日記、2023,01,12。
やることがないので、ふと思い立ってカレーを作り始めた。作り始めたと謂うほどのこともなく、鍋にトマト缶をぶちまけ、そこに特売の厚揚げを湯通しして投入し、チューブのニンニクと生姜を入れ、塩で調味し、手製のカレー粉で仕上げただけである。
手製のカレー粉とは、そこらに売っているターメリック、カルダモン、コリアンダーと、京都の唐辛子を混ぜたものだ。これをそこらの匙で三杯ほど加えた。辛味は別に、チリペッパーでも構わない。ただ、わたしは辛いものを好むので、京都の土産に買った唐辛子を使ったまでである。
所謂日本の、否、昭和のカレーとは違う。しゃびしゃびだ。ううむ、これは名古屋弁か。つまり、水っぽいのだ。しかも殆どトマトの味である。肉の欠片もない。わたしとしては厚揚げのボリュームだけで十分だと思うのだが、世間一般では如何なのだろう。
子供の頃に肉を受けつけなかったので、肉っ気がない食事でもなんの不満も覚えないが、やはりそれでは物足りないと思うひとが多いようだ。特に男性は。女性もそう思っているかも知れないが、彼女らは年がら年中ダイエットをしているので、肉などお呼びではないのだろう。
女性は肉を喰うより甘味を好むようだが、わたしはケーキを食べるくらいならもつ鍋を望む。肉を受けつけなかった子供だったが、甘いものも嫌っていたのだ。おやつの習慣もなかった。チョコレートを喰ったら漏れなく吐く。現在は普通の肉よりも内臓系を好むほどに成長した。
トマトジュースが好きなので、つい、安いトマト缶を買ってしまう。しかし、ごくごく飲めるジュースと違って、トマト缶は調理をしなければならない。まあ、加工品なので調理をせずとも食せるかも知れないが、躊躇する。
しかしこのご時世の輸入品高騰に依って、トマトジュースも値上がりした。コープでは、去年の夏に百七十八円(だったと思う)から百九十八円に引き上げ、そこから更に二百四十八円まで値上げした。原材料のトマトが外国産だからだ。戦争やめろよ、マジで。
まあ、それはさておき、寒い時期は温かいものが慾しくなる。特に鍋。鍋料理の本を読むと、必ず土鍋がいい、土鍋を使えと、土鍋至上主義の意見が蔓延っている。しかし今の世の中、(認知症などで)ガスで調理したら死ぬかも知れないので、オール電化の家が増えている。そこに土鍋を使えとは、無理な話ではないか。
うちも老朽化したアパートだが設備としてコンロがなく、しかも使われなさすぎてガス管がイカれていた。もともとIHコンロを設置するつもりだったのでそれは気にしなかったが、ガス屋の青年の顔つきからして、かなり悪い状態だったらしい。それ以外にも不具合は後から後から出てきた。
まあ、それはいい。家賃が篦棒に安い訳でもないのだが。
そう、土鍋のことを話したかったのである。
昭和の時代は一家にひとつは必ずあった土鍋。それも四、五人分を賄えるほどの大きさのものである。しかし土鍋の手入れは結構面倒で、罅が入らないように気をつけたりしなければならない。それ以外にも、テフロン加工の鍋やフライパンなどなく、すべてアルミか鉄、もしくは琺瑯だったので、手入れも扱いも大変だったであろう。
炊飯器もガスで、炊いた米は保温ジャーに移し、湯を必要としても給湯器があればいい方で、普通は薬罐で沸かす。電気ポットはなく、今からするとレトロな保温ポットしかない。洗濯機も二層式しかなかったのだ。
それが普通のことだからやっていただけで、現在が便利すぎるとも云えるのだが。テフロン加工の鍋など安いものでは一年でコーティングが剥げてしまう。だからと謂って、高価な鋳造の鍋を買うのも気が引ける。ティファールの方が手軽だけれども、一、二年で駄目になるし見栄えが悪い。ストウブやル・クルーゼは憧れだけど、高すぎるし、クソ重い。
これが主婦の本音ではなかろうか。特に年を喰ったら鋳造の鍋など扱えない。下手をすれば持っただけで骨折する。だんだん何が云いたいのか判らなくなってきた。
兎に角、ガスコンロではない家庭が増えているのだから、それを使用しない調理法を公開して慾しいと思っているひとが多い筈だ。思うにガスコンロ至上主義の料理研究家が幅を利かせている。老人の家庭でガスコンロは本当に危険なのだ。火の通りとか旨味とか云っている場合ではない。
あと、どの家庭にもオーブンがあると思っている料理研究家が多いようだが、菓子を作る趣味でもない限り、日本の一般家庭にはねえよ。欧米じゃねんだ。食パンを喰う習慣がなければトースターすらないぜ。
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