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造花

 それは、昨日かも、今日かも、明後日かも知れない。つまりは、過去かも知れないし、現在かも知れないし、遠く未来の出来事かも知れない。あなたの隣の頁の、そのまた隣。もっともっと頁を繰った向こうの世界であったことかも知れない。なかったことかも知れない。

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 狭くて古いアパートの一室。ひとりの男が目を覚ました。既に陽は傾いている。晩春の午後四時過ぎである。といっても、半地下の彼の部屋は何時でも薄闇に包まれていた。ぼんやりした頭を振りながら、眠りに就いたのは何時頃だったろう、と彼は半身を起こした。
 是山一太郎と謂うのがこの部屋の主である。なんの変哲もないといえばそうだし、かなり変わっていると云われればそうかも知れない名前だが、元を辿れば猿擬きだった生物につけられた仮称である。この生き物が死ねば、その名前も消滅する。
 それは何うでもいい。今は関係ないので、うっちゃっておく。
 兎に角、彼は目覚めた。貧乏くさい(実際、家賃は安い)アパートで。枕元に時計がない代わりに、友人が造った猫がまるくなっていた。猫が友人と謂う訳ではない。人間の、機械いじりが趣味の男が閑潰しに造って寄越した、ただの機械猫である。その猫に一太郎は訊ねた。
「今、何時だ」
 馬鹿げた質問だと思われるかも知れないが、この世界の場合、正当な問いである。
「十六時二十五分よ」
 秒までカウントしてやる必要はないと、ぶっきらぼうに猫は答えた。何故かと謂う疑問にはもう答えないでおく。何故ならば、書くのが面倒くさいからだ。
 四時半近くと謂えば夕方ではないか、と誰が考えても至極真っ当な事柄が一太郎の脳裏を掠めた——それは季節、場所に依って異なるかも知れないが、まあ、大概の場合、夕方である。
 機械猫は腹を空かせたりしない。こんなものぐさな男がそもそも動物など飼える筈などないのだから、それは難有いことだった。エネルギーが切れれば勝手に自分でコンセントなりなんなりから充電する。こいつをもらってから電気代がかさむような気がしていたが、正確なところは彼にも判らなかった。領収書を猫が何処かへやってしまうからだ。どちらにしても、彼はたいして気にしない。何故なら、彼はこのアパートの管理人で、そういった経費は自分で負担することはないからだ。
 アニマル・セラピーなるものがもて囃された時期があった。ノイローゼ患者や痴呆症を患った老人などが、犬や猫などの獣と触れ合うと症状が緩和されると謂うものだ。実際、効果はあったのだが、それらのひとびとに他の動物の世話が出来るかどうかはまったく別の話である。
 率直に云うと、自分のことも碌に面倒が見られない人間が己れ以外のものの——喩え植物と謂えども——面倒が見られる筈もなかった。養護施設に月一回訊ねて来るか来ないかのボランティアのひとびとが連れてくる動物たちの癒せる範囲は限られている。それだけに頼っていたら、悩めるひとは悩む侭だし、呆ける人間は呆けっぱなしだった。
 で、人間も動物も疲弊して仕舞った。
 と謂う経緯とはまったく関係なく、是山一太郎の所有する機械猫は存在した。そんなことから遥か遠く離れたところに思考回路が存在する男が作り上げたのだから致し方ない。その男については此処では触れない。複雑ではないが、取り立てて関係ないからである。
 兎に角、或る処の或る場所が夕暮れの時刻だったのは、此処では慥かな事実なのであった。
 そして、一太郎は耐えかねるほどの尿意に目覚まされたのである。幸いなことに、アパートの各室には便所と風呂が設けられていた。便器に放出された小便はオレンジの皮に近い色をしていた。十時間以上排尿しないと、ひとに依っては斯う謂った尿が排出される。濃縮されているだけで体に深刻な異常がある訳ではない。
 日当たりの悪いアパートの部屋は、電気を点さなければ凡てが曖昧模糊とした翳りでしかなかった。彼は壁にある電灯のスイッチを押した。普通、家人が要求している場合、斯う謂ったことは家屋のコンピューター、若しくは端末の何某か(この場合、機械猫)がやってくれるのだが。
 天井からぶら下がった安ものの電灯に光りが点った。が、部屋はその前から液晶モニターが照らす冷ややかな光源に依り、家具の輪郭が薄すっら浮かび上がっていた。何故ならば、テレヴィジョンのモニターの電源を切ることは市民には許されていないからである。
 チャンネルを変えない限り、モニターは延々と何処かの企業、団体などの広告映像を流していた。多くの市民にとって幸いだったのは、スピーカーの音量を絞るのが可能だったことである。
 どんな物事にも評論家が存在するように、広告評論家も存在した。それも、かなり昔から。
 一太郎は貧乏人らしく控えめな大きさの冷蔵庫からミネラル・ウォーターのペットボトルを出し、マグカップに注いだ。ラッパ飲みするほど自堕落にはなっていなかったのである。水道水を飲む者は殆ど居なかった。汚染されているか、汚染を浄化する為の薬品に汚染されているかのどちらかだったからだ。したがって、それを口にする者はおしなべて汚染されていた——何かに。
 現代人が起床して生理的慾求を果たすか、或いは果たす前にすることは、テレビのチャンネルを変えることだった。一太郎もそうした。モニターには最新の(しかし控えめな)ファッションに身を包んだ女性キャスターが、ニュースを伝える映像が映し出されていた。その背後ではテロリズムが遂行された現場の映像と、便秘薬のコマーシャルが写し出されている。見る側にとってはどちらでも構わない。どちらもたいした違いはなかったからである。
 要するに、何かが二進も三進も行かなくなっているので、その打開策として何かが投入されるだけのことなのだ。排出されればことは済む。
 機械猫が如何にも猫らしい仕草で足元に擦り寄ってきた。
「おれが寝ている間に何かあったか」
 これと謂ってなにも、と猫は伸びをしながら答えた。
「誰か来なかったか」
「来たわよ。宅配便と、隣のアガマさん」そう云って猫は前足の肉球を舐めはじめた。
 何もなかったと云ったのはなんだったんだ、と思いながら、一太郎は足元の猫に向かって訊ねた。「アガマさんはなんの用だったんだ」
「コンピューターの調子が悪いから見て慾しいとか云っていたわね」
 時計に目を遣ると、五時五分前だった。まだ訪ねるのに失礼な時間ではないだろう、と一太郎は考えた。
 隣のアガマさんは、造花を作って生活の活計としている女性である。そう書くと、まるで大昔の貧乏長屋で、顳顬に膏薬を貼ったおかみさんが、ねんねこで赤ん坊を背負いながら卓袱台に向かってせっせとカーネーションや薔薇の模造品を作っているかのように思われそうだが、そうではない。
 生花の入手が困難となった現代では、ホテルで行われるパーティーや冠婚葬祭などの催事で結構需要があるのだ。名刺に依ると、「アートフラワー・デザイナー」なのだそうだ。そんな立派そうな肩書きの人間が、何故こんな襤褸アパートに住んでいるのかは、本人にしか判らない。世の中にはいろいろな仕組みがあるし、思惑も事情もある。
 彼女は独身で、見た目ははっと目を惹くような美人ではないが、ふためと見られぬ醜女でもなかった。話せばそこそこ頭の良い人間だと謂うことが判る。頭の良い女性は、たいてい婚期を逃すものである。


 インターホンを押すと、忍び笑いのような声の後、
「今、開けるわ」
 と、機械の向こうからアガマさんは云った。
 声だけ聞いていれば、まるで美人女優のようである。実物は先程述べた通り、追い掛けて行ってまで声を掛けたくような容姿ではない。むしろ、記憶にも留まらない顔立ちだった。そう謂うひとはよく居るものだ。いちいち声を掛けたくなったり恋に落ちてしまうような面構えの人間が往来をうじゃうじゃ歩き廻っていたら、いつまで経っても目的地に辿り着かない。神様は交通整理のことまで考えていらしゃるのだ。
 アガマさんの部屋は、いつもアイロンをかけた時の化繊布と接着剤の入り交じった匂いがする。一太郎はそんなに悪い匂いではないと思っていた。
「コンピューターの調子が悪いそうですね」
「そうなの。わたし、機械には弱くて……。下手に弄ったらよけい悪くなりそうでしょ」
 アガマさんは彼を部屋へ招き入れながら云った。アガマさんの下の名前を一太郎は知らなかった。彼の中では、アガマさんはアガマさんだったのである。
 部屋の裡はまるで花園のようだった。生命のない花、花、花。
 ちいさな青い花、紫色の絢爛と開く花、赤い花、黄色い花——皆、死んでいる。生きたことすらない。
 卓上型のコンピューターのモニターは薄明るい光を放っていた。
「どのキーを叩いても反応しないの。反応しないことには何処にも連絡出来ないことがやっと判ったわ」
 電話はないんですか、と訊ねたら、
「あんまりひとの声を聞きたくないの、煩わしいでしょ」
 彼女は密やかな笑いを漏らした。音声を煩わしく思うのは、この世界の人間であれば誰もがそうである。世の中には音が溢れかえっており、金を払ってまで静寂を手にするほどなのだ。
 慥かにどのキーを押しても、古臭いマウスでクリックしても、状況は変わらなかった。「データのバックアップはしてありますか」と訊ねると、
「そう謂うこと、よく判らないから……」
 彼女は申し訳なさそうに答えた。
 と謂うことは、恐らくしていないのだろうと一太郎は判断した。
 これは困った。モニターの画面を消そうとしても、シャット・ダウンすることすら出来ない。彼が何故こんなことをしなければならないかと謂うと、このアパートの住人の要求は、管理人として叶えてやらねばならないからである。が、斯う謂ったことは滅多にない。殆どの住人(市民)が、他人と深く関わることを避けている。関係性を、と謂うよりは、面倒を避けているのだ。壁を隔てただけで、肩越しに存在する、何処の誰とも判らない存在が恐ろしいのだ。
 だから誰も、積極的に他人と関わろうとしないし、話しかけられことすら厭う。他人との厄介ごとに巻き込まれるよりは、個人の厄介ごとは己れで解決しようとする傾向が強い。アパートの管理人は懶け者の彼にとって、実にふさわしい仕事ではある。
 「一太郎」と謂うコンピューターのソフトが昔あったけれども、この一太郎は機械に詳しい訳ではない。ので、このようなことを彼に相談するのは、的外れであろう。一太郎は仕方なく、彼女を伴って大型家電店へ赴いた。そんなことまでしてやる必要も責任もないのだが、相手が女性と謂うこともあり、デート気分で連れ出したのである。
 店は混んでいた。若者が多かったが、年配の男もちらほら居る。大抵そう謂うひとは、店員を捉まえて、ごく基本的なことを廻りくどく質問している。若い店員は、笑顔を張りつけ丁寧に応対してはいるが、腹の裡で何う思っているか判りはしない。
「こんなことも判らないで、よく生きていられるな」
 と、思っているのかも知れない。
 迷い迷いした末に、最新型のノート型コンピューターに決め、彼の運転する車で帰宅した。夕飯をご馳走になり、その後、何をしたかはご想像にお任せする。

(2010年頃、脱稿。本日、加筆修正)

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