見出し画像

美少女

 彼女は陶器のように白い肌をして、瞳も榛色、髪も亦、栗色に近かった。その髪は光りが当たると、煌めいて、更に明るく輝いた。時々頰が赤らむことはあるけれど、それは熱が出ている所為で、そうすると、普段でも赤みを帯びている唇が余計に際立った。
 彼女は、特別だった。
 他のがさつな少女達とは違っていた。
 泰西名画の少女の如き美しさを持った彼女に、誰も、気軽に近づけなかった。彼女に声を掛けるのは、謂わば天女に声を掛けるようなものだったからだ。その天女が、このわたしにある時、声を掛けてきた。
 わたしは構内の図書室でよく本を借りていた。そして、彼女の姿をそこで見かけることがよくあった。それがまさか、彼女との邂逅の切っ掛けになるとは思いもよらなかった。
「あなたが借りる本、わたしもよく借りているのよ。あんまり度重なるからどんなひとかしらって、思っていたの」
 彼女は澄んだ声でそう云った。
 その時、なんと答えたのかまったく覚えていない。はあ、とか、そうですか、とか、ごしょごしょと答えたような気がする。
「不思議なお話が好きなのね」
 彼女は云った。
 意識はしていなかったが、慥かにそう云われてみれば、現実から乖離した内容の本を借りてはいた。
 ——探偵小説も好きみたいね。
 そう云われて、なんだか恥ずかしくなった。探偵小説を書いている方には申し訳ないが、もっと高尚な、哲学とか心理学の本を山ほど借りていれば良かった、と思ったのだ。そんなわたしの心持ちを察してか、
「わたしも探偵小説は大好きよ。読むと秘密を抱え込んでいるような気がするの」
 と、彼女は云った。
 秘密を抱え込んで——その言葉がわたしの裡にわんわんと響き渡った。わたしが探偵小説を好んで読むのは、犯人当てや錯綜とした人間関係を覗き見する、下賎な心持ちからだ。彼女の赤い唇から零れた、秘密を抱え込んで——なんて、深淵な気持ちなどとはまったく違う心情である。
「神秘学の本も好きなのね」
 それは、はっきり云ってわたしが単にイロモノ好きなだけのことで、耽美的とかそうしたものとはほど遠い感情から興味を持っているだけなのだ。図書館にはないが、猟奇殺人の本とか屍体写真集とかも、密かに買って眺めている。
 要するにわたしは、わたしの現実から離れたものに興味を持っているだけで、「文学が好き」ではないのだ。まさか彼女が、自殺屍体の写真集とか、猟奇殺人写真集を好んで見ているとは思えない。
 わたしはその、隠薇な趣味を彼女には明かさなかった。
 彼女はふと書棚の方を向いて、首を少し傾げて本の背表紙を見遣った。わたしは、その桜の花びらをうんと薄くしたような白い首に目が釘づけになって仕舞った。
 ——石川淳は好き?
 わたしは一瞬、何を云われているのか判らなかった。
「わたし、好きなのよ。あなた、借りてないわよね」
 ああ、作家の名前か、と、遅ればせながらわたしは会得した。今度借りて読んでみます、と、我ながらぎこちない口調で返した。彼女はくすくす笑い、
「なんでそんなに硬くなっているの」
 と云った。
 だって、あなたは特別だから。
 だって、あなたは美しいから。
 だって、あなたは聡明だから。
 そんな言葉が、わたしの頭の中で渦巻いていた。
「ユイスマンスも好きみたいね。もっとも、この図書室には二冊しかないけれど」

      +

 そんなこんなで、わたしと彼女は親しくなった。
 わたしたちの年頃で、勉学を抜きにした書籍を借りる者は居ない。わたしと彼女は、そこから除外された者同士、と謂った感じで親しくなっていった。
 彼女もわたしも、異界のモノに興味を持っていることが判った。彼女は和綴じ本を見せてくれた。お返しに、と謂う訳ではないけれど、わたしは、思い切って秘蔵の屍体写真集を彼女に見せた。
 洋本のハードカバーの如何わしいモノクロの本を、彼女は一頁づづ捲っていった。そして、
「とてもきれいだわ」
 と、感嘆して呟いた。
 その時、彼女が開いていたのは、妊婦の腹が割かれて、胎児が悶えるように体を捩っている写真である。
 そんなおぞましい写真を見ながらも、わたしを見返した彼女は、喩えようもなく美しかった。
 きれいだ、と彼女はそう云った。聞き間違いかと思った。
「なんてきれいなの」
 彼女は、そのグロテスクなモノクロームの写真に見入っている。
「こんなに美しい写真、見たことがないわ」
 そう云って、彼女はわたしの方へ向き直った。
 美しい?
 わたしは、この手の写真を収集し、本と謂う形にして大衆に観せつける人間のおぞましさを嫌悪と好奇心を持って眺めいたのに、彼女は、ひたすら「それ」を「美しい」と賞賛する。その時、背筋を熱いものが貫き、泡肌が立った。
 彼女は、この、異常な写真を本当に美しいと思っているならば、現実の屍体を目の当たりにしても、「美しい」と云うのではないかと。
 酷い写真じゃない?
 ——と、陳腐な答えをわたしは返した。
「どうして? こんなにきれいなものはないわ。ほら、この女のひとはお腹に胎児がいる状態で、首からまっすぐに切り裂かれて、その上、胎児がよく見えるようにお腹が開かれている。死の二重奏よ。この男のひとは、おトイレで自殺している。わざわざ自分の死を醜くしているのよ。これはもう、芸術よ」
 自分の死を飾ることが出来るのは自殺した場合だけよ——そう彼女は云った。
 あなたは自殺願望者なの?
 わたしは下らない質問を、彼女に投げかけた。
「自殺? そうね……、他殺より自殺の方がいいけれど……。そんなこと考えたこともないわ」
 ——でも、この写真を見たら、自然に死ぬより自分で選んだ死に方をする方がいいかもね。
「やめて!」
 思わずわたしは声を上げた。
「こんなの、ゲテモノ写真よ。こんなものに影響されないで」
「でも、このひと達、確実に死んでるわ。首が切れてるひとだっているもの。生きているひとが死んだ者をゲテモノなんて云うのは良くないわ」
「そうじゃなくて……」
 それ以上、わたしは何も云えず、彼女は「この本、貸してね」と云い、去って行った。

 そして、彼女は有り得ないようなやり方で自殺した。
 胸の双丘に硫酸をかけ、手と足首を切り落とし、両の目玉を刳り貫き、鼻と唇を削いで死んだ。どの順番でそれをやったのかは、誰にも判らなかった。 

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?