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サイコ・キャンディ

 ぼくを引き止める為だったのかも知れない。
 彼は声を失い、子供のようになってしまった。

 ——ねえ、和弘君。ヤス君とわたし、どっちが大事なの。

 ありきたりな質問だった。
 彼女の云う「ヤス君」とは、ぼくの弟のことである。
 靖宏はぼくにしか反応しない。
 ぼくが結婚する旨を家族に知らせた夜、靖宏はバイクで事故を起こした。トラックの下敷きになり、生きていたのは奇跡だと云われたほどの、大きな事故だった。
 そしてぼくの結婚は延期になった——はっきり云うならば、ご破算になった。
 ぼくもそうなのだが、靖宏はもともと頑強な、男らしい体つきをしていない。背丈は普通程度あったが、骨格が華奢だった。母は小柄で、いつまでも子供のような容貌をしている。
 その血が濃いのだろう。
 事故を起こした後、一週間近くも弟の意識は戻らなかった。あらゆるチューブで繋がれた靖宏を見て、なんでこんなことになってしまったのだろうと、ぼくは思った。内臓の損傷はないとのことである。脳や神経への大きな損傷もない筈だった。
 だが、目覚めた弟は、声が出せなかった。
 耳が聞こえない訳ではない。声帯を動かす筋肉が、簡単に云えば「ストライキ」を起こしているらしい。これは、専門家でも何うしようもないらしかった。
 精神的なもので、喋ろうとする気がなく、あったとしても、その信号が脳に届かないのだそうだ。
 ぼくらは傍目に見てもすごく仲が良いと思われる兄弟だった。彼女のことも、誰よりも先に、彼に打ち明けた。
 弟は「可愛いひとだし、カズくんにぴったりだね」
 と云ったのだ。

   +

「靖宏、お午のご飯が来たぞ。食べられるか」
 母に似たくっきりとした瞳を此方に向けて口を指で指し、首を振った。腹が減っていないという合図である。
「食べないといつまでも此処に居なきゃならないぞ」
 そう云うと、ぼくが匙に掬った離乳食のようなものをやっと口に入れた。利き腕を骨折しており、神経が麻痺しているらしいのだが、それもわざとやっているのではないかと疑いたくなる。何う見ても不味そうな代物だったが、半分くらいは食べてくれた。
 鼻から注入していた流動食が外されたのは、ひと月半も前のことだが、固形物を飲み下す筋力が衰えてしまって重湯のようなものが食事として出るだけで、あとは点滴で栄養を補っていた。
 点滴というのは体内吸収が頗るいいので、太ってしまうひとも多いくらいだという。が、弟の体は全力を挙げて栄養補給を拒んでいるらしく、がりがりに痩せ細ってしまっていた。
 二日に一回の清拭——体を蒸しタオルで拭くことなのだが、それもぼくがやっていた。恰度会社に行く前の時間だったのだが、「そこまでしなくてもいいんじゃないのか」と、誰もが云う。
 しかし、弟はぼく以外の看護はいっさい受けつけない。だから、仕方がないじゃないか、と云い返すしかなかった。実際、そうだったのだから仕方がない。
「髪の毛、長くなったけど、邪魔じゃないか」
 彼は首を振るだけだった。
 もともと長めだった髪は、三ヶ月の入院生活で女の子のようになってしまっていた。この頃は外科ではなく、精神科の病棟に移っていた。食事をするのに邪魔なので、ゴムで結わえたのだが、後ろでひとつにすると頭を枕に凭せかけた時に邪魔になるので横側で縛ったら、ますます女の子のようになってしまった。
 声を発しないのは、ひとえに彼の意思に依るものらしい。
 耳は聞こえる。
 音声に依る刺激をちゃんと受けているのだ。
 が、
 声を発しない。声帯に異常はない。
 理由は、
「精神的なもの」
 ということらしい。そんなことは素人でも判断出来る。酷い捉え方かも知れないが、ぼくからすると、単に甘えているのだとしか思えなかった。
 電気的ショックなどには反射的に声を出すだろうと思えるのだが、それにも弟は声を上げなかった。ぼくの考え方は、云い掛かりに近いのかも知れない。然し、ひたすらぼくに甘えてくる弟の様子を見ると、狂言じみたものを感じてしまうのである。
 実際、彼が排除したかったであろう婚約者は、事故から二ヶ月も経たないうちに去って行った。彼がそれを喜んだかどうかは知る由もないのだが。
 外科病棟に居た時は、寝たきりのままでは足が萎えてしまうので、歩行訓練もしなければならなかった。足は複雑骨折で、右腕と鎖骨も折れていた。その歩行訓練もぼくでないと駄目だった。仕方がないので会社から退けた後、面会時間が終わるまで、リハビリ室は既に閉まっていたので病室や廊下を歩かせた。
 ぼくが居る時はそうしたこともしたのだが、居ない時はずっとベッドに横になり、食事も殆ど摂らなかった。だからといって、仕事を休んでつきっきりで看病する訳にもゆかない。それで、現在は精神科の方で治療を受けているのだ。
「ちゃんと歩けるようにならないと、風呂にも入らせてもらえないぞ。そんなふらふらじゃ駄目じゃないか」
 そうぼくが云うと、彼なりに頑張ろうとする。ぼくの腕を強く摑んで、頼りない脚をぎこちなく動かす。十分ほどで息が切れるほど疲労して仕舞う。まるで苛めてでもいるような気がして、彼をベッドに戻す。
 思わず溜め息を漏らして仕舞う。そうすると、弟は済まなそうに此方を見る。済まなそうにするならもっと確乎りしてくれ、と思う。
 だが、そんなことを要求するのは酷な気もした。頼りない子供のようになってしまった彼は、少しでも声を荒げると怯えて身を竦め、優しくすれば実に嬉しそうな表情をする。子供というよりは小動物のようだった。
 事故を起こす前の彼は、ぼくより余程活発で友人も多く、ガールフレンドも居た。だが、そういった人間は、半月もしたら見舞いにも来なくなった。水くさいものである。

 疵は完治し、精神的な面ももういいだろうと——医師が匙を投げた、という感じがしないでもなかったが——弟は口が利けないまま退院した。帰宅しても何をするでもなく、部屋から出ずに一日中ベッドの中に居た。
 ぼくが一緒の時だけ、食事をしたり庭に出たりしたが、母に訊くとそれ以外は誰の顔も見ず、部屋からも一歩も出ずに無表情で幽霊のような存在なのだそうだ。
 事故に遭う前はバイクを乗り廻すくらいなので、快活で明るい性格だった。今ではまるで別人である。彼の裡の何かが、完全に破壊されてしまったのだろうか。精神科医は、正確なことは云わなかったが、どうもこの症状は病気ではないようである。どうしても、わざとやっているとしか思えない。
 それはやはり云い掛かりなのかも知れない。自分が厄介な荷物を抱え込まされたことで、そう思って仕舞うのかも知れない。だが、これからのことを思うと、暗澹たる気持ちになるのも致し方ない。もし彼がこのまま回復せず、ひとりで何も出来ない状態が続いたら、ぼくは何うなってしまうのだろうか。彼を一生支えてゆかねばならないのだろうか。

 弟は徐々に衰えてゆき、事故から一年後には完全な植物人間になってしまった。後悔の念に駆られた。彼の病状を疑い、迷惑に思っていたことがこのような結果を齎したような気がしたのである。
 父は様子を見て、意識が回復しなければ安楽死を選ぶこともあるかも知れないと云った。植物人間を蜿々と抱え続けられる程、経済的な余裕はない。それは判っているが、生きているものに手を下す気にはなれない。だが、何うすることも出来なかった。
 靖宏は、意識が回復しないまま、二十五才の生涯を閉じた。

(2015年、5月27日)

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