日常。
目を覚ます。
薄暗い空間。部屋はどちらの方向を向いているのだろう。わたしの足はどちらへ向いているのだろう。それさえ判らない。
時々ごとに、聞こえる音が違う。極たまに、隣の社から音が聞こえる。神社なので、読経の声でもなし、鐘の音のようにも聞こえるし、よく判らない。
此処に来て、いつの間にか四年半以上も過ぎてゆこうとしている。
まさか自分が、ひとりで暮らすことが出来るとは思わなかった。
一ヶ月の裡でお金を何うやりくりするか。暑い時は薄着をして、団扇で涼をとり、寒い時は厚着をして、ああ、斯うやっていれば暮らしてゆけるのだ、と、思った。
辛くて、悲しくても、誰にも頼れない。
呼び掛ける相手も居ない。
『すいか』と謂うドラマのDVDを観た。
三億円を横領したOLが逃げる時、銀行の同僚の名前を呼び乍ら走って逃げる。
「苦しい、くるしいよ、ハヤカワ」
わたしは、そう叫ぶ彼女が羨ましかった。
わたしには、そうやって、とり縋る相手が居ない。どんな苦境に立っても、抱きしめて安心させてくれるひとも、そのひとを思うだけで安らぐ相手も居ない。
母が我が家に泊まった時も、出来合いものを食べて、テレビがないから適当なDVDをかけて、半ば惚けている母は、テレビとDVDの区別がつかなくて、これはなんの番組かと、何度もなんども訊いた。
「これはテレビじゃないよ、うち、テレビひいてないから」と、わたしは何度も云った。
何度もなんども、云った。
何か美味しいものを作って食べさせてやりたかったが、アパートにはコンロがないので、そんなことすらしてやれなかった。厚焼き卵なら作れたのに、思いつかなくて、食べさせてあげれば良かった。然し、母がわたしの住むアパートに来ることは、もう二度とないだろう。
母とふたりきりで暮らしていた時、晩飯に用意する手抜きとしか云いようがないみりん干しを、後ろに引っ附いて居るわたしに割いて食べさせてくれた。あの三年は、わたしの宝物のような年月だった。みりん干しは売っているけれど、買ったことはない。あれは母とわたしだけのふたりだけの三年間の味で、あの時以来、食べたことがない。
何れだけの年月が経っても、あの時、母が割いて食べさせてくれたみりん干し以上に旨いものを食べた記憶がない。
はじめて他人と暮らして、それまで食べたこともないものを食べて、美味しいと思ったけれど、母が手抜きで作ったみりん干しやマルシンハンバーグを超えるものはなかった。
それは、美味しいとか美味しくないの問題ではなく、そこに介在する「母」と謂う存在がなかったからだ。どちらにしても、喉が渇けば自動販売機のジュースを飲み、腹が空けばたこ焼きを立ち喰いでは、焼きたてのみりん干しの方が旨いに決まっているのだが。
わたしがひとりきりで淋しくなった時に思う相手は、今現在、誰も居ない。(元)連れ合いのことは、もともと優しい人間ではないことは判り切っているので、辛い時は余計辛くなるので、思い出しもしない。
つらつら考えるに、思うのは家に置き去った猫達のこと。今の季節だと、ひとりは足の上に、もうひとりは腹の上に乗っかって寝ていたものだ。
猫は人語を喋らないので、わたしを疵つけることもない。ぬくぬくと、わたしを毛布代わりに眠って居た。そして、夕方になると、暴れ廻って、わたしをさんざん踏み台にした。それが愛おしかった。
わたしは動物であれば大概のものが好きで、毒さえなければ蛇だって可愛がって飼っただろう。でも、わたしはわたしの世話をみるだけが精一杯で、金魚しか飼えない。金魚は碌に世話をしなくても、何故か元気に生きている。餌など三日おきにしかやらない。
梟……。梟が飼いたいなあ。
(2015,04,25.某ブログにて)
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