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ちっちゃいゼリー、蒟蒻入り。

第14回、フランボワーズです。

一昨日、躁鬱が唐突にきて寝る前に『自分の人生ゲロみたい〜〜〜』と思ってしまって案の定眠れなくて苦しみ、
昨日は帰宅中の電車内にて、目の前の人が持っていた缶ビールが落ちて私の洋服にかかり(ゲロじゃなくてよかったネ)、
今日は体調がゲロゲロです。(6/23時点)

そんなゲロゲロでも書き上げたいお題は

都市と寂しさについて

生まれも育ちも東京なので、他県と比較はできるはずもないのだけど
私は間違いなく東京の冷たさがとても好き。
この冷たさは日常の至る所に転がっている。
例えば、目の前でビールを被った人がいるのにみんな避けるとかね。
ハンカチくらい渡してくれてもいいじゃないのって思うかもしれないけど、私は避けられたほうがかえって良かった。
優しさをどーーーんと見せられたほうが虚しくなったかもしれない。
(だからといって、他の人にはきちんとハンカチを渡すよ、私は)

電車に乗り、職場へ行き、また電車に乗る。
ふと、車内を見渡すと誰一人として顔を上げている人はいない。見つめ続ける画面の奥。
ラッシュにぶつかる改札口。
いかにリズムを崩さずにICカードをタッチできるか。リズムを崩したら後ろから聞こえる舌打ちや溜め息。
多くの人が行き交う道。
みんな進む方向がバラバラで立ち止まることさえ許されない。

東京だな、と思う。
時折、息が苦しくなって上を見上げると空は見えるのに視界の端にはビルの角が顔を出している。
その窮屈さにひどく安心をする。

生まれた場所には米軍基地があって、背が高い建物などなくて、東京だけれど空気が澄んでいてただ広いところで、とても好きなのに酷く疲れる。

帰路に着く道中、段々と人の対応が冷たくなることに気がつく。
肩がぶつかってしまって「あ、ごめんなさい」と顔をみて言ったはずなのに、その瞬間に冷たい目線しか残っていなかったり。
あ、そうだ、ここは東京だ。

その冷たさを当たり前と思ってはいないのだけれど、
それは余りにも深い寂しさが潜んでるように思えるから、
私はこの場所からいつまでたっても動くことができない。

自分の目の前のことで精一杯で、生きることに必死で、でも振り落とされたくなんかないんだよって。
寂しいけど、それを見せたら一気に振り落とされるから、なるべく他人に冷たくいようね、それは自分を守る方法だから。
そんな不器用な人だらけが集まったこの街のこと、嫌いになんてなれるわけないじゃないですか。

だって、私も不器用ですし。


今日(6/25)も電車に揺られながら帰路につく。
体調は相も変わらずゲロゲロで、車窓に反射した自分の顔が疲れきっていて少しかわいそうになる。
いつもの駐輪場。いつも立っているおじさん。
「おかえりなさい、これあげるよ」
そう言われて貰ったのはちっちゃいゼリー。
「美味しいやつですね」

信号待ちでそのゼリーを口に含んだら桃の味がした。
あ、今日は寂しくなんかなかったな。


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