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君に花束を 5


 來河池の困惑

 隣に越してきた水尾健司という男は、どうにも攫みどころがなく、他人に説明しろと云われたら、もの凄く変わっていて、外見は妖怪かロックミュージシャンみたいで、苦学生で、襤褸服を着た女のような顔の男だと説明したであろう。
 こんなことを云われても、具体的に想像するのは困難を極めるに違いない。
 おれも女に間違われるような顔立ちで散々苦労したが、彼は不気味なくらいきれいだった。背は割と高く、痩せ細っていたが頰はこけておらず、青白い肌はきめが細かく、日本人離れした大きな目で、瞳は色素が薄く微妙な色をしている。モデルでも出来そうだった。
 ただ、非常にぶっきらぼうで、言葉遣いは悪く、外見と違ってかなり男らしかった。なにしろ、おれが誘拐されかかったら大人三人をこてんぱんにのしたほどである。
 家事全般をそこらの主婦以上にこなし、おれは料理が趣味だったが、彼にやらせると料亭の食事かと思うようなものを作った。何故そう思えたのかと云うと、彼の作るものが精進料理に近いものばかりだったからだ。肉を食べると胃にもたれるらしい。
 そういったことに対して自覚がなく、はじめの頃はおれが料理を作るのを見て、板前でもしているのかと訊ねてきた。此方がそう云いたいくらいである。腕はおれより上だった。
 ひとづき合いが悪そうに思えたが、親しくなってみるとそんなことはなく、おひと好しで割とお節介焼きなところがあった。おれが誘拐されかかった時も、助け出して部屋まで担いで行ってくれた。おれの意識が戻るまで傍に居て、出掛ける時は心配して一緒についてきた。
 大学では妙なサークルに友人に誘われて参加し、それなりに愉しんでいるようだった。それでもこの風貌では女が寄って来ることはないだろうと思った。
 或る時、買い物から帰って来たら、アパートの駐輪場に少女と一緒の水尾の姿があった。何処かから誘拐してきたのかと思い、携帯電話で撮影した。別に警察に突き出そうというのではなく、単なる癖である。
 しかし、その少女は彼の恋人だった。幼女を相手にするとは変人も極まっている、と思ったら、彼女は高校二年生で、水尾のふたつ下なだけであった。そうは見えないのだが。
 水尾自身、そんなに老けて見えない。子供っぽい訳ではないが、大学生というよりは高校生くらいに見える。けれど彼は、おれを自分より年下だと思っていたらしい。趣きは違うがふたりとも女のような顔をしているし、痩せてもいる。おれはそんながりがりではないが、水尾は痩せ細っていた。痩せた男で女の子みたいに見えることはあまりないと思うのだが、彼は髪形さえちゃんとしていれば、誰が見ても美少女だと思っただろう。
 眉毛は薄かったが、化粧すればなんとかなる。別になんとかする必要はないのだが。化粧などしなくても二重目蓋の日本人離れした顔立ちで、睫毛も長く、唇は薄いが血の気のない顔の中でそこだけ色がついている。一歩間違えばおかまだ。
 彼女のエミちゃんは人形のように可愛らしく、とても背が低くて、驚くほど世間知らずだった。無邪気な彼女を、水尾は兄のように見守っていた。呆れるほど甲斐甲斐しく面倒を見て、こんな調子では男女の関係にはなれないだろうと思った。
 大学の知人から紹介された逸子という女とつき合うようになり、家へも招くようになった。アパートの住人には紹介しなかったが、その翌年に引っ越してきた女好きのおばさんの手伝いをケルマという青年も含めて三人でした時、彼女のことがばれてしまった。
 それから週末になるとそのおばさんの処で晩飯を喰うようになったのだが、逸子がエミちゃんから聞いたところに依ると、彼らは男女の関係にあるらしかった。しかも、彼女が高校を卒業した日に、半ば水尾を脅すようにして一線を超えさせたという。そんな大胆な娘には思えなかったが、年頃なのに二年近くもキスすらしてこなかったら、そういった行動にも出るだろう。
 水尾は彼女がどれだけ云っても、そんなことは出来ないと拒んでいたそうだ。彼の態度を見れば、無理からぬ話だと思える。どう見たって、彼はエミちゃんのことを妹のようにしか思っていなかった。兄というよりは父親のようですらあった。すべての悪しき物事から彼女を守ろうとしていた。
 彼女を守り抜いて行きたかっただろう。しかし、水尾はエミちゃんが大学に入った年の暮れに、いきなり死んで了った。これには周囲の人間が皆、衝撃を受けた。隣室のケルマなど、ものも云わなくなって、部屋に閉じ篭ってしまった。
 彼が亡くなったのは日曜日の午近くで、アパートの住人は殆ど在宅しており、救急車のサイレンの音で、物見高い連中がすぐにひと垣を作った。おれも逸子と一緒に外へ出たら、真っ青な顔をしたエミちゃんが部屋から飛び出してきた。どうしたのか訊ねると、水尾が仆れたと云う。
 救急車を呼んだのは彼女だったのだ。
 慌てて隣の部屋へ行ったら、水尾は部屋の境目辺りで体を折り曲げるようにして横たわっていた。こういう場合、みだりに動かしてはいけないと思い、首筋に指を当てて脈拍を確認した。何も感じられなかった。息をしていない。どう考えても死んでいる。
 後ろで逸子にしがみついてエミちゃんは泣き叫んでいた。救急隊員が這入ってきて、水尾を運んで行った。エミちゃんはその後について行ったが、錯乱しているようだった。部屋を開けっ放しにしてはいけないと思い、おれたちはそこに留まった。
 何もない部屋だった。暖房器具はなく、コードの千切れた古い炬燵があるだけで、隣の部屋にもベッド以外は何もなかった。水尾が引っ越してきた際、荷解きを手伝ったが、その時も荷物の少なさに呆れたものである。
 しかも彼は、電気をすぐには引かず、このアパートはオール電化なので、まだ寒いのに水で体を洗って過ごしていた。体が丈夫なのか、風邪をひくことはなかったが、今時そんな貧乏暮らしをしている奴は、少なくともおれの周囲には居なかった。
 おれの部屋によく勝手に這入ってきて、親が送ってくるカップ麺を持って行ったりもしていた。はっきり云って泥棒なのだが、何故か憎めなくてそのことに関しては何も云わなかった。ただ、前触れもなく這入ってこられたら不味いこともあるので、ちゃんとインターホンを鳴らして普通にやってこいとは云った。
 それでも彼はピッキングして這入ってきた。何を考えていたのだろうか。


 葬儀に列席した翌日、珍しく朝方起きてベランダに出て煙草を喫っていたら、隣の部屋から話し声がした。空き部屋の筈なのにおかしいな、と思って訪ねてゆくと、エミちゃんが応対した。それはいいのだが、部屋を覗くとそこには昨日、葬儀で騒いでいた男と水尾が居た。
 何かの見間違いかと思ったが、恐ろしくなってドアを閉めた。しかし、エミちゃんが裡に這入ってくれと云うので、仕方なく言葉に従った。部屋に居たのは水尾の友人と、水尾本人だった。彼は幽霊になったらしい。
 そんな非現実的なことは信じられなかったが、目の前の事実は変えられない。
 いつか消えて居なくなると思っていたが、この世に未練があるのか、彼はいつまでも幽霊として存在していた。エミちゃんと友人の今井という男が結婚しても、彼らの間に子供が生まれても、ふたりと一緒に居た。それどころか、その双子の子供を育ててさえいる。
 まともな状況ではない。
 しかし、彼は生きていた時より愉しそうで、子供も凄く懐いていた。まあ、あれだけ可愛がってもらえば慕いもするだろう。娘がちょっと度外れて彼を好いているが、大きくなればボーイフレンドが出来てそんな感情からは卒業するだろう。
 おれは逸子とは結婚していないが、一緒に暮らしている。彼女には水尾が見えない。見えることも云っていない。エミちゃんと親しいが、彼女も水尾のことは云わなかった。幽霊が居るなどとは、そう軽々しく口に出来るものではない。
 双子の子供たちがおかしな風に育たないように祈るばかりである。

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