嫌われ松子の一生。
最近、気に入った映画を何度も繰り返し観てしまう。これまでそんなことをしたことはなかった。映画ではないが、『昨夜のカレー、明日のパン』『すいか』。どちらも木皿泉のドラマである。それから『かもめ食堂』『プール』。それらを繰り返し何度も観た。
で今、何度も観ているのが、『嫌われ松子の一生』である。公開されてから数年後に観て衝撃を受け、原作を読み、救われない物語だと思った。
語り手は主人公である松子の甥。彼は伯母に会ったことがない。バンドマンを目指して上京し、挫折し、だらだらと暮らすなか、恋人に三行半を突きつけられ、呑んだくれてレンタル屋でエロビデオを借り、目が覚めたら部屋に父親が居た。座る足許には骨壺がある。
伯母である松子のものだった。彼女は五十を過ぎてアパートにひとり暮らし、川縁で暴行されて死んだ。
松子の不幸な生涯を知るにつれ、青年は引き込まれてゆく。そのあまりにも不幸な人生は、笑えるほどである。だから映画も、ミュージカル仕立てできらびやかだ。
松子は生まれてこの方、まともに愛されたことがない。体の弱い妹に、親の関心は注がれていた。妹を見舞いに行った帰り、父と行った百貨店の催し物で見た、お笑い芸人のくだらない芸。父はくすりとも笑っていない。父を笑わせようと、芸人の顔真似をした。寄り目で口を尖らせた顔を突き出したのだ。
父は笑った。
それが嬉しくて、彼女はことあるごとにその顔つきをした。そうすると父は笑う。松子にはそれが嬉しかった。長じてもカメラを向けられると、必ずその顔をした。これを条件反射と謂う。
彼女は父の望む通りに生きた。
学校教師になり、修学旅行で生徒が盗みを働いた。売店に金を返しにゆき、その場でも困った彼女はひょっとこのような顔をした。追い詰められるとその顔をしてしまうようになっていたのだ。
生徒の罪を被り、金を盗んだ教師として松子は職を辞し、縋りついて止める妹を振り切り家を出る。体が弱いだけで愛情を受ける妹が憎かった。父の愛情が慾しかった。だから、男に縋った。
最初の男は文士崩れで、自分を太宰治の生まれ変わりと信じる屑だった。松子にトルコ嬢になれと云い、そう要求したことで自己嫌悪に陥り、原稿用紙に一行、
「生まれて、すみません」
と書き残し、電車に轢かれて死んだ。
次の男はその文士崩れを妬む、サラリーマン兼業作家。愛してもいない妻が居ると思い込み、家までつけてゆけば相手はブチ切れ、捨てられる。
そのまた次の男は、典型的なチンピラ。何も生み出さないのに自分だけを大切にするナルシスト。どうにもならないそいつを殺して指名手配。
もう死んでしまおうと、生まれてはじめて夢の新幹線に乗り、最初の男が憧れた太宰治の情死した玉川上水で死のうと思うけれど、そこはもう、膝の下までしか水がない。呆然と川の水に浸かっていた彼女に声を掛けた床屋の男についてゆき、成り行きで同棲する。しかし、そこは犯罪者なので警察に捕まってしまい、刑務所へ。
出所して美容院へ帰るものの、そこには妻も子供も居る男の姿があった。
刑務所で美容師の職を手にした松子は、店を持ち、塀の中で知り合った女と再会し、意気投合して親友になる。しかし松子が慾しいのは、男の愛情なのだ。つまり、父が与えてくれなかった愛情。慾しいのはそれだけだった。
ひょんなことで再会した、元教え子の青年。ヤクザになっていた彼と共に生きることを定めるが、やさぐれた彼はやはり碌でなし。松子を愛するも、ボコボコにする毎日。やがて殺人を犯し刑務所へ行く羽目に。
それでも松子は彼を諦めなかった。その愛情が、彼には恐怖だった。何故、自分のような者に、こんな無償の愛情を向けるのだろうかと。これは神の愛である。彼は松子を避け、出所しても彼女の元には戻らなかった。
絶望し、すべての愛情を諦め拒絶した松子はひとり襤褸アパートで暮らし、ただ貪り喰い、周囲の目も気にせずだらしなく生きることを決意する。まともに歩けないほど肥え太った彼女は、精神科に通院し、そこで塀の中で知り合った女友達に再会した。
以前、髪をセットした腕を見込み、自分の許で働いてくれと云う彼女を振り切り、逃げてゆく。もう、誰も信じたくない。誰にも頼りたくない。誰かを好きになりたくない。
松子は逃げ、アパートの近くを流れる川縁へゆく。そこで渡された名刺を握り潰し、捨てた。
彼女は幻覚を見る。ボサボサの頭をした妹の髪をカットする。嬉しそうに見上げる妹の顔。自分には美容師の腕がある。それを見込まれた。あの名刺は何処だ。そうだ、川で捨てた。
彼女はあの川縁へ名刺を探しにゆく。
近くの空き地で子供が野球をしていた。教師だった彼女は彼らに、「もう遅いから帰りなさい」と云う。
子供たちは彼女を馬鹿にしながら帰ろうとする。が、戻ってきて、金属バットを揮い下ろした。
何度も何度も。
松子は撲殺された。
父は松子が居なくなってから日記をつけ、その最後には必ず「松子からの連絡はなし」と記した。
妹は死に際して、夢のうたかたに現れた松子へ「お姉ちゃん、おかえり」と云った。
松子は、愛されていたのだ。愛されて、愛して、死んだ。暴力の許に。
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