見出し画像

「木下さん、動物好きだよね」
「種類に依るけど、まあ、だいたい好きだな」
「兎は?」
「触ったことはないけど、嫌いじゃないよ」
「飼う気ない?」
「ない」
「返事が早いなあ」
「当たり前だろ、うちには猫が居る」
「それは知ってるけど、ケージに入れておけば大丈夫だよ」
「飼わない。なんでそんなことを云いだすんだ」
「学校で兎が生まれたこと、云ったよね」
「ああ、母親が踏みつけて殺すから、飼育係が育ててるんだったな」
「うん。でもさあ、三匹居るんだけど、先生が農家にやるって云うんだよ」
「農家にやったら潰されちまうだろ」
「そうなんだよね。ペットとして飼う余裕はないって云われちゃった……。でも、誰も引き取らなくて、木下さんだったら飼ってくれるかなあと思って」
「おまえんちは駄目なのか」
「うちはお母さんがアレルギーだから、動物は飼えないんだよ」
「そうか。他には当たってみたのか」
「みんな駄目だったから木下さんに頼んでるんじゃない」
 我が家のほど近くにある小学校で飼育係をしている岡田少年は、隣人の息子である。アパートで暮らしていた頃は近所の子供たちとよく遊んで、慕われていた。子供の居ない淋しさはそれで紛れた。実家を譲り受けて移り住んでから暫くの間は子供との交流はなかった。
 隣には小学五年生の息子と中学三年生の娘が居る。回覧板を持ってきたりするうちに我が家を時折訪れるようになったのだ。
 上の娘は今、受験で忙しいが、幼い頃は猫と遊ぶ為によくやって来た。下の息子も動物が好きらしく、先だっての夏祭りで妻を唆して金魚すくいをやらせたのはこの少年である。
 しかし、兎を飼えだと? 冗談はよし子さんだ。我が家には七匹の猫と二匹の金魚が居る。金魚の始末でもあれこれ悩んだのに、兎など飼えるかい。いや、待て。遥か昔、まだ猫を飼う前に、妻は兎を飼いたいと云っていた。
 岡田少年が彼女に相談しないよう、祈るしかない。
 祈ったのに、聞き入れられなかった。信心が足りない所為だろうか。今からでも遅くないならば、幸福の科学でも統一真理教会にでも入りましょうぞ。
 そうなのだ。妻は少年に、兎なら飼ってもいいと云ってしまったのだ。いい加減にせんか。
 もういい。なんでも持ってくるがいい。兎の十羽や二十羽がどうした。もの足りぬわ。河馬でも象でもシロナガスクジラでも持って来るがいい。家を動物園にしてやる。当然入場料を取る。飼育代が幾ら掛かると思っているのだ。五千円くらい徴収して、体験コーナーで動物の世話をさせてやる。
「清世、おまえは何を考えているんだ」
「恭一君が困っているようでしたので」
「おれも困るってことが判らんのか」
「世話はわたしがします」
「おれが出来ないのは判ってるだろ、見えないのにどうやって世話するんだ」
「ですから、わたしがすべて致します」
「猫七匹でも大変だろうが。三匹はまだ仔猫なんだぞ」
「あの子たちはそんなに手間が掛からないんです。姉妹で遊んでいますし、大人の猫たちも面倒を見てくれています」
「猫は便所の始末とかしないだろ」
「それはもう、慣れているので苦にはなりません」
 どんだけ兎が飼いたいんだよ。それでも、わたしは妻には逆らえない。昔からそうだった。彼女にはどうしても無抵抗になってしまう。怒ったことも声を荒げたこともない。若い頃は気が短かったのに、彼女にだけは腹を立てたことがない。
 愛するが故かしら。ナンデアルアイデアル。誰も知らんか。

 三羽の兎は、白とぶちと黒だそうである。白い兎と黒い兎が交尾をしたのか。コウビがくるりと輪を描いた。
 わたしのことは放っておいて下さい。
 抱かせてもらったら、触り心地は猫に似ていた。毛並みが柔らかく、体も犬のように硬くない。鼻を常にふくふく動かしている。鳴いたりはしないだろうと思ったら、岡田少年に依ると、喧嘩の際に鳴くらしい。
 兎は淋しいと死んでしまう、と聞いたことがある。それは適当な作り話で、ひとりにしておいても死ぬようなことはないらしい。ただ、家の者が旅行などで留守にすると、ヒステリーを起こして、帰って来たらケージの裡で口や足先から血を流していたりするそうな。
 可愛らしい外見の割に気性が荒いようである。しかも、噛みついたり引っ掻いたり、後脚で蹴ることもあるという。
 ううむ、誰かを思い出す。そうだ、最初に飼ったコロは、わたしにだけそうした乱暴狼藉を働いた。下手に触らない方がいいのかも知れない。この年になって疵だらけにはなりたくない。傷だらけの天使になって昇天してしまう。ショーケンと水島豊は、ゲイと謂う設定だったのだろうか。関係ないけど。
 名前をつけてくれと云われ、うさ市、うさ次、うさ蔵とした。全員、雄だったのである。わたしに名前のセンスを求めないでくれ。これまでつけた猫の名前で判るだろう。捻りも何もない。
 放し飼いにすれば猫の餌食になるのは火を見るより明らかなので、岡田少年がくれたケージの中で飼うことにした。それくらいのサービスはしても良かろう。うちは動物処理場ではないのだ。これまで家の前に猫が棄てられていることはなかったが、野良猫が庭によく来ることを思うと、それに近い状態ではあるのだ。
 野良が勝手に繁殖するのは仕方がない。しかし、飼っていた動物を厭きたから、世話がしきれないからと棄てるのは、非人道的な行為である。飼った以上は責任を持って最後まで見届けなければならない。それが出来ないのなら、最初から動物を飼おうとしないことだ。
 生きものを飼うと謂うのは、ただ餌をやって便所の始末さえすれば済むものではない。愛情を持って接しないと、歪んだ性格になる。自分の子供と同じように処遇せねばならないのだ。植物だって、水をやるだけではいけない。天気や気温を考慮して、あれこれ配分せねばならない。何も判らないだろうと思うかも知れないが、話し掛けたり音楽を聴かせたりすると、成長が促進されたり、実のつきが良くなると謂う研究結果も出ている。
 あらゆる生物の根本の部分が、人間と同じであることを認識しなければならない。生きている以上、細胞の段階では同じなのだ。
 兎は時々、耳を澄ませて後足で立ち上がるらしい。それを見て、清世が可愛らしいですよ、と云っていた。彼女が動物を飼いたがるのは、やはり子供が居ないからだろうか。失った子供の影を、動物たちの中に見いだしているのかも知れない。
 それならば、これから先、彼女が何を飼おうとしても文句はつけぬことにしよう。子供が生まれなかったのは彼女だけの責任ではない。医者は胎盤が弱いことを理由にしていたが、それだけではないだろう。
 何が悪いと謂うことはないのかも知れない。運命がそれを決めたのならば、わたしたちには必要なかったのであろう。
 と謂うことは、我々には、猫と金魚と兎が必要だったのか。妙な夫婦である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?