見出し画像

サンタさんの贈り物

 ぼんやりとした光りの中で目が覚める。カーテンが閉め切ってあるからだ。遮光性の低い安物である。ぼくが買ったのではない。
 室温が低い。ベッドの中に縮こまって大きく息をつく。視線の先には卓上型コンピューターが置かれた机と椅子がある。椅子の背には昨日脱いだセーターとジーパンが引っ掛かっている。これはぼくのもの。コンピューターはぼくのものではない。マッキントッシュの白いコンピューター。グレーの苹果のマークがある筈。目が悪いのではっきり見えない。
 キョーコちゃんは今日も元気にお仕事だ。
 靴下を売っている。
 現在は何時だろう。
 午後の一時二十五分。呑気なものだ。
 息が白い。
 ——もう冬なのだ。
 ベッドから起き上がってカーテンを開けると、薄曇りの陽射しが部屋に入ってくる。雪でも降り出しそうな空模様だ。長袖Tシャツとジャージのズボンでは寒すぎる。床に放り出してあるエアコンのリモコンスイッチを足指で押す。少し間を置いて機械が作動する音が幽かに聴こえてきた。石油ストーブに比べると、暖かくなるのだかどうだかはっきりしない。人間は色でものを感じるらしい。エア・コンディショナーの送風口からオレンジがかった炎でも吹き出していれば暖かく感じるのかも知れない。
 板張りの床が裸足に冷たい。スリッパが必要かな、と思った——買っても履かないのだけれど。
 両の二の腕を手のひらで擦って台所へ行く。行くと云ってもすぐそこである。ゆうべ使ったコップで口を濯いで、顔を適当に拭う。半間しかない押し入れを開いて、何か羽織るものを探す。キョーコの着古したジップアップ・パーカを出して羽織りながら、なんでぼく以外の男物があるのだろう、とふと思った。まあ、いいか。どちらにしても、ぼくとキョーコは背丈も二、三センチしか違わないし、躰にぴったりするような女らしい服でなければ共用出来るのだ。貧弱な躰も時として役に立つ。
 流しの下からカップスープの箱を出して一袋取り出す。キョーコが出勤前に呑んだコーヒーのカップに粉を入れ、沸き立った薬缶の湯を入れる。朝午兼用の、粗末な食事だ。
 温かいものを胃の中に流し込んだので人心地ついた。外からよりも中からの方が躰は温まるようである。
 部屋の中は雑然としている。
 脱いだ洋服、雑誌、包装紙、リモコン等々。
 こういうものは家に居るぼくが片づけるべきなのだろうが、如何せん、根が懶け者である。根どころか、底なしのぐうたらなのだ。しかし、何もしないで喰っちゃ寝していては申し訳ない。ひととして最低限のことくらいはすべきであろう。
 と、半年に一度くらいに出るやる気を出して、部屋の中を片づけはじめた。
 洗濯機に服やら下着やらタオルやらを突っ込んで、スイッチを入れる。ガ、ガ、ガ、と廻って水が吹き出てくる。洗剤を表示された分だけ放り込んで蓋を閉める。
 この部屋にはテーブルがないので、リモコンや雑誌が床に散らばるのは致し方ない。飯を何処で喰っているかと云うと、ものが散らばっている床の上である。慣れると特に不便には感じない。何しろ六畳ほどしかないのである。洋間なので、はっきり何畳かは判らない。
 兎に角、北側に玄関があり、申し訳程度の下駄箱が設置され、這入ったすぐに流し台がある。そして数歩歩けば寝床なのだ。床の上げ下ろしの手間を省く為にベッドを設えたら卓袱台を置く場所など無くなってしまった。あるにはあるのだが、そんなものを置くと窮屈で仕方がない。
 真四角の間取りならばそんなこともなかっただろうが、やけに細長い造りだったので、勝手場に卓袱台を置くのもどうかと思ったし、ダイニングテーブルなど以ての外である。そうした状態で五年も過ぎると床の上で飯を喰うことなど気にもならなくなる。だからどうした、という感じだ。はじめのうちは、
「ピクニックみたいだねえ」
 とキョーコは云っていたが、それは新婚時代に花嫁がなんでも新鮮がって喜んでいるのと同じである。半月も経たないうちにそんな新鮮さは賞味期限が切れてしまった。
 窓の外は産業道路が走っている。朝も午も夜もトラックの車輪の音が低く響いてくる。地上階のいい加減な喫茶店や焼き鳥屋の匂いも窓を開けると漂ってくる。世間ではこういうのを貧乏暮らしと云うのかも知れない。女を働かせてぐうたらしているぼくは、差し詰めヒモといったところか。「差し詰め」なんてつけなくてもヒモには違いない。二十五才でヒモ。いいんじゃないの、別に。相手がいいって云ってるんだから。
 数冊の雑誌とリモコンは机の上に置いた。
 これだけで床の上はきれいになり、掃除機をかけると埃やら髪の毛が吸い取られ、ごろ寝してもいいくらいにきれいになった。寒いからそんなことはしないけど。
 洗濯機がピィーと間抜けでいながら耳障りな音を立てて止まり、からまった衣類をプラスチックの籠に入れ干そうかとベランダまで行くと、細かい雨が降り出していた。冬の雨は寒々しいだけでなく痛い。まるで細かな氷の針が振りそぼっているかのようだ。仕方がないので、壁から壁へ張ったナイロン紐に干すことにした。部屋の中に洗濯物を干すと、貧乏くささが厭が応にも増してくる。湿気の所為か、だらりと下がる布の質感の所為か、相乗効果か。三日分といってもふたり掛かりで使用した洗濯物は結構な量になる。水気を含んだ衣服やタオルは空気の重量を倍加したようだった。そのおかげで、ぼくの躰までずっしりと重くなり、どんよりしてしまった。
 ぶら下がる洗濯物に遮られて半分しか這入って来なくなった薄暗い雨模様の太陽光線が射す中、ぼくはベッドに潜り込み、怠惰な二度寝に身を任せた。


 緑と赤のリボンが張り巡らされている。
 豆電球がちかちかと瞬いているのは、ビニールの樅の樹だ。
 静かな人々がしずかに食事をしている。時折、ポン、という音がしてその時だけはさんざめきが潮騒のように耳に響く。ぼくの向かいに座っているキョーコは、やけに取り澄ました笑顔を浮かべ、ベルベットのドレスを着込み、クリスタルのグラスを掲げ、まるで西洋人のような仕草をしている。そして紅を塗った唇が、
「………」
 という形に動いた。
 なんと云ったのか訊き返したのだけれど、彼女はにこにこ笑って「そんなことも知らないの」と云うばかりだった。他のテーブルの客たちもくすくすと馬鹿にするように笑いを噛み殺している風である。
 こんな処で食べるお金なんかないだろう、と云っても、彼女は「特別な日だから大丈夫なのよ、今日は特別なの」と繰り返すだけで意味が判らない。ぼくは辺りを見廻し、ポケットに手を突っ込んだ。ああ、良かった、財布はある——と思ったが、ぼくの財布の中身などたかが知れたもので、こんな高級料理店の支払いは賄えない。
 すっかり動揺してしまってキョーコの方を見遣ると、彼女は見知らぬ男の手を取って立ち上がるところだった。声を掛けようとするのだが、ぼくの口は縫い合わされてしまって細い息がやっと通るのが精一杯という有様だ。
 全身真っ赤な色で揃えた妙な感じの男だった。彼はキョーコの耳許で何かを囁き、彼女はそれを聞いてさも嬉しそうに笑っている。四人の楽士が何かを奏ではじめ、ふたりは踊り出した。楽器の音も何も、ぼくには聴こえない。キョーコは、これまで見たこともないほど、きれいだった。こんなにきれいだったのかとぼんやり思った。
 彼女は、知らない言葉で話す知らない男の腕の中で、知らない笑顔を浮かべ、王女のように美しくお上品だった。
 その女は三流百貨店の靴下売り場の売り子なんだぞ、
 と、
 ぼくがそう怒鳴った瞬間、パーン、と何かが弾ける音がして、緑と赤の紙吹雪が散った。
 生温いものが額を伝う感触に手をやると、中指と薬指にインクのような赤い染みがついた。たらたらと赤インクは伝い落ちてくる。頭蓋が割れているのだ。


 はっ、と布団を跳ね上げ起き上がった。
 オレンジの陽射しが洗濯物に当たっていた。四時半過ぎだった。寒いのに汗をかいている。何か厭な夢を見ていたようだったが、思い出せない。何気なく額に手をやった。
 起きてからカップスープしか口にしていなかったが、不思議と腹は空いていない。ただ、喉は乾いていたので水を立て続けに二杯飲んだ。ベッド脇の小さい棚に置いた携帯電話の着信ランプが点滅していたので手に取ると、キョーコからのメールである。
「今日は無理云って早番にして貰ったから、ケーキ買って帰るね」
 ケーキ?
 なんのことだか判らないままメールを閉じると、液晶画面に12月24日と表示されている。
 ああ、クリスマスイブなんだ、とやっと気がついた。
 もう、そんな季節なのだ。彼女がこの部屋で暮らすようになってから恰度五年。明日から六年目。そんなことはどうでもいいし、キリストだかなんだかの誕生日の一日前なんてもっと関係ない。でも、この日はキョーコの誕生日でもあるのだ。
 忘れていたなんて——
 云えない。
 慌ててジーパンのポケットに突っ込んだままの財布を見てみた。千円札が一枚と小銭が少し。まるでオー・ヘンリの短編小説のようである。
 アパートの部屋を出て、歩いてスーパー・マーケットに向かった。慥か百円ショップがあった筈だ。
 果たして百円ショップは店のはじっこにあった。クリスマス商品をなんとか売り尽くそうと店頭に並べている。小さなクリスマスツリー。天使や雪だるまの安っぽいオーナメント。手で握り潰せそうなかさかさとした素材の、南の国のひとの手で作られた冬のお祭りの玩具だ。
 あれこれ迷った挙げ句、千代紙と画鋲、松ぼっくりに金色のスプレーペンキを吹きつけたなんだか判らないものを買って帰った。


 一日中立ちっぱなしで靴下を売り、値札の整理をして帰ってきたキョーコは部屋のドアを開けると、「わあ」と云って立ち尽くした。
 六畳だかなんだか、それくらいの部屋は——洗濯物が窓際に吊る下がってはいるが——幼稚園の教室のように千代紙の輪っかで彩られ、処々に金の松ぼっくりが引っ掛かっており、それなりにクリスマスらしく整えてあった。
 キョーコはゆっくりと靴を脱いで、飾りを見上げながらもう一度「わあ」と小さな声で云った。手には菓子屋の箱を下げていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?