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人物裏話——はじめての通販篇。

 亮二が二十五才の時、ついにベッドが壊れた。なにしろ中学に入学して以来使っており、仕舞いの三年はひとりを支えるようにしか設計されていないのにふたりで使っていたのである。まあ、ふたり合わせても相撲取りひとり分にもならないのだが(亮二は五十三キロ、清世は三十八キロ)。
「おーい、ベッドがいかれた」
「なんともないじゃないですか」
「下におまえが何か突っ込んでるからなんとかなってるように見えてるだけだよ。底板がまっぷたつに割れてる」
「ああ、本当ですね」
「今晩どうすんの」
「わたし、今日はお休みですから、枠の方は業者を呼んで処分してもらいます」
「だから、今晩寝るとこはって訊いてんだよ」
「このマットレスを床に直接置きますから、暫くそれで我慢して下さい」
「別にいいけど」
「ベッドは通販で買います」
「つーはん?」
「通信販売です」
「んな怪しげなもんで買うの?」
「怪しくないですよ、普通です」
「えらい自信たっぷりに云ってくれるじゃねえの」
「そのベッド脇の棚も通販で買いました」
「ああ、この筒抜けの……」
「一万三千円でした」
「高えんだか安いんだか」
「ギターの中古とかもありますよ」
「自分で見て弾いたやつしか買わねえ」
「そうですか」
「ったりめーだ」
「でも皆さん、利用されていますよ」
「おれは厭」
「そうですか」
「因に何があったの?」
「ええと、メモしておいたので……」
「エプロンにいっつもメモ帳入れてんの」
「はい」
「あ、そう。……で?」
「ええと、グレコのプロジェクトシリーズのEG-1200。スモールヘッド、グローバーペグ、ストライプドエボニー指板、フレットエッジバインディング、 ピックアップはZ-DRYと交換済み、カラーは濃い茶色のバースト、恐らく1975から1976年のモデルと思われる……」
「おまえ、自分でナニ云ってるか判ってる?」
「まったく判りません」
「で、なんぼだったの」
「落札済みでした」
「んなもんメモしてどうすんだよ」
「……あと、トーカイのLS-200のチェリーサンバーストというのがありました。両方ともレスポールタイプです」
「んなもん聞きゃ判るよ。それももう、売ってねんだろ」
「三日前に書いたのでもうないと思います。オークションですから」
「競売に出てるのなんかおれに手が出せる訳ねえだろうが、あほかおまえは」
「はじめのうちは安かったので……」
「普通、競売ってのはそうだろ」
「そうですね」
「ちったあ頭使え」
 と、亮二は要らん情報を叩き込まれて出勤した。朝飯を喰わん人間は、寝起きが悪くてもこれくらいの会話が出来るのである。どちらにしても車で通勤しているのだし、多少の時間の融通は利く。
 部屋に残った清世はベッドの解体を始めた。木枠なので鉄製のものよりは軽いのだが、やはり重い。取り敢えずマットレスだけ引き摺り下ろしてリサイクル業者に電話した。社会人なのでこう謂う段取りには慣れている。
 午前(ひるまえ)には木枠は撤去され、ベッド下にあった箱は部屋の隅に積み上げられ、マットレスはちゃんと寝床に変身した。さすが片づけ上手な清世である。亮二だったら余計に散らかしているところだ。
 お午ご飯を食べてからおもむろにノート型コンピューターを開き(卓上型コンピューターは亮二のもの)、インターネットで自分でも買えそうなベッドを探しはじめた。古惚けた卓袱台に向かって。
 今まで使っていたのは当然のことながらシングルベッドだったので、幾らふたりとも痩せているとは謂え、窮屈な感じは否めなかった。ダブルベッドは大きすぎるし値段も張る。此処はセミダブルで行こうと、清世は目標を定めた。
 家賃と高熱費は払ってもらっているし、食材だって買ってきてくれることが多い。しかも時々、服まで買ってくれるのだからベッドくらい自分で購入せねば、と思った訳である。まあ、先に社会人になった彼女の方が(若干)給料もいい。
 ありました。マットレスつきアイアン・セミダブルベッド、三万八千円。シビラのワンピースより安い。しかし、ベッドのサイズが変わると謂うことは布団も換えなければならない。換えなくていいのは枕くらいであった。布団が二万五千八百円、毛布が一万九千八百円。全部で八万三千六百円、去年の暮れに買って貰ったKEITA MARUYAMAのコートとあまり変わらない(セールでそんなにするのか? カシミア?)。
 彼女は思わず図書センターの方角に向かって手を合わせた。
 お金にもう少し余裕があるから木下さんにギターでも買ってあげようかな、と国産ギターのサイトを覗いてみた。頭がくらくらしてしまった清世である。何が書いてあるのかさっぱり判らなかったのだ。

Tokai LS-200
1981年製。シリアルナンバー無。生産当時本体価格 ¥188,000
ホンジュラスマホガニー単版バック
フレイムメイプルトップ
ハカランダ指板
ヴィンテージバースト
ヘッドのロゴが金色!
(ギブソン・レスポールを手にしたひとすら唸らせる逸品)

 なんのことでしょうか。
 お幾らなんですか?

 380,000円

 え、桁間違えた?

 三十八万円。

 え、こんな訳判らないことを書いておいて、鞄の値段と変わらないんですか? もっと凄いのかと思ってました(注;清世はインターネットと雑誌の知識だけで、 そんな高価な鞄は所有していない)。
 凄い金額ですよ、清世ちゃん。あんたの住んでるアパートの家賃、月四万二千円(駐車代込み)だよ。何倍すると思ってんの。そんなもんに手え出したら、幾ら亮二でも叱り飛ばすよ。

 こう謂うものは好みがあるから、とブックマークだけつけてコンピューターの電源を落とした冷静な清世である。
 帰宅した彼にそのギターのことを伝えると、買ったのか? と血相を変えて訊き返してきた。いいえ、まだです、と云ったら、はあー、と溜め息を漏らし、亮二はへたり込んでしまった。 それは彼がハタチの時、東和楽器で牧田に値切りまくって買ったものとほぼ同じだったからである。しかも二十八万円。それを親父から現金で借り受け、五円の利息をつけて毎月返していたのである。牧田には牛丼を奢った。
 凄い値切りようである。
 幾らヴィンテージと謂えども五年でそこまで値上がりしないだろう。と謂うことは、購入時、少なくとも三十五万近くはした筈である。五万以上も値切るとは……。牧田はこの時、三万肩代わりしている。彼は「ギターだけは通販で買うな」と厳しく云い渡したのであった。
 ただし、ゲイリー・ムーアのGreenyがその値段で出ていたら迷わず買え、いい投資になる、とつけ加えた。有り得ない。それには一億の値がついている。

(2012年某月)

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