう。どんな色にも染まらず、撥ねつける。
 色の美しさを知っているからこそ、自分を染めることをしなかったのかも知れない。その美しい色彩の世界を、彼は失ってしまった。
 亮二と出会ってから、四十年ほども経った頃だった。そんな年月など、意識もしていなかった。特におれは他のふたりと違い、畏まった職業に就かなかった所為かも知れない。自分としてはちゃんとした仕事だと思っているが、他のふたりに比べると楽器の小売店の従業員では、アルバイトに等しいと思えてしまうのだ。
 こんな風に思うのは、店主に対して失礼極まりないとは当然、思う。しかし、バンドマンなのに他の奴らが出世し過ぎているのだ。おれだけが学生気分で、まともな仕事も出来ずにいる。

 練習の為に予約したスタジオへ行くと、彼は既に来ていた。来ていたことに驚いた。何故驚いたかと云うと、部屋の灯りが点いていなかったからだ。電気を点けると、亮二は項垂れて椅子に腰掛けていた。
 如何したのかと訊ねると、近頃目が能く見えなくなってきたので会社を早退して眼科へ行ったら、日常生活に支障をきたすほど悪いので詳しく検査した方がいいと云われたらしい。時間をそんなに取れないと云ったら、失明する恐れがあると云われたという。本当なのかと訊ねたら、こんなことで嘘を云う訳がないと答えた。
 彼は嘘を云わない。馬鹿がつくほどの正直者だった。しかし、此処まで意気消沈したところを見るのははじめてである。
 目が悪くなったのは知っていた。前にも眼科に行ってかなり悪いことが判り、もともとかなり視力は悪かったものの、鬱陶しいと云って眼鏡は掛けなかったのだが、常に掛けるようになっていた。それでも失明するとまでは云われていなかった。その時は彼もさほど深刻ではなく、おれたちも冗談を云っていたくらいだった。その冗談に、亮二は洒落にならない仕返しをしてきたのだが。
 俯いている亮二に何れくらい見えていないのか訊いてみたら、おれの顔の造作がはっきり見えないと云う。
 ほんの三十センチくらいしか離れていなかった。眼鏡を掛けていない所為かも知れないが、裸眼と謂えどもそれは悪過ぎる。彼の顔を覗き込んでいたら、少し泣きそうな表情になっておれにしがみついてきた。それまで巫山戯て抱きついてきたことはあったが、こんな風に縋るような抱きつき方をしたことはない。
 相当気が弱くなっていたのだろう。此方も胸が詰まってしまい、彼の男としてはかなり華奢な体を抱き締めていた。溜め息をつきながら、もう車の運転出来ないな、と彼は呟いた。江木澤も含め、三人で旅行したことを思い出した。
 当て所もなく、亮二の車で北の方へ旅行した。彼は旅行をあまり好まないようだったが、この時は実に愉しそうにしていた。低体温、低血圧、しかも貧血症でもある彼は、温泉に入るとすぐに上気せてさっさと出てしまい、部屋に戻ると布団にぐったり横たわっていた。
 食事が出されても、小鳥が啄む程度にしか食べない。これは若い頃から同じで、食べ盛りの青年期でも、かけ蕎麦一杯で満腹になってしまうような奴だった。よくこれで一八〇センチにまで育ったものだと思える。風呂で見たら痩せ細っており、筋肉がついていない訳ではないが、華奢で貧相な躰だった。暑くなっても長袖でいるところをみると、本人も気にしているのだろう。
 髭が薄く臑毛も生えていないので、夢見がちな女には好まれる。実際、ライブに詰めかける観客の半数以上は彼が目当てで、女の方が多かった。顔立ちや言動は兎も角、女性的に見えないこともない。本人は同性愛的なことを非常に厭がるのに、何故か巫山戯ると女言葉になった。しかもおれの手を握り「牧田ちゃん」だの「愛してるわ」だのと平気で口走るのだ。
 端正な顔立ちをしているのに、彼は容姿について何か云われるのをとても嫌う。女にちやほやされても、目もくれなかった。関心がない訳ではなく、単に一途なだけである。彼には大学一年の頃に知り合った小高清世と謂う女性が居たのだ。
 二十年近くつき合ってやっと入籍したのだが、亮二に結婚のふた文字が認識されているとは誰も思っていなかったので、はじめは本気にされなかった。おれもそのひとりだった。江木澤が入籍しただけで何もしないのでは清世さんが可哀想だと云って、ふたりで祝いの席を用意したが、その費用のすべては亮二が支払った。アクセサリーなど一切身につけなかった彼が、清世さんの要望で結婚指輪を嵌めた。これには江木澤もおれも驚いたほどである。
 長く結婚しなかったのは、責任を負いたくなかったのではなく、就職して数ヶ月で同棲を始めたからだろう。おとなしく控えめな彼女がそんなことを許すとは意外な気がしたが、云い出したのは清世さんの方だと聞いて吃驚した。余程亮二と一緒に居たかったらしい。
 ふたりは呆れるくらい仲が良かった。傍からすると、いい加減にしろ、と云いたくなるほどべたべたして、阿呆じゃなかろうかと思えることもあった。おれは女とつき合っても、何故か長続きしないので羨ましくはあったが、あんなにいつも一緒に居たら気が抜けないのではないかとも思った。

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 目のことを打ち明けられた次の練習で顔を合わせたら、亮二は普通の様子に戻っていた。前の時は江木澤も彼のことを知って、練習どころではなく皆して暗くなってしまったが、亮二は何事もなかったようにしていた。
 車の運転はやめて、愛車も手放した。清世さんに教習所に通い直してもらったらしいが、そもそも亮二の車はかなり大きかったので、彼女には扱えなかっただろう。
 そして、三年ほどすると、彼の目は薄暗い場所では何も見えない程になった。
 ライブハウスのステージは狭く、床の一部にはシールドの類いが蜷局を巻いている。演奏するスペースに障害物は少ないが、機材が置かれているので目が見えても躓くことがある為、おれが手を引いて連れて行っていた。観客に知られたくないと云うので、ライトは消してもらっておいた。
 盲人の手を引っ張ってはいけないことをあとで知った。目の見えないひとは、自分で起こす行動以外には恐怖を感じるのだという。誘導する時は、肩に手を乗せて貰うか、腕などに手を添えさせて導くのがいいらしい。身近に目の見えない者が居たことがないので、何も知らなかったのだ。
 亮二はああして慾しい斯うして慾しいとは一切云わないから、此方から訊ねるか、調べない限り判らない。ステージで椅子に腰掛けた方がいいのではないかと云いだしたのは江木澤だった。ドラマーは椅子に座って演奏するので気がついたのだろう。それからは全員が座って演奏することになった。
 音楽的には椅子に腰掛けて演るようなものではなかったが、致し方ない。
 亮二も江木澤も会社の定年が六十五才で、その頃にはもう殆ど見えなくなっていた。午間の明るい陽射しだと辛うじて光が見えるらしいが、それもやがて見えなくなるらしい。態度が明白地に不自然でも、清世さんは彼に何も云わなかったそうだ。亮二は彼女にぎりぎりまで黙っていた。
 云えない気持ちは判らないでもなかったが、隠し通せるものでもないのに打ち明けられなかったのは、やはり恐かったのだろう。弱い部分などまったくない奴だと思っていたが、そんな人間が居る筈もない。何れだけ煩悶したか察り知れないが、最初の日以外、彼が弱音を吐くことはなかった。それもおれに対してだけで、江木澤にはたいしたことはない、なんでもないと云い続けていた。
 江木澤に心を開いていない訳ではないが、おれに対する態度とは微妙に違っていた。彼は生真面目で少々堅苦しいところがあるので、亮二としてもそれなりの応対をして仕舞うのかも知れない。
 馬鹿な割には気を遣いまくるのだ。己れの負担を顧みずに。
 そうやって溜まったものが練習の際、思うようにいかないと爆発するのだろうか。その爆発の仕方が尋常ではなかったが、年を喰ったらそんなこともなくなった。
 もともと、音楽以外は拘りの少ない人間だった。服装もいい加減で、流行など一切構わなかった。何故か無地のものしか着なかったが、それも拘りがある訳ではなく、古着屋で適当に買ってくるだけである。たまに結構なブランドの服を着ていて、割と服装に関心のある江木澤が指摘していたが、それを云われてもなんのことか判っていないようだった。
 車に関してはどうもアウトドア系のものを好むらしかったが、それも特別拘っている訳ではなさそうで、そもそも亮二は野外で活動することに関心がない。二台目に買った車など何処の会社のものなのか判らず、ただ安いから手に入れただけである。ロシア製かも知れないと云われて、彼は勝手に『レーニン』と名づけていた。
 見た目はグロリアバンなので、シャコタンにすればヤンキーが乗り廻すような車であった。

 亮二、江木澤の両人が定年退職するにあたって、ライブ活動はやめることにした。亮二はそれでもいいのかと訊いてきたが、おれも江木澤も趣味でやっていたことなのだから、ステージで演ることに執着してはいなかった。江木澤は三人で演りたかったらスタジオを借りてやればいいと、亮二の肩を叩いて云った。彼は済まないと頭を下げた。
 解散ライブと銘打った訳ではなく、いつも通りやって来た観客に、最後の曲のあとで江木澤がこれでもうひと前で演奏することはないと云っただけである。亮二の目が殆ど見えなくなってからは、負担が掛かるのでアンコールは省略していた。
 終演後、観客はなかなか引き上げてくれなかったが、店に頼んであったので、十一時半頃には誰も居なくなった。周囲を確認してから、近くの駐車場に停めてある車を店の前に移動した。亮二は江木澤に凭れ掛かるようにして立っていた。その姿が、随分頼りなさげに見える。
 ライブ活動はやめたが、江木澤が云ったように時々スタジオを借りたり亮二の家で演奏をした。おれが勤めていた楽器店に簡易スタジオがあるので、そこで演ることもあった。何十年とやって来たものをいきなりやめられる訳がない。おれたちは音楽ジャンキーのようなものだったのだ。
 両親とも死んでしまい、家にはおれひとりなので無聊を託っているのも手伝って、亮二の処を能く訪ねた。彼の家には猫が七匹も居て、玄関を開けるとぞろぞろ顔を出す。それぞれ個性も違うが、おれに一番懐いてくるのがマルと謂う雌猫だった。
 この猫は亮二の両親が田舎に引っ込む際、家を彼に譲り、そこへ移り住んでから拾った猫で、野良の癖に喰い過ぎで気息奄々としていたという。それを聞いて呆れてしまったが、やたらとひと懐っこく、穏やかな性格をしていた。おれが行くと必ず足許に纏わりついてきた。
 一度、マルを譲ってくれないかと云ったら、亮二は家族を譲り渡せるかと、何時になく本気で憤り、拳を握りしめてさえいた。これだけ居るのに駄目なものなのか、と云ったら、「おまえに兄弟が十人居て、ひとり差し出せと云われたら出来るか」と逆に問い返された。云われてみれば、それは当たり前の話で、猫でも同じことなのかと改めて思った。
 亮二はどんなものでも同じように扱う。体に不具合を持った人間でも特別扱いはしなかった。彼にとってはどんなものでも上下はなく、程度の高い低いも無いようだった。ものでもひとでもそれは同じである。猫にも人間と同じように話し掛けている。観客にも友人のように接していた。
 それは出来るようで出来ないことだと思った。
 この年の終わり近くに、彼を旅行に連れ出した。最初は断ってきたが、清世さんから気分転換になるのではないかと勧められたので行く気になったらしい。世界広しと雖も、亮二の意向を変えさせることが出来るのは彼女しか居ないだろう。
 以前の旅行では北へ向かったので、今回は南へ向かうことにした。
 何故旅行が好きでもない彼を連れ出したのかと云うと、近所を散歩するくらいで殆ど外出しないと謂うのを聞いていたこともあるし、何をすれば気晴らしになるのか思いつかなかったと謂うのもある。江木澤に目の見えない人間を旅行に連れ出すのは非常識ではないかと云われたが、亮二ならどんなことでも面白がるのではないかと思ったのだ。
 しかし、さすがの彼もこれはあまり楽しめなかったらしい。あとで周囲にかなりぼやいていた。別のことをすれば良かったかと思ったが、彼は無慾なので、何をしてもらいたいか、何がしたいかと訊ねたところで云ってくれなかっただろう。
 普通の人間なら自暴自棄になったり、厭世的になったりしそうなものなのに、亮二はすべて受け入れて、それを愉しんでいるようにすら見える。自分に起きる物事を、まるで愉しいことのように受け入れているのだ。
 彼に巡り会えて本当に良かったと思う。実に面白い青春時代を過ごさせてもらったし、音楽活動も長く続けられた。楽しいことも辛いことも共に経験した。これほど長くつき合った者は、亮二と江木澤のふたりだけである。この濃密な関係は、親兄弟を凌ぐほどだとすら思える。
 人生の残りはあと僅かだが、誰が先に逝こうとも最期まで見届けたい。おれが死ぬ時もこのふたりに看取って慾しいと思う。恐らく、家族よりも近しい存在なのだろう。居なくなった時のことなど想像出来ない。
 学生時代の写真でも、清世さんが撮った三人の写真でも、一緒に行った旅先の写真でも、彼はいつもつまらなそうにそっぽを向いていた。三人で旅行をして、東北で泊まった旅館の暖房機が壊れており、寒さに耐えかね亮二に布団に這入ってもらったことがあった。あまりに痩せているので文句をつけたら怒っていたが、朝まで一緒に眠った。彼はよく巫山戯ておれを抱き締めた。いつも愉しそうに笑っていた。
 もう、その目がおれの目を見つめ返すことはない。何かを見て感動することは出来ない。おれが見たものを正確に伝えることも出来ない。しかし、いつまで経っても子供のような笑顔の亮二は、おれの横でギターを弾いて唄っている。
 白鳥は悲しんではいない。

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