大人になれない大人たち

おじいちゃんの勤める職場は大企業を定年退職した人達の再雇用先だ。(株)じゃなく(一社)と略されるなんたら法人になるのだという。つまり設立目的は株式会社のような利益追求ではないということだ。その証拠(?)に働いている人達の殆どが大企業を60歳で定年退職してきたか58歳辺りで出向して来た人達だけで、彼らはみんなそこで後は65歳になる迄働くのだそうだ。
とはいえ、1つの大企業からだけきている人達ではなく、いつくかの大企業から来ている人達で、そもそもそのなんたら法人の母体になっている本体企業は65歳が定年なので、そこの母体から来ている人達は65歳から70歳まで、そこにいることになるのだそうだ。
イメージとしてはなんとなくほのぼのとしてそうな、オールドボーイズクラブみたいなのを想像したのだけれど、実態は全然、そうじゃないらしい。
組織としてはまず会長とか専務とか総務部長とか経理部長とかは母体企業から来た人じゃないとなれないらしい。それ以外の部は他の企業から来た人たちが部長になるのだそうだけど、部長と言っても、その部には他に誰も働いている人がいないので、部長であると同時に部下でもあるんだな、とおじいちゃんは説明してくれたのだけど、ぼくにはなんだかよく分からなかった。兎に角、部長ってのは名ばかりで、電話取りも来客へのお茶出しも郵便屋さんや宅配便の業者さんの対応も封筒の宛名貼りも稟議書も全部、1人で片付けなければいけないのだそうだ。じゃあ、会長も専務も総務部長も経理部長もそうなの? と訊くと会長や総務部長や経理部長には女性社員が2人いて、その女性社員が事務仕事はやってくれるんだ、と教えてくれた。
じゃあ、会長と専務と総務部長と経理部長は偉いんだね?
そこでおじいちゃんは一瞬、ちょっと複雑な顔をしたけど、まあ、とりあえず会長と専務は偉いんだな、と言った。それから総務部長と経理部長は他の名ばかり部長と本来は同じ立場なはずなんだけど、母体企業から天下っているから、本人達は自分達の方が若干偉いと勘違いをしてるんだと教えてくれた。
お陰で水面下で変に派閥があるんだな。
おじいちゃんの話によれば母体企業VS母体企業以外の出向組に分かれるらしい。でも会長とかは毎日、事務所に来るわけじゃないから、ある意味、お客様みたいなもので、実態としては、総務部長と経理部長を中心にした母体企業出身組と、それ以外の企業から出向してきた組と言う事なんだけど、ここがまたちょっと複雑なのだそうだ。
というのは皆、ここは定年後から65歳まで、つまり年金受給が始まるまでの期限付きでいるだけだから、5年から7年辺りでみな入れ替わってしまうからだ。それが短いのか長いのかよく分からないけど、小学校だって6年で卒業で、その6年は長いと言えば長いのだから、派閥とかあるようなところだったら、やっぱり長いんだろう。
出向組も天下り組もなんたら法人に入って来る時期は皆、バラバラらしい。というのは企業によって退職する時期を年度で区切るところと月年齢達成月に区切るところとまちまちだからだ。
でも時折、その入れ替わり時期が重なる時もあるらしい。おじいちゃんが入ったのは丁度、そういう時期だった。専務も総務部長も経理部長も新しい人達で、出向組も9割が入れ代わりの時だったのだ。そう、問題は9割ってところで、つまり古参が1割残っていたということだ。っていうか現実には1人の部長が残っていた。
そして問題の根がもうちょっと深いのは、そこで一番の古株となるのはこの天下り組でも出向組でもなく、25年以上務める御年70歳近い経理事務員の女性だった。
おじいちゃんより年上なの!? とぼくはびっくりしてしまった。そんな年まで働く女性がいるなんて、なんだか凄いって。おじいちゃんはしょっちゅう、膝が痛いとか腰が痛いとかぼやいているのに。
おじいちゃんは今度はかなり渋い顔をしていた。
その女性が一番古いって事はその事務所の生き字引みたいになってしまっているって事で、それはつまりそれゆえに「影の支配者」とあだ名される存在だって事なんだ。あだ名だけじゃなく、実際、金庫番ゆえ通帳から小口現金と実物管理はもちろんの事、税理士との折衝も含め経営の実態を牛耳ってしまっているのだそうだ。さしずめ春日局か北条政子か刀自というところか、なのだそうだ。
だって、じゃあ経理部長は何してるの?
おじいちゃんは今度は深いため息をつく。いわゆるぼんくらなんだあ、これが。
どのくらいぼんくらなのかと言うと、HPにアップする決算書関連のデータを業者に依頼する時、経理部長は電話口で業者に向かって「添付したちんたいしゃくたいしょうひょうのことだけど」と「ちんたいしゃくたいしょうひょう」と連呼していたそうだ。
貸借対照表をちんたいしゃくたいしょうひょうと読む経理部長と言うのはちょっとそんじょそこらにいないんじゃないかな、とおじいちゃんは言った。経理部長は新しく天下って来た人なんだそうだけど、出金伝票の書き方も知らなければ決算書の見方も分からない人だそうで、着任早々、お局様と揉めたそうだ。で、それがいけなかったらしい。
何処の世界でもいばりんぼうというのは1人だけで威張れるわけではなく、大抵、腰巾着だったり参謀だったりが付いていたりするもので、お局様には出向組最古参の牢名主が付いていた。早速、水面下で牢名主は出向組を取り込んでしまった。経理部長にとって運の悪かったことは出向組9割が自分と同様に新人ちゃん――例え御年60歳辺りと言えども――で、みなそこの事務所では新参者で、何をするにも誰かに訊かなければボールペン1本、何処にあるのか分からない始末だった事だ。出向組は当然、仕事に関しては牢名主を頼る。牢名主も取り込むチャンスを見過ごしたりはしない。昼飯に誘う事から始めてあれよあれよとそれこそ赤子の手をひねるよりも簡単に、新参出向組のハートを鷲掴みにしてしまったそうだ。こうなるとお局様の天下で、牢名主が彼女と良好関係にあるのだから、出向組も彼女に取り入るようになる。そしてお局様には経理部長の他にもう1人、気に入らない存在があった。それはそもそもは70歳近くなる彼女をいつまでも雇っていたくない総務部長は彼女に引導を渡すべく派遣社員を新たに雇っていたのだ。お局様より10歳以上若い女性派遣社員は雰囲気の柔らかい人だった。お局様は簿記資格を持っているわけでもなく、長年経理事務を担当している割には仮受消費税と仮払消費税についてよく知らなかったりEBとかできません! と経理部長に食って掛かったりと、とんだ曲者でもあったから、簿記2級をもっている派遣社員がやってきたことは総務部長(もしかしたら経理部長にとっても)にとっては密かな喜び、お局様にとっては自分の居場所を奪いに来た存在だった。だから彼女は最初から派遣社員の女性のことは嫌っていた。例えば基本、口を利かない、話しかけられてもつっけんどんな応対をする、一緒にランチに行かない、ちょっとしたことでディスるという事を日々欠かさない事に余念がなかったらしい。そしてここが肝心なんだけど、とおじいちゃんは言った。その派遣女性はちょっと口臭があったのだそうだ。でもそれは歯を磨かないとか、虫歯を放置しているとかいう事ではなく――おじいちゃんはそれとなく派遣女性から訊き出したそうだ。おじいちゃんはそういう事がとても上手なのだ。人の個人的な打ち明け話を訊き出すのが――胃腸が丈夫ではない事、腸管浮腫があること、自律神経失調症であること、等と関係しているそうなのだ。派遣女性はちゃんと歯科医にも診てもらって虫歯もないし歯周病でもないと言われ歯医者から消化器内科を勧められてそこではCTも撮ったのだそうだ。本当は口臭外来に行けばいいんでしょうけど、自由診療となるとちょっと手が出せなくて…とその派遣女性は悲しそうな笑みを浮かべたそうだ。
それはなんか可哀想だね。ぼくはそう言った。
おじいちゃんは頷いて、でもそういうふうに思ってくれる人はいなくてね、と言った。
お局様は彼女のその弱点を見過ごさなかったそうだ。
牢名主をはじめ、出向組達と飲み会を開いて、そこで彼女の悪口を言い、地獄だよ、と言ってみせ、みんなの同情を買う事に成功したらしい。
派遣女性への実に巧妙な嫌がらせが始まった。彼女はとりあえず総務の仕事をしていた。そこでは理事会や総会、式典、各種セミナーなど色々あり、設営準備や受付などが彼女の仕事で、総会や式典などの設営準備は彼女がメインでやることになっていたが、100人単位で来訪者が訪れるのだから、彼女1人で全部できるはずがないのだけど、それらに実に消極的に協力するという態度に打って出た。つまり言われなければ何もしない。そして理事会など50名程度の集まりでの受付は彼女が頼んでも他の仕事が忙しくて、と拒否する態度を取った。また懇親会などがあれば露骨に彼女の隣には座らないという態度をとってみせたりもした。要は態度で我々はあなたの事が嫌いですよと言葉以外の方法で彼女に伝えたのだった。
すごい意地悪だね。ぼくは言った。おじいちゃんも、頷いた。この種の嫌がらせはどうしようもないんだ。
ぼくは学校でのいじめのことをふと思った。学校でも時々、そういういじめが起こる。さりげなく仲間外れにする事、その子の発言には誰も笑わない事。あるいはみんなでお喋りしているところへその子が口を挿むと「入って来ないでー(笑)」とあからさまな言葉を笑いながら言って、それにみんなでどっと笑う事。おじいちゃんのいる会社では小学生と変わらないいじめを60過ぎの人達が臆面もなくやってるんだ。
おじいちゃんは頷いた。すずめ死ぬまで踊り忘れず、ってことなんだろう。今までもずっとそういうふうにやって来て、それこそ子供の頃からその腕を磨きに磨いて半世紀なのかもしれないなあ。
それでその人達はいまもそこに勤めているの?
うん。でもそのお局様は年度末で退社する事になったよ。
なんでも表向きは高齢ということなのだそうだが、実際は、そのお局様と牢名主とで、どうやら会社の経費の使い込みをしていた事を総務部長が見つけたらしい。
ある送別会の後で、彼らは2次会、と言ってもお局様とその一派と言う個人的な飲み会だったのだが、その飲食代を経費として処理したらしい。さすがにこれは専務や会長の知るところとなったのだが、専務から問い質された時、牢名主はしれっとして、「いや、今までも2次会は経費で処理してましたよ」とのたまったらしい。それが事実か否かを専務は過去に勤めていた経理部長に確認し、そういう事実はないという言質を取ったそうなのだが、結局は始末書提出も無く、不問としたそうだ。とはいえ主犯格のお局様を経理職に置いておくわけにはいかず、年度末の退職ということになったのだそうだ。
牢名主もそうなの?
いや、それがこの人は出向者で、さすがに出向元にこの事実を知らせると退職金ももらえず懲戒免職となっても可哀想だから、ということで不問という事になったのだそうだ。それにその牢名主も今年で丁度65歳で退職となるからね、と。
なら、その人達がいなくなるんだから派遣社員の人はこれからはいじわるされなくて済むね。
いや、それがね、その派遣さんはもう辞めてしまったんだよ。
 
新年には新しい派遣さんがやって来るらしい。
おじいちゃん、そんなところで働いていて、いやにならない?
おじいちゃんは、寂しそうにちょっと口角を上げただけだった。

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