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ただ、そこに、ある。

第3回、フランボワーズです。
(インスタ云々長いので、フランボワーズという総称にします。)

前回は書きながら、
こんな偉そうに書いてて後日読み返した時、死にたくなるんだろうなあと思っていたのですが、大抵そういう時って自分の言葉に嘘ついてる時だなと変に冷静になってしまいました。
戒めです。
そして、今回も戒めになるであろう、そんなお題です。
今、私が一番書きたくないテーマです。
何を書こうか悩んだ結果、23時半にパソコンを立ち上げました。

それでは、お酒もしくはコーヒーや紅茶を片手に
願わくば夜が更けた頃に
読んでいただければと思います。


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誰かしらは言うと思いました。愛について、愛とは。
愛とか死って誰しもが一度は泥沼のように考えるであろうテーマだと思っています。
私の本棚にはそれらのテーマについて書かれた本が20冊以上あります。
心理学、啓発本、小説なんかもいれたら、それはもう沢山。
読み漁ってもずっと考えてしまうものですね、愛とか死って。

このお題をくれた人はどの『愛』なんだろうと考えたときに、恋愛なんじゃないかなあと勝手に推測しました。
(この人と話した内容を思い返してみて。)

この世で一番苦手です。恋愛。
恋愛における『愛』があまりにも不透明なので、未だにそれについて自問自答しています。
なので、今回は経験を基に進めます。
だって、永遠のテーマみたいなもんじゃん。愛って。


愛されてえ〜〜〜〜

酔っ払った時か、好きな人に振り向いてもらえない時か、セフレに全振りしてる時によく言います。
そのあとにとる行動としては、自分の趣味や仕事に没頭するか、何も気がつかないフリをして都合のいい女を演じるかです。

この行動は求めている愛がこちらに向かないことに対する全力の逃避です。
ここでいう求めている愛は孤独を忘れさせてくれるもの、です。
人間の本質には必ず孤独はあって、寄り添っていかなければいけないとは頭では理解していて。
それでも、「それ」を意識し続けるのは途方もない体力と精神力が必要で、そのことを一瞬でも忘れさせてくれるのが「求めている愛」でした。
この愛は親愛でもあったし、性愛でもあって。

そもそも、彼らに何を求めていたのだろう。
好きな人には確実な好意を向けて欲しいし、セフレにおいても私だけを必要としろよって思ってました。
(因みに、好きな人とセフレは同時進行ではいません。いつもどっちかに全振りです。)
私、であって欲しかった。
あなたから向けられる親愛や性愛を、私だけが受け取りたかった。
でもそれを掴み取るためには傷つくことを覚悟しなければいけない場合もある訳で、臆病な私はいつも逃避を選んでしまう。


孤独に目を向けたくなくて、求め続けるといつの間にか
依存に変わってるんだよね。
私が人間関係で最も恐れていることです。依存。
少し前まで、常に誰かに依存していないと存在意義が保てないくらいの依存体質でした。
好きな人の好みに合わせてしまう、の裏側は
嫌われたくない、です。
都合のいい女も、
捨てられたくない、です。
他人に自分の存在意義を見出していました。

そして、恋愛が苦手なのはこの依存が常にチラついているからです。
めちゃめちゃ怖い。
依存体質は徐々に改善していって、昔ほど苦しむことは少なくなったのだけど、それでもいつ相手をエゴだけで縛り付けてしまうのかと考えると好きな人に向き合えなくなってしまう。

愛ってとても簡単な言葉ですよね。誰でも発せられるから。
DV繰り返してる親が「愛するが故の躾だ」って語るのも、性犯罪者が「愛しているからその証明だ」って語るのも、無責任な性行為の後付けの「愛してる」も、不倫小説の「愛してる、だけど」も、「愛してるから、愛して欲しい」という懇願も。
全部、全部、愛に見せかけた紛れもない暴力だからな。
愛を振りかざした暴力だからな。

そして、その暴力をいつ自分が『愛している』人に向けてしまうかわからない。
そもそも、自分の中に在る愛をなぜ相手に見せる必要があるのだろうか。
『在る愛』はもう既にそこに在るのだから、見せる必要も証明する必要も無くて、相手がその『在る愛』を感じられればいいだけじゃないだろうか。
暴力に転じてしまう人達は、自らが愛を与えたつもりになって相手からの愛を推し量ろうとしているのではないのか。
give and takeじゃねえよ。
それぞれに『在る愛』を、それぞれが感じろよ。


恋愛なんて始まりの多くはどちらかの勘違いだから、最初から「愛とは」について考えることではないと思うのだけれども。

「恋っぽくした性欲」と「愛っぽくした独占欲」

これは好きな漫画のセリフなんだけど、
まじそれな〜〜〜〜〜〜ってなった。
これには気を付けなきゃいけない。
性欲も独占欲もあってはいいものなんだけど
その欲は相手だからこそなのか、それともその欲を満たすための相手なのかをきちんとわかってなきゃいけないよねっていう。
肝に命じてます。

恋愛、難しいね。
でも、楽しいよね。
好きになったから相手のことをよく知れて、自分の些細なところが嫌になることもあれば相手のおかげで好きになれたり、日常が少し特別に感じたり。
そしてきっと、相手に幸せを感じていて欲しいって誰もが思っていて。
愛がこれだと、定義することはできないけれど
あなたの相手に対する行動にはあなたの中に『在る愛』が含まれていて、それは微かであっても相手には伝わっているんじゃないかなと思う。
ごめんね、これは私の勝手な願いではあるけれど。


たくさん書いてしまった。
最後までありがとうございました。
余談ですが、LINEでよく私の名前を書いてくれているのを見ると、その人の微かな愛と優しさにあたたかくなります。
漢字だと尚更に。

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