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私からしたらコーヒーもアートだよ

第9回、フランボワーズです。

「趣味はなんですか?」

という質問の答えにいつも詰まってしまいます。
興味があるものが趣味になるのか、それらに対してだれかに語れるくらいの知識を持っていなければいけないのか、はたまた相手が同じ趣味を持っていた時の会話の展開に私はついていけるのだろうか。
瞬時にそんなことを考えてしまい、無難に

「映画鑑賞、読書、カフェ巡りですかね」

と答えてしまうのが常です。
人の目など気にしなくてもいいなら
映画鑑賞、観劇、図書館巡り、美術館巡り、展示会巡り、カメラ、読書、カフェ巡り、廃墟、音楽、作詞文、人間観察、など。
余りにも多すぎる。

自分の感性が試されるものが好きです。

それらに気軽に触れにいけていた日常が恋しく、またこれからどんな風に変わっていくのかとても楽しみな最近です。

今回のお題は

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アートはその人の思想や信念を技術を用いて表現することだと思っています。
そしてそれらが営利目的に変わればデザイン、
また一般に広く浸透していけばクリエイティビティ、
に言葉が変わっていくと思っています。

日頃から
『これはアートだ』
とか
『これはアートではない』
という思考ではなく
ただそれらを見たり読んだり触れた時に
私の中にあるどこかしらが動いたら
それはとても素晴らしい経験だったと余韻に浸ります。

だから私にとってのアートは、ジャンル問わずに私の内にある何かを動かしてくれたら、それらはもう既にアートとして完成していると思います。
そもそもアートそのものは自己的なものであって、それを受け取り手がどう解釈しようにも真髄には達することができないものな気がします。

過去に3回、身体中の内臓が暴れて、なのに耳に届く音はやけに静かで、見終わった後には立つのもやっとなくらいの瞬間がありました。
祖父が作った能面と鬼面が一面に飾られた屋根裏部屋に行った時と、塩田千春展で飾られていた『絵になること』を見た時と、しあわせ学級崩壊という劇団の『卒業制作』を観た時、です。

あの時感じた生きている不安さや不思議に昂ぶった気持ちは二度と戻ってこない。

でも、私はずっとそれを求めています。
だから自分の感性が試されるものが好きです。

美しいもの、そして醜いものも好きです。
廃れゆくその姿も魅了されます。
それらに誰かの信念や思想が加わり、その手によって表現されたらそれもアートなのでしょう。

ああ、きっと私は『その人がつくりあげた何か』ではなくて創造(創作)に対するその人の核(熱量、魂)に触れていたいです。
考えるのではなく、感じていたいです。
だから、それらを体現する先はなんでもいい。
私はただひたすらにその中に沈み込みたい。
これが答えです。アートとは何か。

そして、もう既にそれらを持っているのであれば
あなたはもうアーティストなのでは。

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